機関誌ごんずい100号

目 次
ごんずい100号
大量の手ごたえに思わず笑顔が
−茂道湾沖のイリコ漁
(撮影:塩田武史)

特集 今思うこと 私と水俣病・水俣・相思社

  • 「不知火海水俣病」の今後を思う 土本典昭
  • いまとなってみれば、水俣は、私を映し出す鏡 芥川仁
  • 知の最前線としての水俣病事件 永野いつ香
  • 水俣の「もやい直し」と三里塚の「たすき渡し」 宮崎省吾
  • 魂と共に生きる 松森尚俊
  • 水俣を作る 環境都市をつくる 喧嘩はするな、だけど創る喧嘩はやれ 吉本哲郎
  • 水俣の早春賦 名越覚
  • ごんずい百号に寄せて 沢畑亨
  • 今思うこと 小坂勝弥
  • 私と相思社 永野隆文
  • 思い出 森山幸代
  • おるが水俣 平井京之介
  • ぼくは水俣の施設に入りたくない 福原忠彦
  • 善意とは何か 中谷健太郎
  • 今こそ、「失敗の教訓」を将来に生かす時 宮北隆志
  • ごんずい一〇〇号に寄せて 須田保
  • 私たちの自発する義務 最首悟
  • 希望の種まき 小里アリサ
  • まなざしを反転する 向井良人
  • 相思社は反面教師であった 小松聰明
  • 一〇年かけて私の存在を取り戻す 緒方正実
  • 教育関係波は水俣病とどう向き合ってきたか? 安藤聡彦
  • いま思うこと−運動体教訓−被害者間のつながり 高野秀男
  • 三里塚と水俣を結ぶもの 相川陽一
  • それぞれの水俣病 旗野秀人
  • 時の流れの重みを伝えて 原田正純

記事

相思社は夢と希望を運ぶ船 財団法人水俣病センター相思社理事長 富樫貞夫

 『ごんずい』が一〇〇号を迎えた。
 その時々の水俣病事件や地域の動き、患者家族の思いや生活、相思社の活動状況などを伝える『ごんずい』は、現在、財団法人水俣病センター相思社がもつ唯一の情報誌である。『ごんずい』の前身『相思社だより』は一九九〇年に創刊しているので、それを含めると一七年間出し続けてこのたび一〇〇号を迎えたことになる。相思社の事業としてはささやかなものではあるが、よく続いたと思う。
 『相思社だより』は一九八九年の甘夏事件を契機にして発刊された。それまでの相思社は、この種の情報誌や広報誌を出す必要を感じていなかった。しかし、甘夏事件という存亡の危機に直面して、それまで相思社を支えてくれた方々に対しあらためて相思社の活動に対する理解と支援をお願いするためには、再出発する相思社が何を目指し、その活動をどう展開しようとしているかについて定期的に発信すべきだということになった。『ごんずい』がその期待に十分に応えてきたと言い切る自信はないが、そのために懸命に努力してきたことは確かである。

 水俣病センター相思社は、三三年前、日本の辺境から「もう一つのこの世」を創り出そうという大きな夢を掲げて発足した。その意味で、相思社は人びとの夢と希望をのせた船にたとえることもできよう。しかし、その後の歩みは試行錯誤の連続であった。
 二〇〇四年一一月、相思社は設立後三〇年の歩みを記録としてまとめた。それは次のような言葉で結ばれている。「相思社は特異な組織である。前例のない組織である。相思社は生まれながらにして、常に試行錯誤を繰り返すことを運命づけられている。『安定』することはない。絶えず新しい道を模索しなければならない」(弘津敏男)。実際、これまで相思社が企てた事業で成功したものは意外に少ない。労働コロニーや診療所の構想、きのこ工場の立ち上げ、ミミズの生産と販売、患者家族の生産する甘夏の販売、さらには水俣湾の汚染調査など。きのこ工場の建物はその後水俣病歴史考証館として活用されているが、当初の企画はほとんど立ち消えになった。
 これを単純に「失敗」ということはできないであろう。果敢な試行錯誤こそ相思社の歩みそのものともいえるからである。
 現在、相思社の活動は、(一)患者とのつき合いを深め、(二)多様な形で水俣病の経験を伝えるとともに、(三)地域の再生に取り組むことを、三つの柱として行っている。いずれもまだ不十分で、解決すべき課題は多い。相思社は、いろいろな意味で恵まれた環境を与えられているが、それを十分に活かし切れているかどうかが問題なのである。
なによりもまず、相思社は患者多発地区のど真ん中に立地している。水俣病の「現場」が近いということは、相思社のもつ大きな強みである。数は限られるにせよ、患者とつき合いを深めることを通して、患者とその家族が置かれた現実に直に触れることもできる。これは貴重な財産である。また、川本輝夫さんが理事長時代に考案した水俣病歴史考証館は、小さいながらもきわめてユニークな博物館であり、展示物にも貴重なものが多い。これは、おそらく水俣市の水俣病資料館に対する明確なアンチテーゼとして創設したものであろう。これも相思社のもつ宝の一つである。
 しかし、現在の相思社にとって最大の財産といえるものは、これまでに収集、蓄積した膨大な水俣病事件資料である。十数万点に及ぶ資料の多さだけではなく、その多様さにおいても群を抜いている。現在、日本国内でこれに匹敵する資料を所蔵するところはなく、その意味では、相思社は水俣病事件に関する最大の資料センターになっている。資料を整理、保存し、それをデジタル化して提供する作業は、地味で根気のいる仕事である。水俣病の真実を伝える活動の根幹をなすものとして、現在、相思社はこれにかなり大きな時間とエネルギーを注いでいる。
 問題は、プレハブ作りの資料室がいまや限界にきている点にある。防火設備もないため、いったん出火したら、すべてが灰燼に帰してしまうおそれがある。きのこ工場を転用した考証館も同様の問題をかかえている。本来、博物館と資料室は一体のものとして運用するのが望ましい。できる限り早く両者を一体化してリニューアルしたいというのが、目下の最大の念願である。その際、これも手狭で老朽化しつつある事務棟もいっしょに建て直すほうがはるかに使い勝手がよくなるであろう。そのためにも、これからの三〇年を展望しながら相思社のグランドデザインを練る必要がある。

