機関誌 ごんずい 64号

ごんずい 64号 目次

特集 : 暮らしの中のモノ創り…・ 2
      ワンダーランド石飛で、三代目は力いっぱい働き、力いっぱい遊ぶ/天野浩… 3
      松崎重光さんと悦子さんの二人三脚のすり身/川部岬 …… 6
      吉井さんはサカヒラにイシガキをツク/神沢聰 ・ 10
      村川さんは妥協しないでホンモノの油を絞る/遠藤邦夫 …・ 14


      2001ハイヤから学んだこと/三浦恒夫 …… 18
      グリーンツーリズムのページD/小里アリサ … 20

特集 暮らしの中のモノ創り

 今回の特集の背景には以下の仮説を実証しようという意図があった。
 仮説その一:自分たちで暮らしを創ることは、同時に自分たちのコミュニティーを創り・自治することである。


 昔はなんでんかんでん自分たちで作っとった。食べるものは田んぼや畑からだけではなく、野山や海辺からも採取するし、道具類も農具の柄は雑木山の樫の木を使っていたし、棚田の石積みに使うノミを鍛えていた。
 例えば、しょけ(竹ザル)、材料は家の裏に生えている真竹。技術は親から習ったり、季節毎に回ってくる竹細工職人の技を見て、すかさず自分でも真似てみたのだろう。例えば石積み、古里地区に石積みの堰がある。佐敷あたりの職人に頼んだようだが、村の人たちは手伝いながら、その技術を盗んだにちがいない。例えば自前でゲストハウスを建てた天野茂さん、「近所で家作っときはトンカチと釘袋を持って手伝いにいく。そん時に大工さんがしよらすとをちょこっと見とくたいな」と語る。

 「今日はあまり喜ばれぬ大人の真似、小児はその盛んな成長力から、ことのほか、これをすることに熱心であった。昔の大人は自分も単純で隠しごとが少なく、じっと周囲に立って視つめていると、自然に心持の小児にもわかるようなことばかりをしていた」(定本柳田国男『こども風土記』より)。技術を習得するためには、言葉から入るよりは実地に見せてもらうほうがよく分かることは、経験的に明らかだ。

 商品経済の普及は、煎じ詰めればモノやサービスに凝縮された他人の労働の結果を、貨幣で買うことに他ならない。村内で交わされた労働交換は結いと呼ばれ、もやいはみんなの暮らしを支えるための労働だった。これらはどちらも生きた労働そのものだった。そのために共同体内部や周辺に、多種多様な技術や資源があったのだろう。結い・もやいは商品化を介在しないモノやサービスの交換によるコミュニティー創造行為である。

 仮説その一を逆から言えば、
 仮説その二:生きた労働よりも労働の結果の方が重要視される社会では、住民の自治能力は衰退させられる。
と言えるのではないだろうか?


ワンダーランド石飛で、三代目は力いっぱい働き、力いっぱい遊ぶ

天野浩さん
天野浩(あまのひろし)
1975年6月2日、水俣市石飛に生れる。
祖父時光の代に石飛に開拓団として入植。2代目茂の長男。

水俣に戻り、大地を耕す仕事をやり始めて6年目。
色んなことに気づき驚きました。
そんな中で感じたこと、わかってきたことを書きます。


石飛より始まる

田んぼに水が張られ、カエルの鳴き声が「ゲロゲロ♪」と聞こえ始めてくると、いよいよ私が住む石飛がにぎやかになってくる。石飛は水俣の奥地。標高五二〇mの山の頭上の盆地のようになっているところにある。世帯数は十六。人口は、「えーっと、ウチが五人だろ、敬ーいっちゃんちが三人、ひろ君ちが六人で、後は…」合計五四人の集落だ。石飛は本当に山の中だけども、若い人(三〇代以下)が十六人いる、わりとパワーがたまってる集落だ。何でこんなに残っているのか、一人一人聞いたことはないけれども、自分と妹においては、「住んでいて気持ちが良いから!」「親が楽しそうにしてたから!」である。
そう言えば、友達の姉妹もわざわざ街中から石飛に越して来て楽しくやっている。近所の幼なじみは、お勤め辞めて「自分ちで物作りをしたい!」とか言ってるし、とにかく住んでいてワクワクする場所である。自分はそんな、場所でお茶作りを中心に生活している。
田んぼを去年から作っている。昨年は「無農薬栽培だっ!」と意気込んでやったはいいが、草に飲み込まれてしまい、草をかき分けて稲を探してはカマで刈りと、悲惨な稲刈りであった。今年は教訓(?)を生かし田んぼ作りからしっかりやり、GWに田植えを終わらせた。今のところ順調に育っていただいているところである、今年は頼みますよ!
石飛は田植えを終えると、何だかソワソワしてくる。いよいよ、お茶摘みが始まるからだ。石飛の一〇軒の家はお茶専業もしくは、兼業で食べているので、村中の稼ぎ時なのである。

