水俣レポート

        ゼヒテイク・ユリア(ドイツ・ボン大学)

  1. 私の相思社でのインターンシップ
  2. 水俣病について
  3. 天野さんの茶園の見学
  4. 水俣の大自然を守る

I. 私の相思社でのインターンシップ

自己紹介

 はじめまして。私はドイツのボン大学の学生、ゼヒテイク・ユリアと申します。
 2005年8月から10月まで、水俣の相思社でインターンシップをしています。
 その2ヶ月間に、NGOの職場経験をし、水俣病について勉強し、相思社のホームページをドイツ語に翻訳する予定です。現在、水俣病についてのドイツ語で出版された資料は、まだ少ないので、このドイツ語のホームページで、水俣病と相思社のことをドイツでもっと広く知らせる希望を持っています。ホームページのアドレスをここに書いておきますので、ご覧ください。
http://soshisha.org/deutsch/index_d.html

 私は、ボン大学で、日本地域研究と経済学の勉強をしています。日本で職場経験することも、その勉強の一つです。ボン大学の先生おかげで、相思社でインターンシップをする機会を得ました。
 翻訳の仕事だけではなく、水俣病についての勉強もしたいと思っています。患者さんの話を読んだり、聞いたりすると、面白いけれども哀しい話だと思いました。
 相思社は、有機リンゴやミカンやお茶を売っています。私は、ドイツではお茶屋さんでアルバイトとをしていますので、茶園を見学したいと思っていました。それで、相思社に関係がある茶園を見学出来る機会があり、私は喜びました。(ぜひ、茶園見学経験レポートをご覧ください)。
 現在の水俣はきれいな町ですし、環境問題に頑張っている町だと思っています。水俣や周辺の景色はとても美しいし、大自然の豊かな地域です。だからこそ、水俣のひどい過去の歴史は、特に悲劇的なことに思われます。.

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II. 水俣病について

1.はじめに

 私はゼヒテイク・ユリアと申します。今、水俣病センター相思社でインターンシップをしながら、水俣病について勉強をしています。この短い作文に、今まで勉強したことについて書きたいと思っています。

2.水俣とチッソ

 日本は20世紀に先進国に変わりました。全国に色々な工場が作られ、特に、戦後には技術の進歩がたくさんありましたので、日本はだんだん裕福な国になりました。
 しかし、工業優先主義とともに公害問題も起こりました。

 工業優先主義によって、水俣でもチッソという化学工場が設立され、たくさん職場ができました。その結果、水俣の人口はどんどん増加して、水俣は「チッソの町」になりました。
 水俣の漁業者の数は多くはありませんでしたが、彼らにとって漁業は唯一の収入源でした。また、漁業者以外の住民にとっても魚は重要な食品でした。だから、水俣の海で、公害問題が起これば、水俣の住民にとって深刻な問題となるでしょう。そして、それは現実の問題となりました。

3.水俣病

 チッソという会社は化学肥料を作る工場でした。戦争前に成功した会社で、日窒コンツェルンと呼ばれました。しかし、チッソの成功とともに、水俣の海はだんだん汚染され、悪くなりました。

 1953年ころから、人々は魚が死んだり、猫が発狂することに気がついていました。1956年には海の近く住んでいた子供が病気になりました。食べられないようになり、歩けないようになり、目が見えなくなるなどのひどい兆候が見られました。もう少し後には大人も同じような病気になって、亡くなりる人もでました。最初、患者はみんな隣人でしたので、伝染病だと思われていました。それで患者は隔離されました。伝染病と思われたこともあり、水俣病に苦しむ患者は,他の人から差別されました。

 その後の研究により、患者はみんなたくさん水俣で取られた魚を食べていることがわかりました。熊本大学医学部の研究論文によると、魚に入っているメチル水銀が水俣病の原因であることがわかりました。

 1968年に、政府はチッソが有機水銀で汚染された廃水を海に流したことが水俣病の原因であるという結論を下しました。その後、患者はチッソを相手に裁判を起こしました。患者は1973年にやっと裁判に勝ちました。しかし、水俣病の患者が求めていたのはお金だけはありません。チッソに水俣病の責任を認めさせ、謝らせることをそれ以上に大切に思っていました。
 それで患者の苦しみが終わったわけではありません。妊婦は、知らずに汚染された魚を食べたので、有機水銀が胎児に移動し、生まれながらにして水俣病で苦しんでいる患者もいます。その患者の世話をするための施設も作られています。しかし、いまだに水俣病に苦しみながら、公式に認められずに、損害賠償をもらっていない患者もたくさんいます。

 1974年から1997年まで、水俣の海で漁業は自粛され、汚染された魚が外に出ないように網が張られていました。現在は水俣の海の魚は食べられますし、海で泳ぐこともできます。

4.水俣病センター相思社

 1974年に結成された相思社は、水俣病の患者さんと病気にかかっていない人々を媒介する施設です。「もやい直し」は、相思社の大切な課題の一つです。患者さんや患者さんの家族からの相談を受けて援助したり、水俣病についての資料を集めたりしています。付属の博物館では、水俣病がどのように魚師の生活を壊したか、チッソや水俣市の歴史、公害問題について説明しています。相思社は環境保護に力を入れていますので、学校の生徒や大学などの学生、一般の人たちにも水俣病や公害問題についてのゼミを行っています。