 財団法人水俣病センター相思社は一つの組織ではあるが、決して「固い」組織ではない。相思社の日常活動はスタッフが中心であり、そこでは個々のスタッフの存在がきわめて大きなウエイトを占めている。今後の相思社のあり方を考えると、これまで以上に「個人」が重きをなすと思われる。それだけに、スタッフのもつ資質や感覚が今後の相思社のありようを決定するカギをにぎっている。
 水俣病とのつき合いは、ひとりの人間の存在をかけたつき合いであり、小手先のつき合いや部分的なつき合いではない。そこでは、いわば「人間」が裸にされてしまう。そういう形で私たちは水俣病と出会い、人間としての存在を揺さぶられるのである。水俣病は、深い意味ではその細部も全体像もまだ知られざる事件であり、その一面に接して驚き、また何かを発見する。そういう意味で、水俣病は宝の山といってもよいであろう。

 相思社のスタッフに求められるのも、水俣病に接して「驚き」「発見する」という感受性である。そして、発見は喜びを伴う。そういう形で水俣病の経験を「内面化」することが大切だと思う。いちど水俣病に魅せられた人間は、それをだれかに語らずにはいられなくなる。そこから水俣病の経験を伝える活動が始まるのである。水俣病の魅力を知った者だけがそれを他者に伝えることができる。
 患者とのつき合いは、本来、個人と個人とのつき合いが基本である。どの患者とどうつき合うかも、個人にゆだねられている。患者家族の裁判や行政不服に対する支援活動も同様である。最近は相思社のスタッフも個人として関わるという傾向が出ているが、これはこれでよいことだと私は思う。 
 水俣病センター相思社にとって水俣病患者の存在は原点であり、また活動の座標軸でもある。このことを忘れないようにしたいと思う。

