機関誌  ごんずい 66号ごんずい 66号

目次
特集 : 地域通貨は何をめざすのか・・2
      地域通貨おうみの経験から/内山博史…3
      地域通貨への散漫な考察/遠藤邦夫…8
      三つの経済、三つの豊かさ/吉本哲郎・・11
      里の農村薄原の結い・もやい/吉本静子15



      みなまたのグリーンツーリズムE/てつさん一家……18


特集 地域通貨は何をめざすのか

 私たちが運営している水俣病歴史考証館の展示パネル「こんな言葉が投げつけられた」の中に、「そげんカネが欲しかっか」「貧乏人が会社にものごいしよる」「伏せっていたばってんが、認定されたらバイクで走りよる」、という言葉がある。お金への思いがこれらの言葉の背景をなしている。

私たちはなぜお金を大切なモノと思うのだろうか?

お金があれば、何でも買える。それホントウですか?
お金があれば、好きなことができる。それホントウですか?
お金があれば、老後の不安がない。それホントウですか?
お金は神様のように、何でも実現できる力をもっている。それホントウですか?

 地域通貨にはさまざまな方式があるけれど、煎じ詰めれば交換決済を人間関係で行うってことじゃないかと思う。自分が作った野菜を必要としている人に分けてあげて、もらった人は自分のもっている技術でまた別の人に家を建ててあげて、建ててもらった人は具合い悪い人を診察してあげる…。この無限連鎖が社会関係となっていくと夢想したい。
 水俣ではすでにいくつかの地域通貨が試行されている。それがどんなことをもたらすのかとても楽しみだ。たぶん始めてみると、人から何かをしてもらう楽しみ、人に何かをしてあげられる喜びが味わえるような気がする。地域通貨はもやい創りの生活レベルでの推進役となってくれるだろう。そしてお金に慣れきった私たちに違う世界を見せてくれるに違いない。


地域通貨に関するホームページ
★キョートレッツ
http://www.geocities.co.jp/heartland-cosmos/3702/
★地域通貨おおみ委員会
http://www.geocities.co.jp/wallstreet/7109/
★柳原フォーラム
http://www.kaikaku21.com/ohmi/
★ゲゼル研究会アーカイブ
http://www.alles.or.jp/~morino/index.html
★エコマネー・ネットワーク
http://www.ecomoney.net/ecohp/top.html
★office ebara 
http://homepage1.nifty.com/office-ebara/index.htm


地域通貨おうみの経験から

align="right">内山博史

内山博史さん
内山博史(うちやまひろふみ)
地域通貨おうみ委員会 スタッフ
1971年生まれ。筑波大学第二学群農林学類を自主退学した後、
立命館大学政策科学部を卒業。大学休学中に(財)草津市
コミュニティ事業団の嘱託職員として、草津コミュニティ支援センターの立ち上
げ支援業務を担当し、地域通貨「おうみ」の企画立案に携わる。現在、奈良県にて、
市民・事業者・行政のパートナーシップによるまちづくりのための民間非営利
シンクタンク「特定非営利活動法人npo政策研究所」の専務理事・研究員として、
持続可能なコミュニティ・都市づくりや、協働型政策・計画づくり、奈良中心部の
都市交通システムといったことの調査研究、政策提言活動に従事。
地域通貨おうみ委員会代表。京都市在住。

(一)地域通貨の特徴

 <地域通貨>は互いに助けられ支え合うサービスや行為を時間や点数、地域やグループ独自の紙券などに置き換え、これを「通貨」としてサービスやモノと交換し、循環させるシステムのことで、現行の貨幣である「円」(国のお金)とは違った「もうひとつのお金」とも言うべき働きをするものです。

 <地域通貨>は特定のグループ(地域やメンバー)内の「信頼」や「ルール」によって保証されるものですから、限られた地域で使用されることが原則です。また、発行者も国ではなく、地域の住民や、福祉や環境といった同一のテーマへの関心からなるコミュニティのメンバー・グループなど、「市民」が自主的に発行するものです。

