水俣病センター相思社 機関誌 ごんずい 47号> 去る五月二〇日から三日間、茨城県古河市で第七回環境自治体会議が開催された。
環境自治体とは、環境の視点を取り入れた自治体の改革であり、地球環境の持続可能性の視点からのまちづくりのあり方を模索する自治体づくりの考え方である。
ISO14001(※)取得を目指す水俣市。環境をキーワードにしたまちづくりを掲げる水俣は、どのような環境自治体を目指すのか。会議の報告とともに考える。
※ISO14001
ISO14001は、国際標準化機構が定めた環境管理システムに関する国際規格で、九六年に正式発効した。先に発効している品質管理システムiso9000シリーズに続き、企業や自治体などの運営方法が対象。国内では通産省がjis規格に取り入れ、(財)日本適合性認定協会が窓口となって民間の審査登録機関を認定、審査登録機関が申請した組織を認証する。認証を受ければ国内外で企業や製品の環境的な信用が高まり、経営の効率化にもつながる。チッソ水俣本部も来年6月の取得を目指している。また、自治体においてもその動きは活発で、すでに新潟県上越市など二つの自治体が取得し、その他水俣市も含めいくつかの自治体が取得を目指している。
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>環境自治体会議の概要
環境自治体会議は、一九九二年に発足した、自治体の長を中心として運営される環境自治体づくりのネットワーク組織です。北は北海道斜里町、南は沖縄県読谷村といった町村から、川崎市、鎌倉市といった都市自治体まで加盟しており、本年四月現在の加盟自治体数は三六となっています。もちろん水俣市も加盟しています。
環境自治体会議の最も重要な事業は、毎年五月に開いている全国大会です。会員自治体が開催地となり、市民、事業者、研究者、行政関係者が一堂に会し、全体会議や分科会での活発な情報交換やディスカッションを行ってきました。開催地の自治体では行政と市民が協力して、会議の運営にあたり、郷土色豊かな出し物や料理でもてなしてくれます。こうしたスタイルの全国大会は、一九九二年に北海道池田町で第一回を開催して以来、先頃茨城県古河市で行われた会議で七回を数えています。
この他の活動として重要なのは一、二ヶ月に一回発行するニューズレターです。現在、「ローカルアジェンダを問い直す」という特集を連載で続けており、真の環境自治体づくりにむけて、何らかの方向性を出せればと考えております。
>古河会議の統一テーマ −−− 共通目標の設定
本年五月に茨城県古河市で行われた古河会議には行政職員のみならず、ngo、企業、学識経験者などの幅広い参加が得られ、活発な議論が行われました。その内容のすべてをここで紹介するのは不可能ですが、会議全体を通して議論されたことに、「共通目標の設定」があります。環境自治体会議はこれまで環境政策に関する自治体間の情報流通を促進するのに重要な役割を果たしてきましたが、そろそろ会員自治体(と、その地域の構成員)が環境保全や持続可能な社会づくりにむけて、共通の目標を立て、政策を推進していくべきという認識に基づき、このような統一テーマが設定されました。
古河会議ではまず代表者会議(市町村長のみの会議)でこの点が議題として取り上げられ、一日目午後の基調対談でもこのテーマが取り上げられました。二日目の第一分科会においては、会員自治体の共通目標は本当に必要か、共通目標が本当に設定できるのか、共通目標が果たすべき役割は何かなど八つの論点について、活発な議論が行われました。
>二〇〇〇年水俣会議に向けての活動
古河会議での議論の結果、今後アンケート調査等によって各自治体の環境の現状や施策の実施状況を調査し、二〇〇〇年の水俣会議までに共通目標の設定可能な項目を選定し、目標達成のための施策事例の収集等を行っていくことが確認されました。今後事務局が環境政策の先進事例などの情報提供、環境評価や環境を核にした地域作りのアドバイスなどを行えるようになっていければと思います。
これを実行していくためには財政面やスタッフの強化が必要であり、逆にこのような事業の推進により、環境自治体会議に入っているメリットを今以上に増大させ、会員自治体を増やしていけるのではと考えています。
>ISO14001と環境自治体