相思社スタッフ座談会「支援とは何か」弘津敏男・川部岬・高嶋由紀子・坂西卓郎・大滝由佳子・遠藤邦夫

スタッフ自己紹介

遠藤 それではいきなり本題に入るのは唐突なので、とりあえず自己紹介から始めましょうか。
大滝 神奈川県出身です。二〇〇六年十一月より相思社スタッフ候補になりました。「水俣・東京展」がきっかけで水俣病に関心を抱くが、その時はそこで止まっていました。その後、各地の水俣展への参加や石牟礼道子さんの著作を読むこと、自分の考えをHPやブログで発表することで社会問題に携わっているという満足感を覚えていましたが、「熊本・告発する会」の元代表・故本田啓吉氏の「義勇兵の決意」を読んで、我が事を言われているようなショックを受けました。その後、相思社のスタッフ募集を知るも、一年近く煩悶したり再就職したりと回り道しましたが、自分が言いたいことを言える背景として水俣病を選択し、現在に至っています。
 NGOの経験はなく、会社員としての経験ばかり。それが足枷となるか生かせるか、生暖かく見守ってもらいたいと思っている軟弱者です。
 腕力なし、持久力なし、不器用と肉体労働にはてんで向かない。初めて迎える水俣の夏に戦々恐々とする毎日です。
坂西 僕が生まれたのは神戸です。あえて兵庫県とは言いません(笑)。異人館の近くで、クラスには中国やイギリスの人がいましたね。近くに貯水池があったりして、都会にしては自然が残っているところでした。
 でも、やはり都会的な生活にどっぷりと浸かっていたので、生活の知恵は育んで来なかったですね。何か物を温める時は電子レンジを使うというような生活でした。そんな中で阪神大震災を経験して、ボランティアに興味を持ち、国際協力を仕事にするようになりました。でも、アジアの豊かな生活経験のある人と付き合っていると自分がどうも薄っぺらく感じられる。でも、学校なんかで講演をする時は、最後に「自分の生活から考えてみましょう」というような事を話すんですね。家に帰ったら自分は大量消費生活をしているのに。そんな自分を変えたくて、水俣に移り住んで来たという感じです。水俣病という傷を負いながらも、楽しく生活している人びとがいた。そんな中なら怠け者の僕でも変われるかなぁと思ったんですね。不純な動機です。
高嶋 私は、何も考えてなかったから来られたんです。
 生まれは栃木県の田舎で、家は農家をしていましたが、ずっと祖母に「百姓は生かさず殺さずだ」と言われて育ちました。
 私が最初に水俣に出会ったのは、歌でした。高校生の時に合唱で石牟礼道子さんの曲を歌いました。山と海と原っぱがあって、お化けが出てきたり、狐がピョンピョンはね回って遊んでいる。そこに会社ができて人が行き交う。そんな生き生きした水俣の風景がありました。来たこともないのに何故か懐かしいふるさとのように感じました。しかし、その後、特別水俣に関わるということはありませんでした。
 大学で東京に出て来て中国史を専攻していました。中国である時、若い人にお前は南京大虐殺の犠牲者の数を知ってるかと聞かれました。私はアマノジャクで、「人数を議論することには意味がない」と答えたら、歴史的事実を否定するのか、と怒られてしまいました。しかし、被害を数字で伝えることには限界があると思います。
 大学を卒業した後、高校で世界史の非常勤講師をしました。たまたま勤務していた高校で地理の先生が入院されて、代理で半年ほど授業をすることになったんです。その中で教科書に数行「四大公害」の話があり、それがきっかけで相思社のホームページを覗いたら、たまたま職員募集をしていた。ご縁があったとしか言いようがないですね。
川部 熊本県の外輪山の南側で生まれました。御船町というところです。そこに生まれてから二二年、大学卒業するまでおって水俣にきました。水俣に来たのは、相思社が募集をしていたというのが大きいですね。関心があっても、なんらかのとっかかりがないとそこに入っていくというのは難しいことなんです。水俣で、相思社で働き暮らすということにひかれていました。
 相思社に初めてきたのが大学二年生ぐらいのときだったかな。水俣病のことは、熊本県民ですからそれなりに小・中学校で習うわけなんですけども、水俣は予想していたところとは違って、豊かさそうなところだなというのが第一印象です。
 エコリーグで来たときに弘津の話を聞いて、こういうことをやっているところがあるんだということに驚き、学生と情報交流して次の日に帰ったんです。そのときは埋立地にも行かなかったし考証館は見たけれど、そんなにディープに水俣に接したわけではないんですが、相思社というものに興味を持ちました。水俣も新聞にあれだけ書かれ頑張っている土地だけども、深刻さよりも豊かさがにじみ出ている土地だなと思っていました。大学の時に普通の会社に就職するんじゃなくて、こじんまりとした組織なりに入って、都会じゃなくて、地方でやっていきたいと思っていました。
 特技というか、趣味というか、ずっと続けていきたいと思っていることは、ここらへんに生えている葛とか楮とかから繊維を出したりすること。そこにある自然から色とか繊維を作っていくことが根源的で惹かれています。デスクワークばっかりしていると、さびしくなるんですね。自分もまた作り手で在りたいと思ってしています。今の住まいの部屋の一つは、いただいた機道具でいっぱいです。
遠藤 以前は何で水俣に来たのかとよく聞かれましたが、最近はあまり聞かれません。何でかなと思うのですが、還暦に近い人間に「いまさら水俣との出会いを聞いてもな」と思われているんでしょう。気を取り直して自己紹介します。生まれたのは一九四九年、岡山県南部のほんとうに小さな集落です。となりが一軒、もう一軒は神社でした。山と田んぼと川と空しかないようなところでした。その価値に気づくのはほぼ五〇年後です。つまり高度経済成長まっただ中の人生は、アメリカのような暮らし方、たとえば蛇口をひねると水が出る。大きな見たこともない本当のハムが、毎日食べられるような暮らし。子どもの頃の夢は、バナナとチョコレートを腹一杯食べることでした。
 趣味はタバコとコカコーラと昼寝です。読書は好きですが、これは仕事の一部かな。いま考えていることは、三里塚と水俣のネットワークをつくって何かできないかなと、あまり密かではありませんが考えています。
 家族は妻と子どもの三人暮らしです。毎日が楽しいです。
弘津 生まれも育ちも大阪です。今の大阪環状線の内側で生まれました。その頃は環状線なんてなくって、城東線て言ってました。その城東線の線路の近い所、中野町ってところで生まれました。大阪城の近く、にあったんで中野町って地名になったんだというふうに、聞かされたことがあります。小さな頃はいつも大坂城を見ながら暮らしてました。
 その頃は親父が小さな商売をやっていました。大金持ちじゃないけど、ちょっとした小金持ちだったんですが、ある日突然倒産しまして、家にヤクザ屋さんが来まして、やくざ屋さんが家を占拠したんです。自分にとってはすごいショックだったですね。それから性格がかわりました。それまではわがままし放題みたいな所があったんですが、急に無口な少年(笑)に変わりました。
 「水俣の甘夏」っていう映画で、相思社に興味を持つようになったんです。ちょうど部落や障害者の運動に行き詰まっている時だったんで、「水俣の相思社では仲間で一緒にやっている。相思社というのは生活と運動が一緒に出来る場所なんだ。こんな運動は日本でここしかないんじゃないか」って思ったわけです。まあ、勝手な思い込みなんだけど、「これは水俣に行くしかない」と思ったわけです。だから本当は水俣にも水俣病にも強い興味があったわけじゃなくて、相思社に興味があったから水俣に来たんです。相思社の職員になって、相思社をじっくりと研究してみたい、相思社への入口として生活学校に入ろう。それまでの経験から三年いればだいたいのことはわかると思ってました。
 水俣に三年はいよう、その後のことは三年後に考えれば良いと思ってたんです。結局いろいろあって三年たっても辞められなくなって、ずるずると相思社に居続けて、今では歴代の職員の中でも一番長く居続けることになっちゃたんです。