 <通貨>の基本的機能である「交換の媒介」としての機能で言えば、国民通貨である「円」は交換可能なすべてのモノやサービスの交換に対して使われるのに対して、<地域通貨>は、その「交換の仕組み」に参加するメンバーが提供する、地域でのふれあい・支え合いや、地域経済の活性化に役立つサービス・モノの交換に限定される、という違いがあります。また、その使用範囲も、グループ内のメンバーのみ、地域限定といった制限があるのも特徴です。
 サービスやモノの交換の際に行われる「価値づけ」「値決め」では、国民通貨である「円」では、市場における需要と供給のバランスによって価格が設定されますが、<地域通貨>では、時間を基準にするタイプや、国民通貨を目安とした基準とするものとの二通りがありますが、国民通貨を目安とする場合であっても、当事者同士の主観によって値決めをするタイプがほとんどです。この値決めのスタイルは「市場原理」とは違った「共感の原理」「信頼の論理」とも言うべき「価値付け」のスタイルであり、こうしたことも<地域通貨>の特徴であると言えるでしょう。
 また、<通貨>のもうひとつの機能である「富の蓄積」という面では、国民通貨である「円」は貸したり借りたりすることで「利子」がつき、信用創造してしだいに増えていくのに対して、<地域通貨>は、利子がない(ゼロ利子である)か、タイプによっては<地域通貨>の循環を促すためにマイナス利子が課せられています。そうした「利子」とは無縁の<地域通貨>は、投機的な使用には向きませんから、インフレやデフレといったことも起こらないという特徴もあります。

 こうした<地域通貨>の特徴をまとめると以下のようになります 。
@流通範囲・期間・目的に制限を加えた通貨ないし交換の仕組みである。
A国民通貨とは違い、必ず商品・サービスの取引に沿って移動する通貨である(投機には利用されない)。
B人々の互酬関係の下で循環する。
C価値の交換手段に特化したものであり、基本的にゼロ利子である。
D国家という公的なセクターが発行するものではなく、基本的に市民・地域共同体といった共的なセクターが、地域の問題解決または環境改善等のため発行する。


(二)<地域通貨>の目的

 各地で取り組まれている<地域通貨>の取り組みは、地域の生活・福祉サポート、環境にいいライフスタイルの実現、地域経済の活性化など、その目的は様々ですが、地域の人々が集まって互いの持つ「力」「知恵」「時間」「モノ」などを持ち寄って交換しあい、互いに助け・助けられという「地域支え合い」を実現しようということでは共通点を持っています。こうした取り組みは、同時に、公共事業や補助金などの「外」からのお金だけに依存した「地域活性化」ではない「豊かな地域コミュニティ」を自らの手でつくろうという「内」側からの動きでもあります。多くの人は<地域通貨>を使って、家事援助や介助・簡単な介護など、人々の暮らしに密着した「サービス」や、地域でとれた野菜や手づくり品といった「モノ」を、地域やグループなどのメンバー同士で相互にやりとりをしています。人々の暮らしと生産と自然が地域でつながり、新しい何かを内発的に生みだし、互い味わい合っていくこと。それが「豊かさ」の実感につながっていきます。
 ここで言う「豊かさ」は、お金だけではかられるような「豊かさ」を指しているわけではありません。「人の温もり」を感じることのできるサービスやモノを得られること、互いに助け・助けられる「お互いさま」の気持ち、「生きがい」ある仕事をし「自分らしい」時間を過ごせること、おいしい水や空気、食べ物といった豊かな自然が身近にあること…。そうした二〇世紀の日本社会がどこかに置き忘れてきてしまった「豊かさ」や「つながり」を取り戻すことも、<地域通貨>が目指そうとしていることなのかもしれません。
 多くの<地域通貨>では、その「仕組み」に参加する時に、自分の「できること」「してほしいこと」を登録します。一方的にボランティアをして助けるだけではなく、自分も誰かから助けられる。地域での自分の「必要性」に気づき、互いのもつ「可能性」や「能力」を引出し合う。<地域通貨>は、そんな人々の温かい交流を生みだし、国の通貨としての「円」の市場では生かされない人々の能力に光をあて、市場では価値づけのしにくいサービスやモノを地域で循環させ、「支え合い」のできる「人と人の関係づくり」、「地域コミュニティづくり」を目指しているのです。
 地域に暮らす人々がそれぞれ、自分の「できること」を「できる範囲で」、サービスやモノとして与え、それが、めぐりめぐって自分のところに帰ってくる。サービスやモノをやりとりする際に「ありがとう」の印を<地域通貨>としてやりとりすることが、人様のためにもなり、自分のためにもなる。
 そんな「ありがとう」がクルクルと循環しながら「地域支え合い」が実現していく「しくみ」、また、「地域支え合い」の取り組みに多くの人が自発性と共感のもとに参加できる「しくみ」として、<地域通貨>が注目されているのです。