さらに現在注目しているのは国際標準規格であるISO14001(環境管理システム)です。国内での取得企業は五月末現在、九七三になっていますが、自治体でも取得の動きが広がり、千葉県白井町や新潟県上越市、滋賀県工業技術センターが既に取得し、果ては環境庁まで取得の動きがあります。水俣市もISO取得の準備を進めています。ISO14001を取得するには、方針や目標を立て、責任体制を明確にしてそれを実行し、結果を評価するといったいわゆるplan−do−checkのシステムを行政事務の中で徹底させる必要があります。これまで行政が必要とわかっていながらなかなかできなかったシステムを一気に導入できてしまう(しなければならない)点で、環境自治体の典型的なスタイルを示していると思われます。このため、先の古河会議では、ISO14001の認証を受けることを共通目標にしてはどうかという意見も多く出されました。
しかしISO14001の環境管理システムには問題点もあります。自治体は市民や地域全体へのサービスを目的としており、企業のような閉じた環境管理システムを想定しているISO14001を構築するだけでは不充分、というような議論があります。例えばエネルギー消費削減目標は市役所の中だけで良いのか、地域全体の削減目標を掲げるべきではないか、あるいは本来達成状況をチェックするのは認証機関ではなく、市民でなければならないのではないか、というような疑問があります。
いずれにしろ、水俣市のISO取得にむけての作業の中で得られる経験は大変貴重なものです。環境自治体会議では、水俣市と今後密接に情報交換しながら、自治体の性質にあった環境管理システムとは何かについても、研究していきたいと考えています。
>二〇〇〇年水俣会議−高まる期待
来年は環境自治体会議の全国大会は開かれません。そして再来年は”二〇〇〇年”という区切りの年ですが、水俣で全国大会が開かれることになっています。二年ぶりの全国大会となるだけに、水俣会議は重要な役割を果たすものと考えられます。全国各地の人が、過去の教訓を生かしつつ意欲的・独創的にまちづくりを進めている水俣について幅広く学ぶ場として、また二〇世紀における環境自治体づくりの集大成の場となること期待しています。
プロフィール
一九五三年、静岡県三島市生まれ。八三年、筑波大学卒業後、民間のコンサルタントで自治体の環境情報システム、地域環境計画の策定などに従事。現在、埼玉大学非常勤講師(応用地理学、情報基礎)。環境自治体会議共通目標小委員会代表世話人。
>[第七回環境自治体会議・古河会議]
| 五月二〇日 | ●基調対談「人間・環境・未来−新たな局面を迎えた環境自治体会議を考える」 ●全体会 ●特別セッション「渡良瀬鉱毒事件に学ぶ」 |
| 五月二一日 | ●分科会 @ 環境自治体としての実践−共通目標の創造に向けて A 地球資源のリサイクル−再生資源をどう使うか B ダイオキシン根絶に向けて−一般廃棄物の適正処理を考える C いのちを育む森の創造−都市の果たす役割 D 企業活動をどうリードしていくか−自治体の環境監査と環境管理 E 自治体のエネルギー戦略−co2削減に向けて ●交流会 |
| 五月二二日 | ●全体会 |
>[これまでに開かれた環境自治体会議・全国大会]
| 一九九二年五月二〇〜二二日 | 第一回環境自治体会議in北海道池田町 |
| 一九九三年五月二七〜二九日 | 第二回環境自治体会議in沖縄県読谷村 全体テーマ〈地球・南北・環境〉 |
| 一九九四年五月二五〜二七日 | 第3回環境自治体会議in新潟県安塚町 全体テーマ〈都市と農村、地域と地球−響き合う環境自治体づくり〉 |
| 一九九五年五月二四〜二六日 | 第四回環境自治体会議in大分県湯布院町 〈ムラの生命(いのち)・都市の暮らし〉 |
| 一九九六年五月二二〜二四日 | 第五回環境自治体会議in北海道斜里町 〈みどりと人間の調和を求めて〉 |
| 一九九七年五月二一〜二三日 | 第六回環境自治体会議in青森県野辺地町 〈先史の心から二一世紀を見つめて〉 |
| 一九九八年五月二〇〜二二日 | 第七回環境自治体会議in茨城県古河市 〈人間・環境・未来−新たな局面を迎えた環境自治体を考える〉 |
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>古河市の西に広がる渡良瀬川遊水池は、明治政府によって足尾銅山からの鉱毒の沈殿と被害に苦しむ農民たちの運動の沈静化のため、谷中村を廃村にして造られた。現在は、広大なヨシ原が広がり動植物の宝庫となっている。 |
■二〇〇〇年に水俣で環境自治体会議が開催される。その時に水俣が何を提示できるのか? そもそも環境自治体会議とは何か?