とりあえず支援を規定

遠藤 今日のテーマは「支援とは何か」です。支援について考えられることを、率直に語り合ってみようと思います。もともと水俣病の関係者というのは、水俣病患者と家族および支援者と捉えられていました。相思社が設立された三〇数年前の背景と、今の背景が同じなのか違うのかも含めて、支援とは何かを考えていきたいと思っています。相思社は従来、支援者と規定されてきましたよね。それに対して、どう思っているのか、支援者と思われている弘津さんから行ってみましょう。
弘津 「支援者という言葉は聞いたことがある」といえば変だけど、自分を支援者だと思ったことはないですね。部落のことや障害者のことに関わっていた時にも支援するとか応援するとかそういう意識ではなかったですね。さっきも言ったけれど、目の前に倒れているおばちゃんがおったら手を差し伸べる、その延長でやってたから、目の前に障害者がいるから一緒にやってきただけだった。支援とかではなくて、自分の生き方としてやっていただけのことです。だから水俣に来た時にも、興味があったのは水俣病患者じゃなくて水俣の人でしたね。
支援とか支援者って言われるのは、相思社外の人が言っているだけであって、自分で支援者と規定したことはないですね。
遠藤 個人としての支援はそうかもしれませんが、相思社は支援団体じゃないのって言われていると思うんだけど、それはどうですか?
弘津 相思社は支援団体と外から規定されているけれども、相思社の内部にはその意識はほとんどないですね。しかし患者支援と呼ばれるような活動をせざるを得ないという部分が相思社にあることも確かですね。
遠藤 一九七〇年頃の告発の時代に、支援のスタンスを「惻隠の情」と渡辺京二さんは書いています。井戸のそばで子供が遊んでいると、落ちると危ないよと声をかける。そうした感情を持つということを、惻隠の情と説明したと思うけど、確かそういうのを支援なんだという規定していますが、それはまだ変わっていないという認識なんですか?
弘津 それを支援と言うんだったら支援でも良いと思いますがね。しかし今の水俣病の運動の中では、「支援」と規定された時にはそれとは違う意味になってると思いますよ。その部分について私は否定してるんです。
坂西 水俣病の場合で目の前に倒れている人っていえば、例えば大阪の川上さんを助けないといけないんじゃないですか? また溝口裁判に関るとかあるじゃないですか。
弘津 溝口さんが裁判の中でこうしたいとか、こうやろうとしているのであれば、確かにそれを支えることも考えるかも知れないけど、僕の知ってる限りで言えば、溝口裁判の流れは溝口さん個人のためとは思えないですね。
坂西 だったら溝口さんは、より深く倒れてるじゃないですか?
弘津 だからこそ相思社がしなければならないことは、溝口さんの相談に乗るとかグチを聴く事だと思うだよね、というのが俺のスタンスかな。 坂西 でもそれは前提条件として、双方に信頼関係がないと成り立たないですよね。はっきり言って、今の相思社にはその信頼関係がないんじゃないですか。緒方正実さんが組織としての相思社に相談に来るかっていったら、来ないですもんね。僕との個人的なつきあいはありますけど。そしたら、だとしたら目の前で倒れる状況っていうのはほとんどない。むしろ逆に遠ざけているようなもんじゃないですか?
弘津 坂西君は相思社に来る人は少ないじゃないかと思ってるらしいけど俺はそう思ってない。結構いろんなひとが来るなと思っているわけ。その人たちへの対応だけでも手一杯な部分があると思ってるわけ。例えば今保健手帳で来ている人についても、それぞれの事業を聞けば「なるほど」って思うし、その人たちがちょっとでも心安らかに生きていける方法を一緒に考えようとかって思うわけね。
高嶋 坂西君に質問なんですけど、倒れている人を捜しに行くってイメージですか?
坂西 別に捜しに行けとは言ってないです。相思社に相談に来た人で困っている人に、手をさしのべるということだけだったら、誰も来ないだろうという話ですよ。ある程度外に出て行って行動範囲として広げないと、相思社の近くでこける人はあまりいなくなっているんじゃないかと思うんです。

支援の思わぬ落とし穴

川部 なんでもかんでも助けるのが支援じゃないんだ、という考えがあると思うんですね。今日新聞を見たら「現地が求める支援を」ということで、ペシャワール会の中村さんのことが書いてありました。これってあたりまえのことでしょって思うんだけども、あたりまえのことを強調して言わなくてはいけない現状が、この水俣の業界以外のところにもあるんだなと。そう言う場合には本人が相談すると、思ってもないような展開になってしまって、「あらら困ったわ」ってことになったりするんです。まずは悩みを持っている人が、いつでも相談できるような状態に相思社があることが良いのかなと思います。相手の側に立ってみて、今自分がしていることはどうなのかっていうことを、いつも思っておかないと、独り善がりでちぐはぐの運動というのがさびしく流れていくんです。
坂西 でも、ペシャーワールの会も惻隠の情もそうなんですけど、僕が気に食わないのは非常に自己犠牲的だと思うんですよね。ペシャワール会なんかも、確かに評価されてますけど、あの人たちは医者で金持ってるからできるわけですよね。例えば寄付を九〇%活動に当てるとか、そんなの民間としては普通成り立たないですよ。
遠藤 何か八つ当たりのような気もしますが、なんで自己犠牲的だといけないの?
坂西 自己犠牲って嫌いだもん(笑)。それは、本当は自己犠牲じゃないからですよ。その人がそこにやる意味を見出して、自分がやりたいからやるんです。困っている人を一方的に支援というか、助けてあげるという関係性は成立しないはずなのに、そうやって飾るのが嫌い。
弘津 の前に倒れてる人がいて、その人に手を貸して立たせてあげるのは自己犠牲じゃないと思うけど。
坂西 それはそうですけど、「俺はやってあげてるんだ」という意識が好きじゃない。それにただ、実際の活動となっていくと手を出すだけではすまないじゃないですか。その中で「やってあげている」意識が芽生えてしまったりする。
遠藤 それは自己犠牲的という問題ではなくて、自己犠牲を強いられたら嫌だということじゃないの?
坂西 うーん…。
高嶋 「自己犠牲」の問題として、たとえば民俗学で有名な「ポトラッチ」という儀式があります。有力者が部族民に貴重なものをどんどん与えたり、果てには富を破壊したり投げ捨ててしまうというものです。売買をするときや、贈り物をされてお返しをするような場合は、等価交換が成り立ちます。しかし、ポトラッチのように返せない贈り物をすることで今度は権力関係ができあがっていきます。今の話を聞いて、そういうことなんじゃないかなと思うんですけど。
遠藤 自己犠牲の対象になる人と、意図的に自己犠牲をしている人との間に、権力関係が成り立つだろうということですね。
高嶋 理論的な話ですけどね。
弘津 実際にもあるんじゃないの。
遠藤 もうちょっと坂西君の疑問に突っ込みを入れてみたいと思う。自己犠牲はいやだ。じゃぁ何をしたいの? 君は。さっきからの流れで言えば「惻隠の情」や「義を見てせざるは勇なきなり」は、従来の概念でいえば自己犠牲的というように捉えられてきたけれども、そうじゃないスタンスが坂西君にはあるという話でしょう?
坂西 そういった支援の中に、自分の関わる意義とか動機とかやりがいを見つけてどう確立するか。当事者と支援者の距離感をきちんとはからないと、自己犠牲的なものが押し付けになったり、上下関係や逆転を生んだりすると思うんです。患者に対して支援者が寄りかかること依存することが起こるります。例えば、患者がいないと何も出来ないとそういったような依存関係を生むというのは、自己犠牲をしているうぬぼれがあるんじゃないかと思うんです。そうではなく自己犠牲にならないように、自分が主体になってやるべきだと思ってるんです。だから僕の中では自己犠牲というイメージは、この人のためにやるというように、主体が当事者に移ってしまっているということ。支援するという自分が主体なはずなのに、どうしてもウソくさく感じられるというかな。
高嶋 そうすると、弘津さんと坂西さんが言っていることはそう離れてない気がする。
弘津 一緒やんか。人のためにやんないよ(笑)。
高嶋 惻隠の情というか、助けるとか、支援、援助いろんな言葉があると思うんですけど、それに対するイメージがちょっと違ってるということですね。
遠藤 ただ、「惻隠の情」だの「義を見てせざるは勇なきなり」という倫理観を、坂西君のように捉えてしまうと、人間の行動原理から説明することになって、あまり共感され難くかったりするんだよ。だから伝わりやすい手法を選んでいるのかなという気はするんだよね。

