機関誌 ごんずい 50号
目次
特集 ごんずい50号をふりかえる」……2
ありがとうございます/吉永利夫…2
思い出してみれば/歴代編集長鼎談……・5
1〜50号の軌跡…・12
問題提起!システム社会への同化/緒方正人……・14
ごんずいインタビュー第5回/ポール……20
新譜紹介/柏木敏治「水俣を唄う」22
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| 考証館を見学する子供たち |
特集 ごんずい50号をふりかえる!
「ごんずい」五〇号を発行することができました。購読料をいただいてる方をはじめ、維持会員になっていただいたり、ミカンやリンゴの購入をして頂くなど、様々な形で相思社を支えていただいている皆さんのおかげです。ありがとうございます。
吉永利夫
ありがとうございます。
これまで相思社が発行してきた通信物は、初期の頃「相思社だより」を不定期発行し、地域の人々に直接手渡したり、生活学校通信や考証館準備のための通信物もありました。また「熊本・水俣病を告発する会」発行の「水俣−患者とともに」が、実質的な相思社の広報媒体となっていた時期もあります。
そして一九八九年の「甘夏事件」を契機に、九〇年四月から発行した「相思社だより」を、九二年五月の一〇号から現在の「ごんずい」と改称し、誌面のデザインも一新して発行してきました。
「ごんずい」の評判は、「デザインが洗練されていて読みやすい」「水俣のことがよく分かる」などとおおむね好評です。もちろん「軟弱な記事が多い」「水俣病の記事が少ない」などの批判もいただいています。
>毒のある相思社に
「ごんずい」は水俣湾にも生息し、黒と黄色の縦縞が美しいヒレなどに毒がある魚の名前です。海の中で身を守るために、「ごんずい玉」と呼ばれる仲間同士の固まりを作って泳いでいます。雑魚で毒があって味がよいという点を、相思社の姿勢やそうありたいと願望として、相思社の機関誌に名前を借りた理由です。いつまでも社会にとって、多少は毒のある相思社でありたいと思っています。
現在平均四〇〇〇部を作成し、誌面のデザインは東京の市川事務所に、印刷は福岡の和光印刷に多くの迷惑をお掛けしながら発行しています。
>何を作りだしたのか
発行当初から「…でした」ばかりの報告記事や、相思社のメッセージ中心ではなく、水俣病事件を深く掘り下げ、現状よりも少し先の水俣や水俣病の問題が見えるように努めてきたつもりです。五〇号を発行し続けた八年間の間に起きた一番大きな出来事は、熊本県や水俣市が進める「環境創造みなまた推進事業」の展開でした。
「ごんずい」の誌面を振り返れば、水俣市民にもっと直接的に、そして多面的に水俣病事件を捉えなおしてもらうための、相思社の変化が見て取れます。あれから10年が経ちました。水俣市民の人々とともに、何を作り出そうとし、何が作り出せたのかを自問しなければならない時期に、相思社が来ていると思います。
>環境主義?
