「水俣病は終わった《と語る人々もいれば、「水俣病は終わらない《と語る人々もいる。また「水俣病を引きずらない《という言い方もあるらしい。「終わった・終わらない《はとりあえず事実認識の相違だが、「引きずらない・引きずる《はいわば意志の表明に見える。意志はどのような過去と現在の認識に支えられて表現されているのかが問われなければ、イデオロギーの押しつけに過ぎない。これでは水俣が経験してきた非和解的対立を続けることになり、逆に「引きずって《いることになってしまう。
最初に結論めいたことを書いてしまうと、私は「終わった《「終わらない《という事態として水俣病が捉えられるとは思っていない。また「終わった《「引きずりたくない《と言う人々の本音は、「水俣病には関わりたくない・患わされたくない《ではないかと想像している。これも一つの見方だ、正義感だけで断罪するのはあまりにも一面的だ。だからこうした意見や意志が相互に交換される場を、まず作り出すことが大切だと思う。
そこでまず、ひょっとしたら「終わった《のかもしれないと疑ってみよう。さて水俣病とは一体如何なるものなのかを、まず確定しなければ「終わる《も「終わらない《もありはしない。熊日新聞社発行の「熊本県大百科事典《の「水俣病《の項には「魚介類を介して発生するメチル水銀中毒症で、工場排水に含まれたメチル水銀が海や川の魚介類を汚染し、それを食べた人に発症する公害病《と書かれている。
例えば「水俣工場排水《は、アセトアルデヒド工程が完全循環式となった一九六六年以降はメチル水銀はほぼ含まれていない。だから現時点では「水俣工場排水《の項は、事実ではあったが終わっている。同じように「水俣湾ヘドロ処理《も、一九九〇年に工事が完了しているので終わっている。これに対しては、ヘドロ処理としての埋立が永遠の安全を確保するかどうかといえば、それはだれも約束できないので「終わっていない《と言うこともできる。
水俣病患者の発生は「終わった《が、水俣病患者は生きている限り水俣病は「終わらない《。
(二)何が実現して、何が実現していないのか 水俣病のなかで「終わった《こともあれば、「終わらない《こともある。それは添付した「水俣病事件における被害者・漁民・住民等の要求《資料を見て欲しい。実現された要求あり、無視された要求あり、大幅に変更を余儀なくされた要求あり、要求の根拠がなくなって意味を失った要求あり、要求主体がなくなってしまった要求あり、なのだ。
これらの要求は大きくは、身体被害への補償、漁業被害への補償、水俣湾の安全、地域再生・振興の四つに分けられる。例えば被害補償は終わったと言えば異論もあるだろうが、先にここでの議論の前提を「世の中《=水俣の地域社会と考えているので、私はその範囲では「終わった《としておきたい。
水俣湾の安全は、環境調査などは続いているが、埋立地完成・仕切網撤去など施設面では終わっている。地域再生・振興は、水俣地域全体で言えば始まったばかりだ。
水俣市民の一部が要求した「水俣病の病吊変更《は、地域再生・振興に分類できるがちょっと異質な要求である。私は偏見・差別に対して、病吊変更が適切な方針とは思わないが、住民感情としてはあり得ることだと思う。自分の生まれ住んでいる町の吊前が重大な病気の吊前に使われていたら、それはけっこうしんどいことだと自分が思うからである。
しかし、この時患者たちは座り込みをしたり、裁判をしながら、自分たちの被害を立証しようとしていた。だから患者たちは病吊変更を「病吊変更=水俣病の否定=患者の否定《と捉え、そこに敵対感情が生まれた。このギャップを地域社会も行政も受けとめないまま放置され時が過ぎた。
それから二〇年余の後に、吉井水俣市長が「水俣病で犠牲になられた方々に対し、十分な対策を取り得なかったことを、誠に申し訳なく思います《と慰霊式の式辞で述べた。私はこの言葉を謝罪と受け取った。この時から患者救済と地域社会の再生・振興が、矛盾なく展開できるようになったと思っている。地域社会が自分自身の問題を、主体的に解決していく決意表明といえるだろう。
地域社会の絆が壊れてしまっていたことから始めるもやい直しならば、かつて地域社会がどのように存在していたのか、それがどんな対立で壊れたのか、誰と誰がどんなもやいを模索して、そうして再生される地域社会とはどのようなものになるのか。これら一つ一つの検証から始まるものだと思う。
水俣ばかりでなく、日本中いや世界中の地域社会に亀裂が入り、生き難い世の中になってしまっていることは誰でも思うことだ。行き着きたい「約束の地《は誰も明確に示せない。こうしたら世界は一挙に良くなるという理論はなく、水俣の経験から言える当面の目標は、環境と健康を大事にしながら、何か大きな力に依存することなく、生活できる仕組みを作りあげることではないだろうか。
結局、「終わった《と考える人も、「終わらない《と考える人もその認識を争うのではなく、「だから水俣をこうしたい《とビジョンを出し合う段階をむかえていると思っている。例えば水俣市の第三次総合計画にしても、現段階では絵に描いた餅に過ぎない。それでも実物が絵には描かれているのだ。それぞれがいろんな餅を絵に描いて、見せ合うことから始めよう。こうして「終わった《「終わらない《の議論は越えられていく。