我が加害者論

遠藤 人間がやることは全て自己に動機があるんだろうけれど、それはそれでいいけど、今のテーマは外から見てどうみえるか、そしてそのことを理解してもらえるかということです。水俣病事件というテーマで言うと、水俣病患者は家族も含めて当事者だよね、じゃあそれ以外の関わっている人は何か? というときに支援者という言葉がでてくる。その言い方が気に入らない、変えたいと思うんだよね。
大滝 自分を当事者だと思ったことはないし、支援しようと思って水俣に来たわけでもない。自分のために来たんです。優等生的な答えかもしれないけど、首都圏にいてぬくぬくと生活していたし、今も電化製品を使っている自分は加害者なんだけども、被害者のほうに近づきたいという感じでしょうか。
遠藤 被害者に近づきたいということは、被害者になりたいということ?
大滝 被害者になりたいわけではない、でも当事者になりたいというわけではない。どうせものを見るのであれば、被害者の方から見れる人間になりたい。
遠藤 それは混乱してるよね。被害者・加害者というものの見方があるということと、その関係を生み出した構造があるわけです。それに対してのあなたのスタンスは、加害者じゃなくて被害者の方に寄り添いたいという意志を表現しているんだよね。
高嶋 中国に行ったら加害者として扱われた経験が一度だけありますけど、そういわれると日本人はみんな加害者なんですよね。被害者と加害者というのがどう対話できるのか、やってみたんですけどなかなか難しかった。
遠藤 南京大虐殺のことであなたを糾弾した人は被害者なの?
高嶋 直接の被害者じゃないんですよ。ただ中国国民が被害者であって、日本人が加害者であるとかの枠組みではそうです。私も直接の加害者でもないし、被害者でもない。
遠藤 南京問題で言えば、日本人民の高嶋さんは加害者ですか?
坂西 加害者でしょう。
遠藤 南京に行って殺したの?
高嶋 チッソの今の社員は加害者かと言えば、加害企業の社員ですよね。
遠藤 加害企業の社員は加害者?
高嶋 ということになりますよね。
遠藤 加害国家の国民は加害国民。
坂西・大滝 高嶋さんの主張に異論ないですよ。
弘津 高嶋さんは加害者なの?
高嶋 自分は加害者の視点でしか語れない。中国で私が語るとしたら加害者として、過去を清算しなければスタートできないと思っています。中国の人ももう戦争の話はいいよ、、関係ないよ、という人もいますが、私はそこにこだわりたい。直接加害者と規定できるかどうかよりも、私は自分の意志で加害者の立場に立つと決めたんです。緒方正人さんが言っている課題責任を担っていくその前に、加害責任が整理できてないということです。
遠藤 年金の問題も同じだけど、問題の整理もしないうちに社会保険庁の改革は間違いだろうということ(笑)。
弘津 僕は加害者も被害者も同じだと思っているから、被害とか加害ということ自体がナンセンスだと思ってるんだよね。
坂西 枠組でいうと僕も高嶋さんと同じで、物質的豊かさに浸かっている日本人は加害者なわけですよ。アジアの人が被害者だと思うんです。日本がアジアを搾取していますから。
弘津 僕も以前は一方的な加害者、被害者があると思っていた。チッソは加害者で患者が被害者で。でも今はそういう構造はないと思っている。ある側面から見たときにそう見えるだけのことだと。被害を広げてしまった国は悪い、でも国は国民が作っていて、その国民の中に漁師もいる。つまり、漁師たちは被害者であると同時に加害者の一員でもあると。以前は一種の強迫観念で、自分は加害者である、そこから出発しないといけないと思っていた。
今はそんなことをしなくても良いと思っている。そう思い始めたときから、チッソの社員だから加害者だとは言えなくなった。言っても仕方がないし、何の意味もないと思うようになった。自分が被害者であるとか、加害者であるとかは重要ではなく、自分は自分であるということが大事なんだと思うようになったわけね。
高嶋 分かるようで分からないところもありますね。歴史はつながっているし絶えず動いているわけですから、ピンポイント的に取り出して加害・被害を言うだけでなく、全体で何が起きたのか考えないといけないというのは同感ですが、それでも加害・被害が消えてしまうのではなくて、重層的・複合的に存在すると考えるべきではないでしょうか。加害者・被害者という実体と、加害・被害という概念は別に論じる必要がありませんか?