相思社での私達は、これまでに多くの人々と知り合うことができました。患者運動を唯一のエネルギーとしてきた相思社にとって、それは新たなエネルギーの注入といえるものでした。そして活動の方向が直接的に水俣病問題を取り上げることから、環境や教育といった間接的に水俣病を捉える方向に動いてきました。
こうしたことは予想していたことでもあり、「環境主義の相思社」として批判的に捉えられている部分でもあります。
水俣は水俣病を抜きには語れない町です。そのことを内外に訴えるために、行政が中心となった「環境創造みなまた推進事業」は大きく貢献したと言えます。そして最近の水俣市や熊本県も、水俣病から「環境」へキーワードを変化させ次の展開を模索しています。
>現実へのこだわりを
個々の被害者の強大なエネルギーを、その牽引役として展開してきた水俣病事件は、「環境問題」としての次なる展開を容易に進めようとしません。水俣での経験を普遍化させるための「環境」は、まだまだその行き先は見えてきません。水俣病患者の思いや境遇や、市民一人一人の「魂」のようなものを、私達はどのようなメッセージにして、「環境化」できるのでしょうか。
東京の後藤孝典弁護士から、「水俣大学建設予定地」だった水俣市湯の児地区の山林約三〇万uを、昨年寄贈していただきました。全く資金力のない相思社が、様々な人々の知恵と力を借りながら、水俣病とともに環境や教育や自然にこだわり続けるため、新たな発想の転換が求められているのかもしれません。
水俣病四〇年の歴史の流れは、世代交代を確実に始めています。私たち相思社の職員と同世代の人々が、この町の中心を担い始めています。水俣病事件が訴えつづけてきた「人として、市民としての生き方」や、「自分の命の値段は、自分が決める」といった、自治と自立の思想を、こうした多くの人々と共に考えつづけていきたいと思っています。
四〇年間の間に水俣病事件が作り出してきた、様々な「塊(かたまり)」を中心に置きながら、私達は水俣の現実にこだわり続け、一〇〇号目に至る「ごんずい」を、これからも発行し続けていきます。
これからも、皆さまのご支援ご協力、よろしくお願いいたします。
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あわてて「写るんです」を買ってきた。
左から、小里、吉永、遠藤
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ごんずい歴代編集長鼎談
align="right">吉永利夫/遠藤邦夫/小里アリサ
聞き手・神沢聡
- 遠藤
- この十五号の表紙ってさあ、墨を飛ばして作ったんだ。この点々。
- 吉永
- デザイナーがやったんだよ、デザイナーが。
- 神沢
- デザイナーって誰ですか?
- 吉永
- じんちゃん。
- 神沢
- 徳久さんですね。
- 小里
- 二一号までで徳久君が辞めたのは結構大きかったよね。批判して、相思社の。
- 遠藤
- そうそう、どう言ってもお前ら変わんねえじゃねえかよー、もういい、俺はとにかく辞めるってね。
- 吉永
- いらん世話たい。
- 遠藤
- 徳久の時代は全部自分でレイアウトしてるんだよ。切り貼り版下で。
- 吉永
- あれ、じんちゃんじゃなきゃできないからね。
- 小里
- だから、徳久君が辞めるからもう編集できないよって、市川事務所にお願いするようになったんだよ。
- 遠藤
- ところで、カメラは?
- 神沢
- あ、持って来なかった。
- 一同
- 大ばかもの!
>
相思社の変遷を映し出してきた
- 吉永
- じんちゃんが辞めたあたりから、ほら、二三号の「水俣を見る・読む・思う」とか、水俣病そのものじゃないものが出てきた。
- 遠藤
- そう、水俣病から、地域としての水俣に変わってきた。
- 小里
- 編集長が遠藤に変わってね。それと、私になってから、グリーンツーリズムだとか環境自治体だとか、もう全然違うことをやりだした。
- 遠藤
- もう一つたがが外れたんだよ。俺なんか、それでもほら、仕切網だのさ、やってたんだよ。
- 吉永
- 編集長の意向というのもあるけど、相思社の姿勢だよな。相思社が変わってきたことを反映してるんだね。
- 小里
- そうだよ、以前は患者運動のこともかなり書いてたしねえ。最初はやっぱり、甘夏事件(八九年)で相思社どうなっちゃったのということをきちんと伝えなきゃいけないというんで、水俣病のこと相思社のことがかなりウェイトを占めて当然だったんだけどね。それと、やっぱり編集が吉永だったからじゃないの、一号(九〇年)から五号(九一年)まで。
- 吉永
- 五号までだっけ?