(三)地域通貨「おうみ」の取り組み

おうみ
おうみ表面、裏面には取引の履歴を書く欄があります。
おうみマーケットのようす
おうみマーケットのようす
ステーションの入り口
ステーションの入り口
おうみは映画館でも使える
おうみは映画館でも使える



 こうした中で、一九九九年の五月に取り組みの始まった地域通貨「おうみ」について紹介したいと思います。

@設立経緯
 草津市に一九九八年五月「草津コミュニティ支援センター」が開設しました。センターは、行政が設置し、市民が運営するという「公設市民営」のスタイルで、センターを活動場所として活用するさまざまな市民活動団体が、運営協議会的な組織として「共同事務局」を結成して利用日程の調整などを図るとともに、それぞれの加盟団体が鍵を管理して、施設使用後は清掃、施錠をするという運営方式をとっていました。
 九九年五月になってセンター事務局が有志により結成されると、多様な市民・市民活動団体が、相互に交流をしながらそれぞれの活動の質を高められるような各種イベントなどの「しかけ」づくりや、センターの運営を無理なく相互に支え合えるような「しくみ」づくりを進めることになり、センターを市民活動の中間支援組織として位置付けていくことになりました。とはいえ、お金のないセンター事務局にとっては、中間支援の機能を充実させようとしても、スタッフの確保などはボランティアに頼らざるを得ず、そんな中で「ボランティアをきちんと評価したい」ということで導入したのが「おうみ」でした。
 当初は、センターの運営会議への出席や、施設の掃除、窓口での受付・相談業務といったセンター運営への関わりの度合いに応じてボランティアに対して「おうみ」を発行し、受け取った「おうみ」は、センター利用の際に利用料として使用したり、センター事務局が実施する市民活動のスキルアップのための講座の受講券として使用することができる、としました。つまり、当初は、「センタークーポン(センター利用券)」としての発行でした。「おうみ」がセンターの中を循環しながら、センターの運営に関わる人を定着させたり、市民団体どうしの交流を促進する効果を狙っての導入でした。
 このクーポン方式は一定の成果を収めましたが、その後、これを単にセンター利用券に限定せず、互いの間でのちょっとした生活サービスのお礼や、家庭にある不用品や手づくり品などを交換する際のお礼などに使えるよう「地域通貨」としての性格づけをしていくことになりました。
二〇〇〇年十月に、「おうみ」を発行する主体をセンター事務局から「地域通貨おうみ委員会」として団体を独立し、紙券もリニューアルし、数々の問題点を整理しながらバージョンアップを重ねて現在に至っています。