自治体というとイコール行政と考えやすいが、自治体を形づくっているのは、まずはそこに住んでいる住民、いろんな仕事をしている事業所である。行政はそれらを支える裏方と言ってよい。国−県−市町村があって、その構造の中に住民がいると思われがちだが、それは錯覚に過ぎないと言っておこう。環境を考える時も、自治体を考える時も、大事なことはそこに住んでいる人の生活感覚にあると思う。
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>古河駅前に設置された自転車ステーション |
■古河会議の中でのエピソードを紹介しよう。最初に行われた特別対談の中で、福井県大野市の天谷市長が「大野は市内を四本の川が流れ、地下水が豊かで、上水道も下水道もない」と語ったところ、会場からは失笑がもれた。この失笑を分析して乱暴に言ってしまえば、「今時上水道や下水道がないとは、なんて非衛生的なマチなんだろう。それを良いことのように言ってるセンスを疑う」ってなものだったのではないだろうか?
以前に水俣市の教育委員会が作った環境教育パンフ原案の中に、「上水道がある地域、まだ上水道がない地域」とエリア分けがあった。この背景には近代的大工業と都市の発展があり、明治期に輸入された西洋の衛生思想がそれを補強している。しかし上水道があるということは、裏を返せば自力で飲料水を調達できない場所に住んでいるということだ。暮らしから見ればその方がよっぽどおかしなことなのに、今では地下水や井戸水で暮らしているほうが奇異な目で見られるようになった。
さらに大野市長は「上水道や下水道によって、今まであった良いモノがなくなってしまう」と述べた。それは住民が自力で水を守る生活上のつながりを無くすことの危惧であった。彼は、環境のことは理論ではなく、実学的な取り組みが大事だと語った。これは水俣で取り組まれている「地元の人が地元のことを、よその人の目も借りながら、有るモノを探し、水の巡りを調べ、地域固有の風土と生活文化を実感する」地元学の手法に通じている。
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>ほとんどの参加者は自転車で移動した |
■古河市は関東平野のほぼ真ん中にある、渡良瀬川沿いの平坦なマチだ。今回の会議は古河市のあちこちの施設で開かれたので、その間のアクセスは貸自転車が主力だった。その方法がユニークだった。プール制というか、そこにある自転車なら誰でも自由に使える方式だった。最後の人は使おうと思ってももうないということもあったろうが、全体的にはスムーズな運用だったと感じた。これは是非水俣でも実施したい。この自転車は放置自転車を、シルバー人材センターで修理して乗れるようにしたと説明された。うーん、環境自治体会議にふさわしい企画だ。
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>約500台の放置自転車が再生利用された |
■第二分科会では「グリーンコンシューマー」がテーマだった。その中で面白かったのは滋賀の北川さんだった。「古河市役所ウォッチングをした。再生紙などは結構使っている。庁内にある自販機は夜は止めているのだろうか」「地域での行政の購買力は一〇%程度あるから、グリーンコンシューマーの効果は大きい」「小さな事業所でグリーン購入を始めると、ロットの関係で仕入れ業者を泣かすだけ」「行政は住民啓発なんてやめたほうがいい。それよりできることに直ぐ取り組め」「俗物、欲望を肯定してから出発」「資源ごみという言い方を止めて、資源または原料と言おう」などなど、現場感覚からの発言だった。
そこでごみ減量に関して少々発言した。「水俣では二〇種類の分別収集を行っているが、リサイクルからリユース、リデュースへの展開に苦闘している。現時点でリサイクルできないモノは、将来資源として保管していきたい。二〇〇〇年の水俣環境自治体会議では、ごみ減量の仕掛けを大きくするエコメッセを同時開催したい」と述べた。ホントにできるのかどうか自信はないが、水俣会議の基本は現場に即した実学を語り合うものにしたい。
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>電気自動車の展示も行われた |
■反省点
・八〇〇人規模の会議は大きすぎる。どうすればいいんだろうか。
・分科会が六つ設定されていたが、一〇〇人近い参加者では話が遠い。せめて 二〇〜三〇人くらいでじっくり語り合いたい。
・地元の料理が提供されたのはとてもよかった。弁当に食材の産地や作った人 が明記されていた。