緻密な二〇代とバリケードな五〇代

遠藤 支援と言う言葉をどう思っているのか。 高嶋 支援は仮託だと思います。自分の気持ちを支援される人に託すこと。時には当事者性から逃れるための方便でもある。
坂西 支援は相互依存性であり、弱さをを引きうけるものだと思う。惰弱性つまり「他から攻撃を受けやすい」状態に身を置く。なぜか? 問題を自分から切り離さないということだと思っている。支援とはそういうもろさを引き受ける生き方だとポジティブに捉えてるとらえてる。
遠藤 支援をポジティブに捉えているということはわかった。じゃぁ、支援者になりたいということ?
坂西 なりたいとは思ってない。古い人たちが言ってる支援はくだらないとおもう。だが、自分がやってることを支援と言えば、支援なのかと最近思うようになった。でも依存型支援と主体的支援があると思う。
遠藤 独りよがりな支援になりやすいんじゃないですか、主体的支援というのはそういうのに陥りやすいんじゃないですか?
坂西 そこに絶対的正義はないんです。ボランティアの定義に惰弱性ということがあるんです。例えば街頭募金で募金をするかどうか。するというのは一つの支援でしょう。した場合に出てくる疑問は、幾らしたのか。小銭を入れたのか全財産を投げ打ったのか。その中で自分は何かの選択をしているんです。一〇〇円入れたのであれば、なぜ二〇〇円ではなかったのか。そういう問いが生まれると思う。そのこととの関係性を示している言葉です。責められると言うか、弱さとか脆さを引きうけて生きていくということ。一〇〇円しか入れない自分を説明できないその葛藤。そのように悩み続けないといけないということを引きうけざるをえないんです、自発性を発揮するということは。募金をするということもそうです。
弘津 しなくてもそうかもしれないよ。
遠藤 坂西クンって分裂してません? すべてのことは自分のためにするんだから一〇〇円しか入れない自分を肯定しなければ。なんでそこで悩むの?
坂西 それを肯定することが、主体的に支援する悪いパターンです。自分はそれでいいだと割り切ると、自分のやってることがすべて正義になる。そこには問いがつきまとってないんです。
高嶋 悩み続けることが課題というのは分かる。自分を支援者と規定するのと、支援とはまた違う。支援者と言ったとたんに、被害者によりそっているという気分になりますよね。そうなのかと問いつづけることが惰弱性と言ったったときに、惰弱性を引き受ける強さが必要なのではないか。正義に寄りかかるのは人間の弱さだと思う。
弘津 自分がやっていることが失敗だと思わなくてすむ。失敗したって人が悪いって。
坂西 チッソとか県を追求している姿は絶対的正義ですよね。その姿は。
弘津 絶対的正義って、皮肉で言ってるんだろ? 絶対的正義だって、思ってた時がある。しかし、本当かなって思うようになった。そう思わざるを得ないから思ってたんじゃないか、本当はそう信じてなかったんじゃないか、って。
坂西 絶対的正義は、快感がありますよね。こっちに責められることはない。
弘津 患者が全部こっちについてるんだから、チッソや行政に「お前らはなぁ…」と、やってたんだよね。そんなことを言えばどうなるか、なんてことはすっとんでた。ただ、正義感に酔いしれてるだけ。
坂西 行動原理としての心地よさとは違うんですよ。
遠藤 反省しているという意味なの?
弘津 いや、あんまりしてないね。今も大声出すかも知れないけど、計算ずくでやるだろうね。「話をここへこうもっていくためには、ここではこう大声だしとかないと」とかね。その当時は大声を出すしかなかった。今考えるともうちょっと違う方法もあったのではないかとも思うけどね。
遠藤 自分がやりたいからやってるんだと言えば、加害者であろうが、被害者であろうがすべて説明がつくわけだよね。それでいいの? 自分自身の存在という意味では自己肯定ということになるけど、それ以上のかかわりということになると、生み出せるかどうかは担保してないように思うけど。
高嶋 外部に説得力があるかということだけど、側隠の情もそうだけど、好きなことをやってるんだよというほうが、説得力がある時代になりつつあるのではないかと。
弘津 ジェネレーションギャップがあるんじゃないかな(笑い)。若い人はそうかもしれないけど、自分は社会変革をしてんだと本気で思っているけど、今やってることに違和感はない。
坂西 オリンピック選手が言う言葉で、昔はみんなのためにがんばりますだった。国を背負って。今は自分が楽しんでとか言った方が格好いいという風潮がある。分裂しているかもしれないけど、惻隠の情もあるんでしょうね。嫌いだといったけど。正実さんのことで、県と交渉している時に、マスコミがいるからここであんまりしゃべれないと、県の人が言ったことがある。その時に、「それは違うだろう」と僕は言ったんです。それは、この人は正実さんが自分と向き合って欲しいと言った意味が分かってない。言う自分も絶対的正義を背負った快感というのもあるんでしょうけど、義を見てせざるは的なところがあったような気もする。
高嶋 私はそれが疑問なんです。義なのか愛情なのかという。知り合った人、出会った人への思いなのか、普遍的な正義なのか。倒れている人はたまたま出会ってしまったから助けるのか、? 遠くまで探しに行って助けるかどうかの違いでしょうか。