A取引の流れ
 おうみを利用したい人は、まず事務局で会員登録を行い、登録用紙に氏名、住所とともに、「おうみ」を受け取って「できること」「提供できるモノ」や、逆に「してほしいこと」「譲ってほしいモノ」を書きます。この登録したサービス・モノの情報はサービスリストに掲載され、登録とともにサービスリストが渡されます。原則として最初の「おうみ」は、「おうみ」を持っている人にサービスを提供したり、自分のモノを譲ることで得ることができますが、まず手始めに「おうみ」を受け取りたい人は、草津地域の市民活動団体への助成などにあてられる市民基金「おうみファンド」に寄付をすると、一〇〇円の寄付につき一おうみの割合で紙券を入手できます。
このリストを元に知人どうしでやりとりをしたり、月一回開催される「おうみ」でサービスやモノを互いにやりとりをする交流イベント「おうみマーケット」で、取引きすることができます。
 取引きは、お互いの合意とそれぞれの自己責任のもとに行われますが、「ありがとう」の印である一おうみは一〇〇円に相当するものとし、九〇分のサービスで十おうみを目安にしています。相手との交渉がまとまれば、紙券の裏面に日付と氏名、何のお礼なのかを記入し、相手に「ありがとう」の言葉とともに渡します。裏面の記入欄がいっぱいになったら、事務局で新しい紙券と交換します。
 またリストに希望のサービスやモノがなかった場合は、事務局に相談すれば、事務局スタッフが可能な限りコーディネートをしています。

B取り引きされているもの
 おうみでは、メンバーのもつ様々な趣味や経験、特技を生かしてサービスのやりとりが行われています。サービスリストには以下のようなものが掲載されています。話し相手、ストレスマネジメント指導、司会・ナレーション、子育て相談、病院への送迎、犬の散歩、初心者向けパソコン講座、車イス貸与、簡単な英語翻訳、ワープロ入力、京町家の蔵をミーティングスペースに、草抜き、髪染め、譲ります(らっきょう、子どものおもちゃ、有機肥料など)

C地元企業の「おうみ」への参加
 また、地元企業の協賛により、(株)滋賀京阪タクシーの利用運賃を一おうみ=一〇〇円で割引くサービスや、駅前の映画館「草津シネマハウス」にて、一〇〇〇円+五おうみで映画を観ることができるなどのサービスも始まっています。
 「おうみ」での割引サービスを実施することにより、企業は「おうみ」を受け取りま
す。「おうみ」での割引サービスを実施することにより、企業は「おうみ」を受け取ります。企業は、貯まった「おうみ」を、市民活動団体・npoなどへ寄付(投票)をすると、「おうみファンド」から現金による助成がされます。

 最近の展開としては、「おうみ」の地域での広まりをつくるために、二〇〇一年四月から、駅前の商店街にある空き店舗を借りて「おうみステーション・ひとの駅」を開設しました。ここでは、おうみ委員会の事務局スペースとしての利用はもちろん、おうみマーケットの開催、コンサート・イベント、地域の人々を対象にしたまちづくり講座「まちづくり夜楽」を開催しています。
 二〇〇一年十月からは、商店などでマイバッグ持参やエコ商品の購入をするとコインがもらえる、という事業も始まります。このコインは琵琶湖の浚渫泥土からつくった「おはじき」のようなものを使う予定で、「びわこづち」というネーミングになっています。「びわこづち」は十枚たまると「一おうみ」と交換できる予定で、こうしたものを使うことを通じて、地域の人々の環境への配慮を高めようとしています。このことは、同時に「エコショップ」の認定制度や、独自の環境商品認証制度につながることを期待しています。
単なる仲間内での「おうみ」のやりとりにとどまらず、地域の様々な人々が「おうみ」を介して出会い、助け合い、それぞれの「できること」を交流させていくことで、コミュニティづくりの一助になれば、と考えています。