5.結論

 水俣病は、人間が引き起こした公害であることを忘れてはなりません。人間の体を傷つけるだけではなく、社会的な問題でもあります。患者さんたちは隣の人から差別を受けましたし、魚師は魚が売れないようになって、経済的に苦しい生活になりました。
 メチル水銀が危ないものであることを知っていたのに、海に流し続けてきたことはひどい犯罪です。このような被害をもう二度と起こらないようにするために、私たちは気をつけなければなりません。水俣病のことを世界中に広く知らせることは重要なことだと思っています。

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III. 経験レポート 天野さんの茶園の見学

 私はドイツでお茶と紅茶の店でアルバイトをしています。それで、私はお茶に興味を持っています。しかし、ドイツにはお茶畑はありませんので、日本の茶園を見学する希望を持っていました。
 相思社は有機リンゴ、ミカンと有機お茶を売っています。それで、私は相思社に関係のある茶園を見学出来ることになりました。もちろん、私は喜んで、9月の上旬の2日間、茶園見学をしました。

 天野さんの茶園は水俣市の山地方にあります。毎年3トン以上の収穫があり、相思社はそのお茶を売っています。

1.お茶の種類

 日本では緑茶しか作ってないと思っておりましたので、天野さんの茶園でウーロン茶も紅茶も作っていることにびっくりしました。この茶園では色々な種類のお茶が作られています。煎茶はもちろんですが、もっと重要なものは、現在は九州でだけ作られている伝統的なぐり茶と釜炒り茶です。
 釜炒り茶の特徴は、中国のお茶に似ている工程で、釜に入れて温めて作る緑茶です。ぐり茶は煎茶と同じように蒸し、釜炒り茶の同じように、茶葉を手でグリグリともむと玉緑茶になります。だから、「ぐり茶」の代わりに、「蒸し玉緑茶」の名前を使えばいいと思います。
 水俣はお茶の産地としては有名ではありません。その上に水俣病という過去の歴史のせいで、いわれなく、イメージが悪くなってしまいました。でも、有機栽培のお茶ですので、他の産地で普通に作られたお茶より、安全で健康的な食品です。
 私は、水俣のお茶は、とてもおいしいと思っております!

2.私の天野さんの茶園での職場経験

 天野さんの茶園は水俣市の山間部にあります。町の中心から車で30分ぐらいかかります。山の景色はとてもきれいで、真夏でも空気は涼しく、さわやかな感じで、気持ちがいいです。しかし、冬の寒さは厳しいそうですが、幸い私は経験しませんでした。
 天野さんは、私に茶園で作られているお茶の種類とその作り方について説明をしてくれました。お茶畑もお茶作りための機械も見せてくれて、とても面白かったです。
 最初、私は、お茶畑の草取りの仕事を手伝うことになっていましたが、急に相思社から大口の注文が入って来ましたので、もう一人のボランティアの方と一緒に事務室で仕事を手伝うことになりました。注文は900のティーセットでした。セットの内容はぐり茶と釜炒り茶の50g を入れた袋でした。だから、私たちは1800袋にシールを貼ったり、袋にお茶を入れる等の仕事をしました。きつい仕事でしたが、草取りよりは楽だったんじゃないかと思っています。最後にお茶と紅茶をもらいました。
 一番茶の収穫時期が一番面白く忙しいときだと思います。しかし、9月もそれなりに忙しく、面白い2日間の体験でした。茶園見学はいい経験でした。.

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IV. 水俣の大自然を守る

 水俣の周辺には美しい所がたくさんあります。山もあるし、海もありますので、絵葉書になりそうな風景です。私は、その大自然を守らなければならないと思います。

新しい有害廃棄物捨て場を大自然に?

 相思社のスタッフと一緒に水俣の近くある大森という所へ行きました。そこに、産業廃棄物捨て場が作られる恐れがあります。しかし、大森の山は水源で、流れ出る水はとてもきれいで、おいしい水です。その水が汚染されれば、たいへんなことになるでしょう。
 だから、多くの人々が、そのプロジェクトに反対しています。相思社は、その人々を援助するために、大森周辺の水源を調査したり、住民の暮らしなどを調べています。それで、大森周辺のマップを作る予定です。
 大森に住んでいる下田さんと山にある水源を見に行きました。聞いていた通り、新鮮な、おいしい水がありました。大森の住民たちは、その水を色々に利用しています。飲み水に使ったり、庭の植物、車を洗う、洗濯にも水を使っています。その水が汚染されば、大森の住民は生活が出来ません。

自然との生活

 下田さんは81歳だそうですが、とてもそのようには見えません、本当に元気に見えました! それは、自然の中で生活しているためではないでしょうか。
 下田さんは、私たちに大森での生活について、色々な面白いものを見せてくれました。たとえば、川の生活について説明してくれました。川の魚を食べたり、夏に川で泳いだり、などのことを話してくれました。一番面白く思ったのは,シュロの色々な使い方でした。シュロの葉っぱから、色々便利なものが作られます、例えばハエたたきなども作ります。
 下田さんは、シュロの皮を使って、丈夫な縄を編んでみせてくれました。今の子供たちは縄作りが出来ないと下田さんは言っていました。私は、自然をこんなに上手に使うことにびっくりしました。
 見学の後で、皆で、大森の生活についてのパネルを作りました。多くの人が、このきれいな所に産業廃棄物捨て場を作らないことを望んでいます。
 現在、水俣は環境問題について頑張っています。その水俣の大自然を破壊することは許されません。.

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