支援に代わる言葉

高嶋 支援のありかたもいろいろだと言いましたが、上から支援するのと、下から支える支援というか、エンパワメントということを言っているのではないですか?
弘津 その二つが分裂してるから悪いんじゃないの。上から見るのとしたから支えるのと、それを混同して支援と言っているから見えにくいんじゃないの?
遠藤 支援ということを聴いたら、個人的な答えが多かったんです。支援には感心がないというか、支援という言葉で表現できないというか。ここでは支援というものをめぐる変化をやろうと思ってるから、個人的なことはいいから。支援が二つあるということで、相思社はどっちなんですか?
坂西 どっちでもないということでしょう?
弘津 相思社の活動方針の「患者とのつきあい」と言うのは下から支える支援だから(笑い)。
坂西 付き合いはもっとニュートラルなんじゃないんですか?
弘津 付き合いっていうのは、相談にあずかるとか、困ってる時に手助けするとかということで、それを俺らがもってる技術・組織力・コネクションを使ってやるということ。
坂西 それがつきあい、下からの支援ですか?
高嶋 じゃあ三段階ある。上からの援助の段階、助け起こす・技術専門的なものを使って支援する段階、それからあとエンパワメントというか自立支援という段階。相思社はどれですか?
弘津 俺は分けて考えてなかった。自分の都合の良いところに患者を引っ張っていくことはしたくない。ただ、目の前に倒れている人がいて、その人を起こすために自分の技術力や知識が必要だったら、それを使って手助けする。自分に取ったら同じなんです。それが患者との付き合いと思ってる。
遠藤 二〇〇一年答申でいえば、患者達が地域で生きていけるという事を目標にしているわけだから、自立支援って言っていいんじゃないの? その人がハッピーで生きていけるという事は、自立支援ということじゃないの?
弘津 そういう言葉の使い方をしたことはないな。自立支援と言うことと、地域で生きていくということは全然別だと思うけど。地域で普通に暮らせるということは、精神的な抑圧があればそれを軽減するということで、それは地域を変革していくということなんだと。
高嶋 「自立支援」は確かに法律になったりして様々な使い方をされている言葉でしょうが、要するにここでは弱者本人を変えるのでなくて、弱者を弱者たらしめている社会を変えることが大事だ、ということですね。
弘津 うん。
坂西 患者連合の弘津は支援をしてるんじゃないですか?
弘津 支援だと思ってない。相思社の仕事だよ(笑い)。相思社の仕事の中で活用する。地域の中で生きていくには地域を変えないといけない、患者も変えないといけない。オレにとっての、患者連合と相思社は違う組織だし、一部は重なる。
坂西 九五年当時もそうでした?
弘津 その時はそこまで思いがおよばなかった。自分の好きな人の顔が浮かぶけど、未認定とか補償とかは関係なかった。
坂西 支援に段階があるという事ですね。社会的には支援じゃないんですか?(笑)
弘津 組織のためにするということは運動支援だろうけど、俺はある人の顔がうかばないとね。運動支援と言われればケッと思う。応援という言葉を使ってる。
坂西 それでも個人的には支援しているわけでしょう。
高嶋 応援者?
遠藤 でもこの話は外から見れば同じだと思う。運動も社会全体を変革していくというのが流行らないように、水俣病を伝えるというか、物事を伝えるときに、AさんBさんの物語を伝えるほうが良く伝わるよね。それほど詳しいことが分からない世間では応援といおうと支援といおうとおなじでしょう。
坂西 弘津さんの発言は、けっこう直接的な支援というように聞こえる。よそものがそこで何かをしても、結局当事者は自立出来ない。その人達が自分達でやっていく。水俣では弘津敏男が直接的に支援していると見えますよ。より支援という言葉がはまるんじゃないですか?
弘津 外からみたら同じかもしれない。
高嶋 気持ちの持ちようは違うけれど、手法が同じということ?
遠藤 一緒じゃないよ。どういう関わりを持つかと言うことでいえば、側隠の情を持って転んでいる人を助けるという人と、そのことをもって利用主義的に自己表現をしようとしている人と違うじゃないか。
弘津 高嶋さんの言ってるのは、外からの見え方からすれば一緒じゃないの。
遠藤 外からの見え方といっても新聞なんかの話じゃなくて、こういう座談会とかごんずいとかで自分を表現しているわけでしょう。これだけ表現して初めて弘津さんは支援でもいいやってことになったんでしょう。
坂西 弘津さんからすればこれらの人に伝わったということを前提として、それでもいいや支援でもいいやということですよね。
弘津 そうかもしれないね。そう見えることは納得した。
遠藤 それが良いか悪いかではなくて、自分が創り上げてきた関係を支援でひとくくりにされるのはたまらないと思うことと、自分はこうだったよと言うことが一緒でないとね。
坂西 今までとは違う相思社オリジナルの支援をしているわけですね?
弘津 つきあいという言葉を生み出して表現したわけ。
坂西 支援というと一方的な矢印だけど、つきあいは双方向のイメージがありますよね。
川部 日常的ということですよね。

相変わらず分かりにくい相思社

坂西 例えばアドバイザー委員の小柳さんの考えていることは、弘津さん言うところの旧来の支援だけではないかもしれませんよ。
川部 イデオロギー主体の支援がいやがられてきたんじゃないですか。水俣において支援となると、その印象が強いんじゃあないですか。
坂西 マクロな支援からミクロな支援へですかね。
遠藤 小柳さんの発言は、相思社への一定の揶揄はふくんでいるいるんだよね。小柳さんのお父さんは、患者を地域の人が助けてあげないといけないと思っていたけれど、それができなかったことの後悔があったと聞いたことある。それは水俣市民みんなじゃないけど。
弘津 いや二〇〜三〇%はそうだったんじゃないかな。
高嶋 相思社は普通の人から見れば何をしているのか分からない。そもそもNGOの仕事というのが、わかりにくいものですよね。医者や看護士のような専門職だったら患者支援と言っても何をするのか想像しやすいけれど、相思社は分からない。
坂西 それが一番難しいかな。カナダから来ていた人に相思社を英語で説明しようとしたときに困りました。日本語だったら何とかいえるだろうけど、とりあえずミュージアムの説明で濁しましたよね。名刺に書いてあるし。
遠藤 相思社ってしっくり説明できていないんじゃないか、という事ですよね。
坂西 相思社は○○ですと言えない。
遠藤 実川さんが相思社は○○ですとごんずい一〇〇号に書け。相思社はこういう考えでこういうことをやっていると簡略に書いておけと言われたよね。
川部 近年相思社はいざというときに、相談できる所という市民の言葉を聞きますよね。保健手帳の相談は口コミで拡がっています。随所に相思社が地域で認知されつつあるのかなとも思います。
坂西 それはちょっとうぬぼれが入っているんじゃないですかね?
弘津 今までとは違う層にまで拡がっているのは事実じゃないかな。これまで足を運ぶことがなかった人たちが、相思社に来るようになってきてるのは事実だよね。
坂西 でもまだ相思社が目指す地域づくりを担うところまでは、到達してないんじゃないかと思いますが。
弘津 それはそうだけど。
川部 相思社は「水俣病」という名前が付いてるからイカンという話が一部の人にありましたよね。相思社が地域でやっていくなら、名前を変えたほうが良いという話は、そう簡単なことではないけど。
坂西 新聞記者から聞いた話ですけど、三笠の田崎さんにに誉められたらしいんです。僕が水俣病の病名変更のことを話題にしたからでしょうが、誤解されているとは思うんですが。
遠藤 産廃とか地域づくりとかやっているから、確かに違うひっかかりもできている。
坂西 でもね、相思社は地域の目立つ人とは関わりができていてサポートはできるけど、日々暮らす人たちとはちょっと距離があるような気がするんだよね。それは自分の思う地域づくりとは離れているんです。
遠藤 水俣での地域づくりの実情が、地域住民の実生活とまだまだ離れているというのは事実だよね。もやい会議でもそうだし、実際誰でも話せるわけじゃないし。
弘津 相思社が市民権を得られてると思ったら間違いだろう。
坂西 知識層についてはそうでしょうけどね。
遠藤 山の上からおりてきて、地域住民に混じった方がよいと言われてるけど、それはちょっと違うかなと思う。
坂西 そうなったら相思社の存在価値はないですね。山からおりてこいというのも、旧来の清く美しい支援というか川の清掃をしたりゴミ拾いしたりという、もっと目に見えることをやれということなんじゃないですか? それも良いけど、外部者集団という個性を生かした地域への貢献もあり得ると思う。
高嶋 相思社は他人から何かやれと言われて、やってるわけじゃないから。
弘津 俺は早く相思社をなくしたいんだよ。いつかそうしたい。だけどそういう社会じゃないからなくせないんだよ。降りていくだけなら相思社消滅だよ。
坂西 マチの人対する遠慮なんて変じゃないですか。相互に自立した人間なら思っていることを言い合えばいいじゃないですか。
遠藤 自立しているかどうかはあるけど、思ってることをいったらけんかになるだろ。そうなると関係がちゃらになってしまう。
弘津 自分も自立してないのに、人に自立しろって言えない。常に自分で意識しないと楽なほうへ行こうとする。裸でやったら、自分自身がつぶれる。人間関係でそれはできない。
遠藤 フィールドミュージアムの会議なんかで、水俣病五〇年で旅館の客が減ったと話があれば、努力が足りないんじゃないのととりあえず思うけど、それを言うといきなり関係は終わるわけです。こちらが言っていることが全面的に正しいとは限らないし、関係性を続ける中で相手も自分も変わるかもしれないということもある。
坂西 地域づくりをしているからといって、地域の人を支援しているということではないですよね。地域の人と相思社の関係は支援じゃないと思う。