D運営をしていく上での苦労
 このようにさまざまな活動を展開している「おうみ委員会」ですが、その運営はなかなか大変です。
立ち上げるまでは学習会などが中心ですので楽しい雰囲気で進めることができました。「とにかくやってみたら面白いのでは?」「動きながら考えよう」ということで、実際に紙券を刷った時など、かなりわくわくしたものです。ところが、運営がいざ始まってみると、紙券タイプの地域通貨ですので、その発行枚数の管理や、ユーザー登録をしてくれた人の名簿作成、「できること、してほしいことリスト」の作成といったきめ細かな事務局作業が必要であることがわかってきました。
 また、関わっているメンバーが平日の昼間に仕事を持っている人が多いので、メンバーが集まれるのがいつも夜や休日になってしまいます。みんな空いている時間を使って、一生懸命に仕事の分担をして作業を進めようとするのですが、なかなか思うようにいきません。
 限られた時間の中で意思決定・コンセンサスをしようにも思うようにいかないことが多いです。メンバーどうしの情報共有をしようと立ち上げたメーリングリストも、メール上での議論にありがちな「不毛な争い」に発展してしまったりもします。
 専従スタッフを抱えるほどの潤沢な資金もありませんので、事務局の業務などは昼間に地域にいることのできるボランティアの人がほとんどです。「何か収益事業を」と、毎週金曜日に野菜市なども始めていますが、大きな収益にはつながりません。現場で日々の業務をこなすボランティアと、委員会の会議の時だけ来る幹事との間の不信感というものもあります。「現場のつらさがわかっていない」「その事業でおうみのミッションはどこにあるの?」という対立も起きます。
 本当は道具であるはずの地域通貨ですが、ともすると地域通貨を発行・循環させることにばかり終始して、住民どうしが協働して何か「こと」を起こす、それを支えていく、ということが見えなくなって、またそれをみんなで確認しあったり…。
 こういった課題は、多くの市民団体やnpoが抱える課題と同じでしょう。こういうことばかり書くと、なんだか運営がうまく行っていないように思われるかもしれませんが、こういうことを乗り越えていくプロセスこそが実は大切なんだろうな、と思っています。

 この町では、高層マンションや住宅地の建設が進み、京都・大阪を向いているサラリーマン世帯が増えてきています。週末にマイカーに乗って、巨大なショッピングセンターでまとめ買いをする人がほとんどで、ショッピングセンターの周辺地域では週末の渋滞や交通事故が起きています。旧街道沿いにある商店街では閑古鳥が鳴いています。大学誘致もあって人口は増えたけれど、四年間で町を去る大学生のためにできたのは、牛丼屋とレンタルビデオの店ばかり。大企業の工場で働く日系三世、四世の工場労働者の家族も多い地域です。琵琶湖の恩恵を受けて行われてきた伝統的な漁業や農業もしだいに高齢化し、京友禅の下絵を描くときに使う染料をとるための「アオバナ」の栽培も、年々、減ってきています。草津を東西に貫き、先人たちの川底ざらえの結果できた天井川「草津川」も河川流路の変更により廃川となり、跡地には四車線の道路が整備される計画になっています。堤防をならすだけでも一千億円かかると言われ、行政も市民も頭を悩ませています…。

 このようなことは日本中どこにでも起こっているような現象かもしれません。そして場所によっては、かつて起こっていた現象でもあるでしょう。私自身、この取り組みに関わる中で、水俣での激甚な公害の経験や「もやい直し」の経験に学ぶところが多くあります。

E地域通貨がもたらすコト
 前項で書いてきたような意見対立があることはとってもいいことだと思っています。苦労を分かち合うこともそうです。こういうことをひとつひとつ乗り越えていくと、やはりそこに連帯感のようなものが生まれてきます。そこでは「おうみ」のやり取りさえ必要ありません。
 「おうみ」のやり取りをすることが、かえって「水くさく」なってしまいます。当初から「おうみ」の活動に関わっている人どうしでは、だんだんとそういう関係が深まってきているように思います。「何かあったら一肌脱ぐよ」という人々のつながりができてきているように思います。
 恐らく、そういう人と人との関係づくり、それが「地域のほんとうの経済」の基盤をなすものだろうと思っています。別の言い方をすれば、それが「自治」ということなのかもしれません。

