もやい直しに関わる事業年表(敬称略)


※環境創造みなまた実行委員会主催以外はその事業の主体名を入れた

1988年 9月 水俣病歴史考証館開館。市広報は「開館のお知らせ」を掲載拒否
1989年 2月 水俣市、市内全世帯にパンフレット「水俣病のあらまし」を配布
1990年 8月 環境創造みなまた推進事業スタート。11日には、水俣再生事業の第一歩として「みなまた10000人コンサート」が水俣湾埋立地で行われたが、緒方正人が「水俣病意志の書」を配り、熊本県の水俣病に対する姿勢に抗議を行った。
9月 水俣病患者団体(認定・未認定)約3400人が初めて統一運動組織「水俣病の早期解決を願う会」を結成
1991年 7月 住民による地域づくりを目指す「寄ろ会みなまた」発足
11月 寄ろ会「地域資源マップ」作成
国連大学との共催で「産業、環境及び健康に関する水俣国際会議」開催。参加者、考証館を見学。相思社、会場へのパネル貸出せず
1992年 4月 「子供たちにつなぐ水俣を語る市民の集い」開催。行政による初めての患者と市民が語り合う場づくり
5月 水俣市が24年ぶりに「水俣病犠牲者慰霊式」を水俣湾埋立地で開催。これ以後毎年開催。患者連盟・患者連合、水俣病互助会はそれぞれ独自の慰霊式を行い、市慰霊式には出席せず
11月 「環境・創造・みなまた'92」開催。水俣こころフェスティバル、環境国際フォーラム、環境水俣賞授賞式、「産業による環境破壊と地域社会の対応に関する水俣国際会議」などが行われた。実行委員会、国際会議パネルディスカッションに患者も参加。閉会式で市が「環境モデル都市づくり宣言」表明
1993年 1月 水俣市立水俣病資料館開館
2月 「水俣病問題の早期・全面解決と地域の再生・振興を推進する市民の会」設立総会。患者11団体を含む194団体・個人が参加。患者連盟と患者連合は参加せず。会長は水俣市長
3月 市民の会、市民大会開催。「水俣病の早期解決への積極的関与、チッソへの特別の支援措置」を国に求めることなどを決議。この後、市民の会代表者、陳情書と署名約25000人分を関係省庁などに提出
5月 市慰霊式開催。患者連盟・患者連合、水俣病互助会は独自の慰霊式開催
6月 「水俣病問題の早期・全面解決と地域の再生・振興のためのチッソ存続強化を願う市民大会」開催・水俣市議会、「環境・健康・福祉を大切にするまちづくり宣言」を決議
7月 水俣病を語る市民講座開催。以後九六年まで患者などが講師として出席
8月 みなまた環境考動会「恋路島及び水俣湾の活用を考える市民討論集会」開催
11月 「環境ふれあいインみなまた'93」開催。海に向かって、ふるさと環境交流集会、環境再生フォーラム、こころフェスティバルなどに患者が参加。同時に行われた水俣地域環境展に相思社は、ユージン・スミスの写真を展示
1994年 1月 吉井正澄市長誕生
5月 水俣市「第3回水俣病犠牲者慰霊式」開催。全患者団体及び相思社出席。市長として初めて、水俣市の水俣病の取り組みに対する反省の意を表明
6月 水俣病歴史考証館と市立水俣病資料館の連絡会議開始。以後、「水俣病資料館連絡会議」として、市関係部局を含め開催
7月 水俣市、まちづくりに対する市民の提言を市総合計画へ反映させるため「みなまた21プラン市民会議」発足。相思社職員も参加
水俣青年会議所、「水俣病と水俣の明日を語り合う青年の夕べ」開催。相思社理事長(当時)岩本廣喜の講演、パネルディスカッションに相思社職員参加
10月 「今、伝えたい水俣展」熊本市で開催。水俣病や水俣の現状を水俣以外の人に伝えることを目的に、患者、相思社、青年会議所、市民などが協力。翌年も開催
11月 水俣病歴史考証館と市立資料館が共同でパンフレット「水俣病10の知識」発行。水俣湾の魚、行政責任の2点で、双方の主張を両論併記とする・考証館と資料館の共同展「水俣病10の知識」を市立資料館にて開催
「環境ふれあいインみなまた'94」開催。「水俣の再生を考える市民の集い」にて開田理巳子さんが患者家族としての思いを初めて語る。「もやい直し」という言葉が使われた
水俣湾埋立地で水俣病の犠牲となった全ての生命に祈る「火のまつり」開催。以後、毎年開催
1995年 5月 市慰霊式で佐々木清登患者連合会長が患者代表としてあいさつ
7月 市民の実行委員会により「喜納昌吉&チャンプルーズコンサート」水俣湾埋立地で開催
8月 考証館と資料館の共同展「水銀ってなあに」を資料館で開催。国立水俣病研究センター、環境センターも協力(〜9月)
10月 「見る・聞く・話す・みなまた再発見」として市民を対象としたみなまたフィールドツアー実施。患者、被害者の会、相思社などが実行委員会に入り、協力
11月 水俣湾埋立地に患者、漁民、市民の協働による「実生の森」づくりのためのどんぐり拾い、苗とりなど実施
12月 未認定患者を救済する政府解決策決定。村山首相が政府として初めて「遺憾の意」を表明
1996年 1月 もやい直しセンター建設にあたって、計画づくりの段階から市民参加を進めるため、もやい広場(ワークショップ)開催。以後、数回実施
3月 水俣高校演劇部、水俣病をテーマにした「出発(たびだち)〜胸を張って〜」を市文化会館で上演
5月 市慰霊式に環境庁長官とチッソ社長が初参列
19日までに患者五団体は、政府解決策に基づき、紛争終結、一時金支払いのための協定に調印
1997年 2月 実生の森づくりで水俣湾埋立地に種蒔き、植樹。約700人参加
4月 芦北もやい直しセンター「きずなの里」オープン。水俣病に関するパネル展示を常設
6月 南部地区もやい直しセンター「おれんじ館」落成式
9月 考証館と資料館、「水俣病10の知識」改訂版発行