田んぼ担当は浩君だ
田んぼ担当は浩君だ。
去年の教訓を活かして、田んぼのあぜを直す。
春の石飛はこれから忙しい。
奥の茶園の下から水が湧き出している。


青空と茶畑

五月。新茶の時期は気持ちがいい。何がイイのかと言うと、若草の香り、ポカポカお日様の匂い、心地よい風、真っ青な空、何もかもが気持ち良い。そんな最もお気に入りの季節にお茶農家は大稼ぎする。ひたすらにお茶を摘み、加工して製品にしていく。時期勝負である。ある人は、「お茶摘みは戦争たい!」とも言っていた。確かにそんな感じが近いかなあ・・。新茶はとにかくうまい。うまくてしかも安全で、安心しきって飲めるなら申し分ない。という訳で我が家は、無農薬有機栽培である。
さらに、畑には目に見える生き物もいれば気付かない存在もある。農薬、化学の資材を使わなくなり、明らかに土が変わった。色んな表情を見せてくれるようになった。どんなものでもそうだと思うのだが、人と同じなのである。色んな顔を見せてくれたことは、本来の姿が出てきたこと。やっと「ちやんと向かいあって仕事が出来るぞ」と、最近思っているところである。

晴れてくれると都合がいいのだけど

あるもの探しの案内人 天野浩
あるもの探しの案内人 天野浩
尊敬する親父 でもいつか越えるぞ
尊敬する親父 でもいつか越えるぞ
人を呼び寄せるイロリ端
人を呼び寄せるイロリ端



五月中旬までの新茶のお茶作りが終わり、少しホッとしていると、「あっ!田んぼ! 畑!」とか思い、草取りなどしていると早や六月。今度は早場のお茶畑が、二番目の芽を動かして二番茶摘みが始まる。また、怒涛の日々の始まりである。今度は新茶の時とは気持ちがダイブ違う。重い。しかも、天気も重い…。雨ばかりで「さあ! 晴れた!」と思えば、今度は暑い。しかも、虫、病気などいよいよ気合入れて動き出しているので、気が抜けない。草も気合が入ってる。結構大変な時期である。
お茶摘み後半は「終わったら、どっか行くぞ!」が唯一心の支えである。お茶農家の大半は、二番茶を緑茶に加工するのだが、我が家では、在来種のお茶っ葉は完全発酵させて紅茶にする。色んな方のお陰で評判良く飲んでいただいている「天の紅茶」はこの二番茶の収穫の季節、六月中旬あたりが新紅茶の時期なのである。工場は、自宅の近くにあり、毎晩遅くまで紅茶を作っているので興味がある人は来てみては? あっそうそう、この時期は石飛の夜は、ホタルがムチャクチャ飛んでる。あと、「ワッ! ワッ! ワッ!」とひたすら鳴く鳥もいるので面白い。一昨日、鳴いてたな・・。

いよいよ来た!

何とか二番茶を乗り切った。七月。いよいよ、あと残すは、早場の三番茶のみ。お茶は肌寒くなるまで芽が出続ける。が、お茶の樹には来年も再来年もこれからずっと、お世話にならなければならないので、ほどほどで茶摘みをやめ木を休ませてあげる。その、次の年に疲れを残さない一杯一杯のところが大体七月。で、ぎりぎり、早場のお茶が摘める時期なので摘む。摘み終えれば、「お疲れーーー!」解放である。
水俣が大いに遊べる季節「夏」。農家の仕事は山ほどあるけど、やることやればいい。融通はきく。川に、山に、旅に、「某お茶農家Aさん」筆頭に楽しむ。ここから、また、来年のお茶摘みまで焦らず準備をすすめればいいのである。しかし、ついつい調子に乗って遊び過ぎて、楽しみ過ぎてしまって、秋に半分べソかきながら仕事をする天野家の姿がある。

出会いは宝

次の年のお茶摘みに向けての準備はだいたい十月までに終わってしまう。田んぼも、九月初旬には稲刈りを終え、美味しい新米をいただいている。
天野家は、囲炉裏小屋を作ってから、色んな人が来るようになった。石飛は本当に山の中で、自分たちが水俣の市街地に行くのに腹を決めて行く位なのに、たくさんの人がわざわざやって来る。しかも、面白い方が圧倒的に多い。話すと刺激を受けることがほとんど。自分は居ながらにして、自分の幅を広げられる。最高にありがたいことである。
囲炉裏は自分が農の道を歩きはじめた時期とほぼ同級生。自分の劇的な変化の人生が、あそこの囲炉裏から始まり、共に刻んでいる。