 「おうみ」を通じた地域づくりの取り組みは、ここ草津で始まったばかりです。私は、地域通貨そのものが何かをもたらしてくれるとは思っていません。しかし、地域通貨の取り組みから見えてくる可能性や、それが指し示す射程は長く、深いと思っています。なぜなら、かつて琵琶湖のほとりの閑静な宿場町だった草津が、ここ十年でここまで変わってしまったのは、すべては「お金」にまつわってのことなのですから。
 さまざまな取り組みを通じて、「お金」の仕組みである「経済」を問い直すことこそ、この地域での「おうみ」の役割なのかもしれない、と感じている今日この頃です。

 本稿は、(財)さわやか福祉財団が平成一二年度社会福祉・医療事業団の助成により作成した「ふれあい・支え合いのきっかけづくり地域通貨・手引書」の第一章部分(筆者が担当)を、加筆修正をしたものです


三つの経済、三つの豊かさ

align="right">吉本哲郎(よしもとてつろう)

 「豊かさってお金だけじゃないよな」 そういわれると「では、何ですか?」と聞きたくなる。聞いても答えてくれないので最近言っていることがある。
 「経済には三つある、お金の貨幣経済、結いもやいなどの共同する経済、そして自給自足の経済だ。」
 これまで学者の多くは、データのある貨幣経済だけしか扱ってこなかった。そしていつか豊かさとはお金を持っていることだと思い込むようになってしまった。
 お金と物を追いかけてきたこれまでを振り返ってみると、思い出の海、山、川が埋め立てられていたり、なくなっていたりしていることに気づいてしまう。「私たちは何をしてきたんだろう、何をしているんだろう」。
 経済には三つあるのだ。三つの経済の総和が本来の経済的豊かさであったはずだ。

 村人はいう「昔は人がたくさんいて面白かった、田植えや稲刈りの済んでいない所にはみんなで手伝いに行ったり、家建ての時には一〇〇人くらい集まって手伝ってくれたりしたものだ…」。
村の暮らしを見ていると、稲刈り、家建て、タケノコ掘りなどで互いに手伝いあい、支えあって暮らしている。また神社や道路の草払い、用水路の管理などを共同してやっている。お互いに手伝いあう「結い」、共同して事にあたる「もやい」、このほか、講、物々交換などもある。
 また、家庭菜園がそれぞれにある。調べてみると大体二〇種類から多いところでは三〇種を超す野菜をつくっている。しかも自分で食べているものだから安心安全なものである。しかも、倍近くつくっていて、食べきれず、村の人たちや親戚にタダで配っている。時期になると村中プレゼントだらけの光景になる。驚いたことに花もいっぱいつくっている。家庭菜園の中にである。使う花である。仏さんやお墓、そして自分も楽しみ、道行く人の目も楽しませている。使い花である。買うとお花は高いのである。だから自らつくるのである。
 町に住んでいる若者はいう「水俣にはコンビニがない!」私は答える「海と山と川は無料のコンビニだ、ただし、獲る技術がいるけど」。

 私は、地域共同体、いわゆる村と呼ばれた地域共同体を全否定してつくった都市型社会には危ういものを感じてしまう。資源ごみの住民による分別は地域共同体の自治がしっかりしていないと成り立たないと思うのだが、村社会を全否定してつくった社会では、今、子供の荒れ、学校の荒廃などにあらわれ、しっぺ返しを受けているのではないか、そう考え込まされてしまう。またお金とはつくることの省略ではないかと思っている。自ら作らない人たちが生活者としてではなく消費に特化した暮らしをしている。お金で買い求め自ら作らない暮らしは何かがずれていくような気がしてならない。

 エコハウスづくりとかができないか考えている。地元の素材でつくる家、リサイクル材を活用する家、床、壁、屋根という必要最小限でつくる家、そして自分でつくらないと高くなる家である。友達が手伝ってくれて、「あなたが家を作るときには手伝いします」という地域通貨「結い券」を発行したり、家をつくるのを面白がる人たちを集めてみたりしたい。そこにはもともと村の仕組みにあった結い、もやい、講、物々交換などが現代によみがえっているはずだ。
 それはおそらく新たな人の関係づくりを促していることだろう。(おわり)


里の農村薄原の結い・もやい

align="right">吉本静子(よしもとしずこ)