・オプショナルツアーが盛りだくさんだと選べてうれしい。
・交流会に紙コップや紙皿が使用されていたが、これはリユース食器に改善し たい。
・どこでも感じることだが、交流会での交流のやり方に工夫が欲しい。初めての人、知り合いの少ない人はちょっと寂しい思いをする。
以上は一生懸命支えてくれた古河市の方や事務局への文句ではない。この規模の会議運営が簡単じゃないことは分かっている。それでも段々と環境自治体会議らしい会議のやり方を創造していきたい願望と読んで欲しい。
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>交流会会場では、食廃油を利用したやさしい灯が迎えてくれた |
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>荒木洋子(あらき ようこ) |
>−今年の慰霊式で、お父さんに向かってという形で話されましたが、思い出されるのはどういうお父さんですか。
いつも朗らかで、いつも体を動かしている、そんな父です。一緒に魚釣りに行ったときの姿を思い浮かべたりですね。
それが発病したとたん、元々朗らかで人に好かれる人であったのが、全然笑わない人になってしまった。あれがもうびっくりしたですね。
どうして笑わせようかっちゅうて、お化粧するのに、わざと口紅なんか真ん丸く、面白くしたりして。それを寝床から見ているわけです。「父ちゃん、こう」て見せたら、にこっと笑ろた。そのとき一回だったですよ、何回も通じないから。
>−お父さんは公式発見の前に発病されたんですよね。
そうですね。もう、病名が分からなかったのでいろいろ苦労したんですよ、家の方角が悪いんじゃないかと言われてお参りに行ったりとか。最初、ふらふらしながらも、あっちこっちうろうろと親戚の家に行って迷惑かけて。もう正常な頭じゃなかったんですね。
親戚の人たちは、私やら母がそんなになしてしまったんだち言うて、もう白い目で見るっちゅうかそんな感じやったです。いくら説明しても分かんなかったです。それがつらかったですね。
>−そういうお父さんのことを、今、どういう思いで話されましたか。
なんちゅうんですか、一口に言ったら思い出したくないっちゅうかですね。今、親戚の人たちも分かってくれましたけど、水俣病ていう病気でそんななったんだちゅうのが。自分たちも体が弱くなって亡くなった人もおらすからですね、申請もしないうちに。やっぱりみんな魚食べてるからですね。
>−昨年から市の慰霊式に参加されるようになったということですけど、その理由といいますか、何か許せないことが許せるようになったとか。
別に理由てないんですけど、一応解決案があって、落ち着いたっち言えばおかしいですけど。今までは、やっぱり行政に不満があったからですね、今さらという感じで。それが市のいろんな人が水俣病に取り組んでくれなるようになって、行ってみようかなって気になったんです。
それまでは、私たちは百間の排水口のそばにお地蔵さんを祀ってますので、あそこで慰霊式をしよったんです。今年もお参りには行ったとです。
>−ご主人の止さんは未認定で、洋子さんも未認定患者運動に積極的に参加されてきましたが、止さんに代わってという思いはありましたか。
今入院しとって、個室ではないし、そんな話病院ではできないからですね。ただ「慰霊式に行って話さんば」ちよーて。それくらいで、聞こえたか聞こえんとかなて感じでした。耳が遠くなったから、病気のせいで。
>−五月一日というのは、原爆投下の日などと違って、インパクトが薄い気もしますが。
普通の人にとってはですね。今度の慰霊式でも、隣の人が「なんで五月一日にしらすとだろか」ち、たぶんよそから来とんなはる人だったんでしょ、そげん言いよんなはったです。
私にも、公式発見の日ちゅうだけで、別にその日じゃなくてもいいという考えはあります。
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>慰霊式にて |
>−そもそも慰霊とはどういうことだとお考えですか。
今の水俣はこんなこんななってるんですよち、亡くなった人に教えるような感じで私は話したんです。もう父、母なんかが魚釣りしてた頃の海とは違うんですよ、排水口から出ていたヘドロは埋め立てられて、資料館とかいろいろできて、変わったんですよち。
>−それで慰霊式は今、資料館の横の水俣メモリアルでやられるわけですけど、そのことについてどう思いますか。
特にどうとも思いません。埋め立て地でせんと意味もないちゅうのも分かるけどね。私としては、小学校に入るまで百間にいましたから、百間のお地蔵さんの方が気持ちがあります。「あ、鬼がいた、あそこに見えた」とか言ってかくれんぼしたり、走り回って遊んだ場所ですよ。