松崎重光さんと悦子さんの二人三脚のすり身

松崎重光さんと悦子さん
松崎重光(まつざきしげみつ)
1941年芦北郡津奈木町福浦生まれ。
松崎悦子(まつざきえつこ)
1944年天草郡大矢野町生まれ。芦北町女島池ノ尻で育つ。
1966年結婚。1968年芦北郡芦北町女島天口に居を構え、
漁業で1男2女を育てる。現在は夫婦2人で暮らす。

聞き手・構成/川部岬

まだ湯気の立ち上るすり身に歯を立てる。きつね色の皮が割れて、スポンジ状になったすり身から油と肉汁がこぼれ、口いっぱいに広がる。ふわふわっとした口当たり。噛めば噛むほど、味が出てくる。ケシ粒ほどに砕きに砕かれた小魚の骨から、にじみ出す旨さ。ゴクリ。飲み込む。黙って、しばし、ぼーっとしてしまう。材料は、不知火海の魚・エビ・イカ。味付けは塩と砂糖のみ。それを緻密な味に仕立てるのは、海に生き、海と暮らす松崎夫妻である。


すり身ことはじめ

川部 すり身は、重光さんが小さいときから食べられていたという話ですよね。
重光 うん。前はね、すり鉢ですってから、お袋がイワシをね。昼ご飯になんか丸めてね、茹でて醤油入れて水入れて炊いて食べさせよったよ。憶えてますよ。おいしかったなあ。
それから何回かすり身しようかち言うてね、すり鉢ですりよったことのあるよ。これじゃいかんな。手回しを買うて来ようち。手回しから始まったのが、手回しでもくたびれるじゃない。ベルトかけてモーターかけてね、それですったのが始まりです。
売るようなことじゃなかったけど、自分の家庭でいつも食べてたの。それから、捨てる魚もったいない。商品価値がないやつをどうしようかち言うことで始まったのが、魚肉すり身をすって、商品価値になしたらというところで始めたっです。ちょっときつかったけどね(加工場の設備投資が)。冷暖房施設から台(ミンチの機械)から、あの台は高いもんなあ、ステンレスだからさ。まあ、やってみた者の勝ちとやったったい。そしたらなあ、みなさんがみんな「おいしい」「健康にいいだろう」ち言うようなことで。良いと言ったら、よし今度は作ってやるぞち、そうなるじゃない。それが始まりなんです。
川部 もともと、すり身自体はこの辺りでよく作られてたんですかね。
重光 家では作っとるところもあったと思います。ただね、その前に養殖(タイ)していたからね、大きいミンチ、小さいミンチの機械持っていたから、それですっていたんだよね。最初の頃は手回しでしよったけん。それから、機械になってから、稚魚を育てるのに使いもしたけんね。
川部 池尻あたりでは、すり身食品は、御馳走の時だけ食べるとかそういうのはなかったですか。いつも余った魚があったら作って食べるとか。
重光 食べるときもあるし、今はねえ、何か寄ったときなんかにほとんど作るね。出してある。自分の家庭で作ったからち言うときは、たまたまじゃない。毎日これを作って食べるち言うところは。はっきり言われん、実は高価な品物だよね。高価な品物だから、そればっか毎日食べるち言うのも大変だし、料理するのが大変じゃない。暇があったときは自分の家では食べますけどね。しょっちゅうち言うことはない。
だから、すったときは多めにするじゃない。玉葱持ってきてくれたりする人、お百姓さん、いっぱいいるがな。「ああ、丁度良かったなあ、すっとっとば持って行きなさい」って持たせてやっと。物物交換みたいなのが今もあるよ。そういうのは芽生えて来てると思う。そういうふうにやったりするんだよ。ああいうのは二、三日のうちに食べていただかんと。冷凍庫に入れておけば別だけど。凍らせとったらいつまでもいいんですよ。(冷蔵庫の)普通のところに入れとったら、三日くらいは食べられますから。

三枚に下ろした下ろしたグチを切る悦子さん
三枚に下ろした下ろしたグチを切る悦子さん
何回も洗って臭いを取ってミンチにかける
何回も洗って臭いを取ってミンチにかける
何と13回も機械を通す
何と13回も機械を通す