- 遠藤
- そう。それから、六号から二一号(九四年)までは、基本的に徳久の時代。二二号から三二号(九六年)まで僕、三三号以降今までが小里。
- 吉永
- 第一号はまさに甘夏事件のお詫びだよ、検討委員会の答申をそのまま載せてね。で、「これからの相思社」というのが四号まで続く。それに尽きますね。
>悩める時代
- 小里
- で、六号からじんちゃんの編集なんだけど、この時期は相思社はどうするのかっていうのを一番悩んでいた時代。
- 吉永
- あれがあったね、考証館で展示していた葉書のこと。
- 神沢
- 「水俣病患者へのいやがらせ」パネルが、逆に差別をばらまくことになるのではないかと指摘された。
- 吉永
- ああいうことが起きたときに、いろんな意見を書いてもらったり、俺達の姿勢を書いたりというごんずいの伝え方ってのがあるよね。
- 神沢
- そうですね。例えば、九号に色川大吉さんの批判と提言というのが載ったり。
- 遠藤
- 色川さんは、「環境などという体制用語は使うな。共生とか優しいとかふやけた表現もするな」って言っている。俺もこういうの好きだけど、相思社の路線はそうはなっていない。
- 吉永
- だからさあ、俺達、歴史認識は一緒なんだけど表現の仕方を変えようとすると、歴史認識まで変えたみたいに思われちゃう。
- 遠藤
- 歴史認識だって変わるんじゃないの? それから、名前変えたでしょ、十号から。それまでは、「相思社だより」だったのを。これは、大きかったね。
- 吉永
- この「ごんずい」って名前を提案したの誰だか知ってる?
- 神沢
- そう言うってことは吉永さんなんでしょ。
- 吉永
- そうだよ。最初みんな何て言ったか知ってる? 「えー馬鹿じゃねえの」って言われたの覚えてるもん。
- 遠藤
- 「相思社だより」って、何て言うのほら、いかにも運動団体の通信のイメージがあって、それじゃ面白くねえっていうんで。
- 小里
- 本屋でも売れるものをというコンセプトだったんだよ。
- 遠藤
- そうそう。水俣病に関心のない人にも買ってもらえるようなものを作ろうというのが変えた理由なんだ。
- 小里
- メジャーになろうと思ったんだよ。
- 遠藤
- だから、「がらかぶ」だってよかったんだ。ただ、水俣病が題名に入らないというのが大事だったよね。
- 吉永
- 運動じゃないんだよというね。なんと言うかな、同質の世界に閉じてしまうのではなくて、展示で言えば模造紙にマジックで書く雰囲気ではなくて、もうちょっと訴えるためのテクというか、姿勢みたいなものがあっていいんじゃないかというのがあった。
- 小里
- だから、これも東京まで行ってレイアウトをしてもらっている。
>もやい直しの動きの中で
- 小里
- こんなに大量に水俣の人が登場したのも、この二三号が初めてだよね。だから、このときまでに、こういうネットワークができてたんだよ。
- 吉永
- そうね、やっぱり一連のもやい直しの動きとの絡みだね。いろんな会議に俺らが出て行くようになった。
- 小里
- これ何年? 九四年か。ということは、吉井市政が誕生した年。それで、慰霊式で反省の意を表明して、いろんなことが始まった年なんだよ。七月に21プラン市民会議が発足して私が参加して、青年会議所と「水俣病と水俣の明日を語り合う青年の夕べ」ってのをやったんだ。
- 吉永
- 結構前からこんなことやってんだ。
- 神沢
- この十九号に吉井さんが書いてるでしょ。ちょっと驚きなんですけど。
- 吉永
- 九三年、市議会議長としてね。でも、県議にも書いてもらっている。
- 小里
- 確かに、この年はまだ、患者連合・連盟は市の慰霊式に参加していないし。
- 遠藤
- 行政の人が出てくるのはそれが最初じゃない。十三号に載ってる。まだ九二年なんだけどね。
>
フィールドミュージアムの一部として
- 小里
- 最近、考証館の比重が落っこってるよね。
- 遠藤
- 書こうと思うことがない。
- 吉永