>−最後に、よそから来る人に伝えたいことはどういうことですか。
解決案で一応終わったてなってるけど、やっぱり患者が生きてる間は終わったことにならんのですよね。毎日毎日を、私にしてもだけど、病気とたたかって、それでも一日でも長く生きようと、好きなものも食べなかったり。それでもコントロールできなくなれば、点滴打ったり入院したりとかせなならんようになっでしょ。今日は無事に生きられたなち、夜、床に就いても、夜中に苦しくなって起きたりとかするですけど、人に言わなければ人には分からない。そんなふうで不安がいつもあります。
相当の水銀が流されてるんだから、認定されてなくても、それで冒された患者は多いんだということです。病気とたたかってる人が多いちゅう、それを伝えたいですね。
(聞き手 神沢聡、林田緑)
> 思い起こせば私たち一家の水俣病は、昭和二九年頃のおとうさん、あなたの身体の異変に始まりました。
昭和十年頃、私たちは水俣湾の奥にある百間に住み、あなたは時計屋の本業を忘れて魚を採っていました。魚がご飯だった暮らしを思い出します。幼児の私は、百間港に置かれていた材木の上や、潮干狩りで毎日遊んでいた記憶があります。
私の弟や妹は小児マヒで亡くなったと聞いていますが、本当に小児マヒだったのでしょうか。戦後もちょっと落ち着いた昭和二九年頃、あなたは身体がかなわなくなり、船から落ちることもありました。そして、目が不自由になり、ついにはキセルに火をつけることも出来なくなってしまいました。
とうとうあなたは孫の顔を見ることもなく、私たちの元から去っていってしまいました。そしておかあさん、あなたも孫の運動会を見ることもできなくなった身体のまま、おとうさんのもとに行ってしまいました。
水俣病の苦労はそれで終わりではありませんでした。私が水俣病に認定され補償金を手にしたことで「おっどんも、水俣病にでんならんば」と、陰口が聞こえてきたこともありました。子ども達に送る野菜や果物といっしょに、水俣の名前の入ったタオルを入れれば、子ども達は迷惑顔でした。
しかしあなた達がいなくなって、それから長い時間が経って、水俣は大分変わりました。水俣湾の水銀は埋め立てられ、明神の丘には水俣病の資料館さえ作られ、全国から人々が水俣病を学びにやってきています。水俣病の語り部達の話は、聞く人の心を開いているようだと言われています。
昔私たちに陰口を言っていた人も、九五年政府解決策をひとつの区切りとして受け入れた私たちの気持ちを、分かってくれる人が多くなったと思います。
私たちが苦しい毎日の中で続けていた裁判を支えてくれていた人達は、今でもあなた達のことを忘れてはいません。水俣の人達の気持も、今では少しずつ和らいで、差別のない隔たりのない町にする努力が続けられているように思います。水俣を出てよそで暮らす人達も、もう一度水俣に帰りたいと言っているのを聞きます。
父や母とともにこの地に眠っておられる皆さんの尊い生命と、数え切れない病苦の数々は、この町が被害者や被害にあった生き物への祈りに包まれる時、そして水俣の人々の暮らしが環境や健康を第一とできるようになった時、初めて報われるのだと信じています。
ここに眠る多くの水俣病犠牲者の皆さん。世界中の人々がこの水俣で起きた水俣病事件の教訓を、人間の生き方そのものにできる日まで、どうぞ私たち遺族と、水俣に住む全ての人々、そして水俣と水俣病の犠牲者に心寄せ続けてくれる人々を、見守り続けて下さい。
そして、安らかにお休み下さい。
>一九九八年五月一日
荒木洋子
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>鬼塚巌さん |
去る五月二八日、元チッソ第一組合員で、水俣を記録し続けた鬼塚巌さんが肝臓疾患のため亡くなった。享年六九。
水俣で起こることをじっと見つめ、鬼塚流とも言える独自の表現で記録し続けた鬼塚さん。水俣病歴史考証館では二周年と三周年の開館記念特別展として、「鬼塚巌の世界−写真で見る水俣の変貌」(九〇年)、「水俣の記憶・記録・証言−花田俊雄・鬼塚巌二人展」(九一年)を開催させていただいた。
昨年十月には、やはり元チッソ第一組合員で、生まれ育った水俣を描き続けた花田俊雄さんが逝かれ、とうとう鬼塚さんも逝ってしまわれた。
静かな物腰と膨大な写真・証言群。鬼塚さんは身をもって、記録し続ける意志とはどういうものかを私たちに指し示してくれた。
鬼塚さん、ありがとうございました。
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| 吉永利夫 |