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長野・八千穂村
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「八千穂は今やりんご栽培の最適地となった。日本で一番おいしいりんごだよ」と、ジンギスカンを食べながら須田保さんは語る。須田さんのりんご園は、名峰北八ヶ岳の北東部山裾の陽当たりの良い尾根にある。須田さんは長く山岳救助に関わってきた山男でもある。冬には鹿や熊を追って、雪に覆われた八ヶ岳山麓を山スキーで駆け回る。雪のない時期にはクマザサで行けない沢の奥にある、この世のモノとは思われないほど美しく凍結した滝の話は始まると終わらない。 須田さんと相思社のつきあいは長い。そもそも相思社が何で、長野のりんごを扱っているのか? 今となるとその理由を知っている人は少ない。1970年代に有機農業研究会で、須田さんと初代相思社世話人柳田耕一さんが出会ったことから始まった。須田さんは有機農業の話しを聞いて、それまで多くの農薬を使っていたりんご栽培をいきなり無農薬にしてみた。そうするとりんごの木は病虫害の見本展のようになって、食べられるりんごはできなかった。「うーん無農薬は無理だ」と悟ったが、それでも農薬を減らしてより安全なりんご栽培を行ってきた。その話しに柳田さんが感動して、「それでは水俣の甘夏を長野で売ってもらって、その代わり九州で長野のりんごを売ります」と話が進んでいった。いわゆるバーター取引というやつだ。その後事情があってバーターは出来なくなったが、おいしい八千穂のりんご販売を相思社は続けてきたということでだ。
最近でもないけど、りんご園の手伝いにやってくる学生たちは女ばかりが元気だな。男はおとなしいといえば聞こえがいいけど、なんだか覇気がないようだ」「それは水俣でも同じです。食卓の周りは女性が陣取って、男はそのまわりでおこぼれに預かっているって感じかな」「どうなっているんだろう」等々と、四方山話しながら八千穂の夜は更けていった。 翌日保さんと百合子さんと後継者の圭一君と一緒に、りんご園にあがっていった。りんごの木を見ても品種は分からないが、須田さんは「これはつがる、これは紅玉」と見分けがつく。そういえばみかんだって、私は実がなってはじめて「温州だ、伊予柑だ」と分かるくらいなもので、なじみのないりんごが分かるはずはないと妙に納得する。 りんご園を初めて見るわけではないのだが、初めてみたような気分になって分からないことを聞きまくる。 Q:木の根本のところが白くなっていますが? |
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