- 子どもたちにさ、俺だって反省はしてるけど、難しい言葉を並べて、工場排水がどう出て、アセトアルデヒドがどうなんていうパネルを見せるよりも、三四号の紙上幻想展の「魂との対面」みたいなのだとか、現金一五〇〇億円(賠償総額)を展示するとか、もちろん一番上だけ一万円札だけど。そういう方がよっぽどいいのかもしれない。今のパネルだと、あーそうかで終わっちゃうんだよ。
- 遠藤
- うん、自由に考えるという回路が働かないから。要するに学校だから、知恵を注入するという。でも、一五〇〇億円どーんというのは、いろんなこと自由に考えれるじゃない。「一五〇〇億円欲しいなあー」でもいいし。だから、考証館の問題はそこだよね。考証館で水俣病を伝えられると俺達が思っていない。
- 小里
- 考証館作るときからあるのは、ここは一通りのベースが得られる場所ということであって、村で人間関係がどうだったかとか、じいさんばあさんがどういうことを言ってたかっていうのは、館の中に入らないで分かるということが意識されていた。その外の方を重視して、中を変えてくのに力が割けなくなってきたっていうこともあるんだよね。
- 遠藤
- そうそう。琵琶湖博物館の図録に書いてあったけど、シンポジウムをするとか、フィールドワークするとか、研究するとか、資料の整理をするとか、そういうこと全部集まって博物館の機能なんだよ。それがない単なる陳列しているだけの博物館というのは、実に展開がないというか。だから、そういう意味では、相思社はやってるんだよね。まち案内するとか、グリーンツーリズムやるとか。その中に、ごんずい出すのもあるしね。それが、(市立)資料館の考えてることと全く違うから頭来てんだよね。でも、今の考証館も、展示としては資料館とおんなじ。ちょっと主張が違うだけ。
- 吉永
- 大人は、反行政、被害者側みたいなのを評価してくれるけど、子どもにとっては全く関係ないね。まあ、考証館には実物があるから、少しさわったりなんかできるのが違うけど。
- 遠藤
- 基本が学校なんだ、社会中のありとあらゆるものが。そうじゃあない逸脱したもんがおもしろい。
- 小里
- 水俣に来てさあ、感じられるところがどれだけあるかってことだよね。理解は後でいいんだよ。
- 吉永
- 小学校の校外学習で水俣に四時間しかいなくてさ、環境センターと資料館と考証館という。俺、あれはやめて欲しいな。
- 遠藤
- 語り部の話を三〇〇人のホールでっていう話が出てるじゃない。それって、語り部じゃねえだろう?
- 小里
- 水俣の適正規模があるんじゃないですか。きちんと感じるための。
- 吉永
- 人数以外の評価軸を持ってる人が少ないよね。
- 神沢
- 一人ずつしゃべって下さいね。
- 遠藤
- そういうのできないよね、俺達ね。
>水俣を伝えるということ
- 遠藤
- そんじゃ、そろそろ本題に行きましょうか。
- 神沢
- ふん?
- 吉永
- ふんじゃないよ。俺ら話終わんねえよ。
- 神沢
- そしたら、それぞれの編集長の編集方針を。遠藤さん以降のところで。
- 遠藤
- げっ。一つは、水俣病から水俣へ活動を広げようというのがあって、相当何をやってもいいんだとは思ったよね。例えば二七号「石の記憶」。水俣病と何の関係があるねんという
- 小里
- いきなりなんかあっちの方へ遠藤は行ってしまったと。
- 遠藤
- でも、これ、ずいぶん恐る恐るしたのね。一応バランスを取るために、後半に水俣病のことを入れてるでしょ。小里の時代になって、それもなくなってしまった。
- 吉永
- 水俣病って、ストレートなでしょ。
- 遠藤
- 裏を返せば、水俣病がストレートには伝わらないと思い始めてるということだよね。
- 小里
- 私の方針としては、水俣にどんな人が生きているのかというのを伝えたいというのがあった。患者と支援者だけが住んでる水俣じゃないんだよという。水俣全体を知るメディアにしたいと言ってもいいかな。水俣こんなに面白いんだよというね。
- 神沢
- でも、相思社の核はあくまでも水俣病だとこの間言ってましたよね。
- 小里
- なんて言うのかな、水俣病って、人間の課題としてとっても大きくて、全然水俣病と関係なく見える特集というのも、水俣病の水俣だからこういう動きがあるんだよ、というのが基本にあって作っているつもりだった。
- 遠藤