相思社に普遍的なテーマはあるのか

遠藤 相思社として普遍的なテーマは、いろんな切り口があるのでしょうが?
坂西 相思社は終わるのなら終わらせたい。全てのNGOはゴールに向けて活動しているはず。
弘津 もうひとつのこの世が出来れば、相思社を終わらせる。
坂西 水俣病の全面的解決ではないんですか(笑)。
弘津 もうひとつのこの世。人類が継続して生きていける社会ということ。
遠藤 もう一つのこの世というのは、いろんなイメージがあって、僕なんか資本主義じゃない社会と理解している。
弘津 人類が継続して生きていける社会。
坂西 これって弘津さんが嫌いな言葉でしょうが、持続的発展が可能な社会って言葉がぴったりですね(笑)。
高嶋 一方的にしわ寄せがこないというか、みんなが幸せというか、みんながあと一歩の思いやりの社会というか。
遠藤 PHPの座談会風ですね。
弘津 それがもう一つのこの世ということじゃない。
坂西 うーん、自分の生き方を問うとかですかねえ(笑)。水俣病を問うて発信していくというか、問い続けるという事ですかね。
弘津 内面的に問うという事をしないかぎり、もうひとつのこの世というのはありえない。
坂西 社会的には何か終わりようがあるんでしょうね。
川部 相思社がぶつぶつ言い続けること、ごんずいの精神じゃないですけど、あえて社会の毒となることが、いつの時代にも大事ではないでしょうか。
高嶋 私は、もうちょっと具体的なのゴールとしてはは、相思社が患者のよりどころを目指したように、水俣がある意味で日本のよりどころになるみたいなイメージを持っています。自然も人も破壊していくような近代社会に対するアンチではなくオルタナティブとしてのよりどころであってほしい。「環境聖地」というけれど、祭り上げられる聖地でなく動き続ける聖地であってほしいですね。あ、そうすると相思社はいつまでも終われないな。
坂西 相思社で定年までは働いたとしたら、なんか敗北感がありませんか? 自分が人生をかけてやってきたけど解決しなかったのは、なんか寂しさがあるんじゃないかなと思うんですが? もちろん人の一生で解決できる事なんて、限られているとは思いますが。
遠藤 それって一番定年に近い俺に対するイヤミ?(笑)
弘津 止めるつもりでやってないとやれないよ。
遠藤 僕のテーマは水俣病を終わらせることかな。
坂西 水俣病を終わらせるとは?
遠藤 水俣病ということで苦しむ人がいなくなることでしょう。でも実際には、水俣病には終わることもあれば、終わらないこともある。終わらせなけれならないこともあるし、終わらせてはいけないこともある。
坂西 もう一つ言えば、誰も水俣病のことを語らなくなると終わりますよね。
弘津 オレの定義では生命が持続可能な社会をつくること、もしくは人類が全て亡びた時のどちらか二つしかない。
坂西 理想は人類が生きながら、水俣病が終わるということですね。
弘津 終わるというと、患者救済が終わることと思う人がいる。そんな馬鹿げたことを言う奴がいるのが嫌なんだ。
遠藤 水俣病は終わっていないという言葉は、前はあまり好きじゃなかったんです。でも終わっていないと言わないと、終わってしまう現実がありますよね。良くも悪くも言霊に囚われてのことかなと思うけど。
高嶋 小柳さんが言っていましたけど、「水俣病という言葉を使わないでも、水俣病の経験が活かされている地域づくり」はなかなか良い課題設定ですよね。
遠藤 それではそろそろ時間と言うことでご不満はおありでしょうが、後は今年から開催される若者研究会に任せた。


(2007年7月25日発行)

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