すり身の秘訣

川部 この辺りでこれは、すり身って言われるんですか。
重光 ミンチすり身たい。魚のすり身で良かっやばってんね。こっちの場合はすり身ち言ってるけど。種類はこんなのを入れてる。白グチ、タイの子とかね、エソとかハモとか。
川部 小魚はほとんど丸ごとすり身の材料になっとですね。
重光 タンパク質とカルシュウムの塊だから。体に良いものをいかにおいしく食べていただこうかっち言うことたい。
川部 すり身用の魚は何遍も何遍も洗って。
悦子 はい。いつだったかな、息子が帰って来とったっですよ。「練り物ていうのはなるべくきれいに洗ってしないと。お母さん、お父さん、ダメばい」って。練り物だから、きれいに洗えって言わす。くさみを抜くためには。
重光 彼は本職だから。板前。横浜で。最初は味が抜けっしまうち思うとったっですよ。水で味がなくなってしまうがって。そらあ、刺身だったら味が抜けてしまうよ。だけど、ミンチだから。
川部 さっき悦子さんが、すり身の中にもグチが入っているのが一番多くて、あんまりタチを入れるとピーンとなると仰ってましたが。
重光 それはねえ、やっぱり魚です。原料で違うんですよ。一番おいしいのはグチが一番おいしいと思う。グチとかハモとかね。ハモはあんまり余計に入れるとね、固くなってくる。今までの経験でもね、グチが一番良いって言ってる。

すり身をきれいに成形する
すり身をきれいに成形する
たっぷりの油でゆっくりと色を見ながら揚げる
たっぷりの油でゆっくりと色を見ながら揚げる
若き日の松崎さん一家とおばさん
若き日の松崎さん一家とおばさん



漁のこと

川部 ここ辺りで漁をされる人は、水揚げはだいたい計石ですか。
重光 ほとんどね。ここら辺の女島地区、芦北。ほとんど計石。芦北漁協だ。みんな体が年とったから、体がどこでも言うこと聞かないよ。一〇年前までは若い漁師さんだったのがね。船数も少なくなったし。
悦子 体がついていかんですよ、立ってるのにですね。針治療に行って。
川部 今は、週に何回くらい漁に出られるんですか。
重光 この頃はね、週五日くらいかな。三日くらい週に休む時もあるし、土日やったら休むし。今までは休んだことがないね。一週間も休んだことはなかったけど、最近はそのくらい休むごとなった。歳かな。確かに休むごとなった。脚が痛いとか腰が悪くなったとかいうと、普通は病院に行ってさ、あんまさんに行ってさ、治療してやらんといかんもんやけん。もう、皆勤するてことない。シケがあったらいいなあと思うときがあるようになった。

朝市・産業祭

重光 すり身は作ってそのまま売るんじゃなくてね、注文を受けたときだけ作る。たまにはね朝市でも売る(芦北漁協の朝市)。「持ってきてくれー」て言うてくれたお客さんがいたときについでに持っていくとか。余るように持っていきませんから。商売用で余って持って帰るようなことはしません。注文通りに売った方がね、ロスにならん。でも、うちは持ってきて冷凍庫に入れれば、自分で食べるのに良いじゃない。いつでも食べられる。
生ででも食べられるち言う、自分の保証ができるようにならんとダメじゃ。作って人に売ればいいち言うもんじゃダメ。だからうちでは生でも食べれよっです。それだけきれいにすっち言うことたいね。(材料も道具も)きれいに洗って、毎回毎回。自分が食べておいしくきれいに。長続きするようにせんとねえ。明日出すのは明日するけんね。その朝。そのまま持っていくけん。自分で作るのはいいですよ。お金で売るてなったらね。
川部 悦子さんは芦北町の産業祭ですり身を揚げる実演をされたそうですね。
重光 産業祭はだいたい一一月か一二月。楽しみですよ。その時期は。下さいて言うて一〇〇枚買っていかすじゃない。一人一〇枚。一〇〇人来たら一〇〇〇枚でさ。彼らはすぐ一〇〇〇人ぐらい来らすけんね。大変だよ。去年は十五人くらいでしたかな。やおいかんですよ。計算してね。難しいよ。
みんな寄り合いして持ってきてするもんだ。何が良かったかね、悪かったかねち聞いてみらんと、食べさせたら。意地張っとったっちゃ。勉強せにゃねえ。食べものち言うのはねえ、お客さん食べさせる人は何が足らんかな、これが足らんごたる、塩が足らんかな、砂糖が足らんかなとかね。そういうのを勉強していかないと。人間だからいつ間違うかわからんとやけん。衛生第一だもんだけんね。食べる前のその製品が大事やけん。


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