- 水俣病を水俣病の知識だけで伝えないとするとどういう切り口があるかというと、グリーンツーリズムだったり、人に会うだったりという話。
- 小里
- それと、実際水俣に動きがあるというところで作ってるというのが重要じゃないですかね。
>
何を言ってもいい
- 吉永
- 遊びというか、そういうのなくなったよね。忙しくなったからかな。
- 遠藤
- 遊びはあるよね。ごんずいは遊び雑誌だよ。今は中身が全面遊び。
- 神沢
- 次は、自分の一番好きな号はどれですか。
- 小里
- 私はやっぱり、食べ物の号だな。でも、これはむしろ人なんだよね。この人のことを紹介したいというのがあって、人を食べ物で見せている。
- 遠藤
- 四四号ね。
- 小里
- それと、水俣湾の魚のことはいつもネガティブに扱わなくちゃいけないような雰囲気がある中で、相思社から「食べよう」と言っている。
- 遠藤
- 画期的だよね、食おうって言うのは。運動の中では、汚染がひどいからこの魚が食えるかと言いながら、そしたら下がったら食えるのかということを言わない。要するに、今までの主張からすると不都合なこと。
- 神沢
- 規制値を下回ったということですね。でも、規制値自体に意味があるのかというのと、今また微量汚染が問題になってきている。
- 遠藤
- でも、それは何て言うの、じゃあ何が食えるのかという話でしょ。汚染があったら食わないかと言うと、汚染がない食べ物どこにあるのという話だからね。それと、水俣湾の調査が必要というのは言い続けている。
- 吉永
- 昨日もアジもらったんだけど、水俣湾のね。うちの史斗(息子)がさあ、「おい食べていいのか」って聞くわけだ。「相思社のお前らが水俣湾の魚を食べるのか。昔言ってたことはどうしたんだ」とは言わないんだけど、明らかに茶化してんだよな。
- 小里
- だから運動の中でね、議論ができないことに、相思社は加担してたと思うんだよね。そこらへんを相思社から壊していきたいというか、何を言ってもいいんだみたいなことを意識してたときがあったと思うね。
>
一歩先を目指して
- 神沢
- それじゃあ、最後に、ごんずいは今後何を目指すのか。
- 吉永
- 投稿というのも前は盛んだったような気がするねえ。
- 遠藤
- 盛んだったんじゃない。苦労して集めたんだよー。でも、読者の欄をちゃんと作るというのはいいかもね。結構読むから。俺も、「週刊金曜日」の読者の欄しか読んでないし。(笑)
- 吉永
- じんちゃんがやってた「相思社へのおたより」、文章をいちいち添えてんのね。でも、来た手紙より長え。
- 遠藤
- お前の文章が長すぎると言って徳久と喧嘩した覚えがある。(笑)
もう一つ、反応ということでは購読料なんだよね。ずーっと変わってないよね、年間八〇万前後。費用が三〇〇万くらい、送料と印刷費で。購読料で賄えるのが理想だけどね。
- 吉永
- 購読料が変わってないのは、やっぱり魅力がないんだろうね。でも、水俣ではだいたい評判いいよ。
- 小里
- 水俣病に関心のない人にも買ってもらうということでは、ごみリサイクルの特集が興味あるから購読するとか、グリーンツーリズムの特集を組むと新聞社が送ってくれとかいうのはあるよね。まだまだですけど。
- 吉永
- 相思社の姿勢みたいなのを出していくのが原則的にあって、あとはやっぱり、ちょっと前を行くというのをやりたいね。グリーンツーリズムもそうだけど。
- 小里
- 次は検証グリーンツーリズム?
- 遠藤
- グリーンツーリズムという名前がいいのか気にはなってんだけどね。一つは、グリーンツーリズムの主流が多分、俺たちが水俣でやろうとしていることと離れていくだろうから。
- 吉永
- うん、少し先の話を出して、それを検証しながらやってみて、戻ってこうだったみたいなね。もやい直しを二回特集しているのも、多分そういうことなんだろうね。やったときは、前にやったの忘れてて、やべーと思ったけど。(笑)
- 小里
- これだもん。
- 神沢
- 終わりそうにないですね。
- 小里
- まとめる方としちゃ、大変だと思うよ。
- 吉永
- それで、できた原稿に文句言うんだろ。お前あの話をこうやってまとめるわけとか言って。(笑)