神社のまつり
神社のまつりはもやいで
もやい作業は楽しい
もやい作業は楽しい
裏方を支える女性陣
家立ての裏方を支える女性陣

薄原の村おこし

 上場を開墾したとは松本淳さんとこの爺ちゃんやもんな。今でいう村おこしば始めとらすもん。それを始めらしたつは、村がだんだん状態が変わっていけばな、村の人たちは小銭も入らんような状態じゃあ、良か生活はでけんて、年寄りから子供まで、お金の取れるような何か農作物はないかなあちゅうことで茶園の開墾を始めらした。そんときは賛同者が何名かおらしたとたいな。薄原と桜野までひっくるめてな。上場を開墾せらしたとな、自分の土地を全部開放してな。その頃の開墾ちいえば有名じゃったですよ。私たちは学生じゃったけどな、草取りにな、学校からミシン買わんといけんちゅうてから、五、六〇名行ったですよ、学校から、青年団もですな。市の補助やらなかったんでしょうな。オルガン買わんととかな。
 開墾は賛同者が主ですっとですな、人夫はどこそこから、もういっぱい頼んでおらしたですよ。賃労働ですな。学校や青年団が来っと嬉しかったんでしょうな、安かけん。労働奉仕じゃないけど、中学生になれば役にたっとったですよ。当たり前と思っとった、おもしろかった。教室におるよりも。きついことはきつかったけど、みんな愉快にやりよったけん。みんなが力を合わせてやるけんな。行き帰りは歌を歌ったり、冷やかしがあってな。中学生になれば体も大きいし、もどかしよったでしょう。今思えばきつうはあったけれど愉快だった。近郷近在、お茶摘みんときには人夫で使われてえらい稼ぎばしとるけんな、 前は、製造は、お茶の機械がなかったけん、年寄りの人はすわとって、白折れなんか、手でしよらしたったい。そういう人たちにもわずかなりお金が入ってですな、勝喜さんが偉かったつは、みんなが村全体やっぱ裕福にならんばつまらんと思うてやったったことです。

公役

 昔はな、道の公役があり、国道二六八号線を下から長野方面のとこまで、深川のとこからと受け持ち区域があって、そしてそれが必ず一年に二回は春と秋とありよったと。道路の草払い、補修とか。一軒から一人ずつ出て、誰が出るち言うようなことじゃなくて、男でも女でも。そんときは、シリスケなんかいらんやったですよ。公役でシリスケち言うて、男の人夫入りと女の人夫入りは違いよった。だけん、そしこば道路の公役は持って行かにゃんとよ。女が出れば差額を持って行かんばんとでした。例えば三千円の男の人夫賃で女が二千五百円だとすれば五百円な持っていかにゃならんとでした。
 お宮の仕事のときも持って行きよった。お宮や公民館の修理とか掃除、簡単な。一〇年ぐらい前までは確かにあったです。主人ともそげんことはもう、お互いでしていこうち言うようなことになってな。当たり前ち言う感じやったっだろうなあ。その頃はまだ考えが足りんかったけん。当たり前ち思いよったもん。そるばってん、不服は出よったもんな。女の人しかできんところがあったでしょう。やっぱり男ん人たちゃあ女のしこもできんでおって、男ちいうばっかりでよかたいなあとか言う話はありよったですよ。そんひどうはなかったけどな。陰口でちょっと言うくらい。そるが当たり前ち思うとるけん、ちっと不服ば言うくらいなもんで。でもだんだんだんだん時代の流れでやめようかちなったっだろな。
 公役はなくなったわけじゃなか、勤め人が多かでしょう。溝普請なんかもそげんじゃったですよ。今はお金は取らんですよ。ただ、来んじゃった人は、普通のパートよか安い三時間でいくらちなれば、その半額くらい、気持ちだけ今もらいよる。罰金まじゃいかん。そげんじゃなか。

屋根葺き

 屋根のふきかえは「結い」たいな、だけん人夫賃な、いらんたいな。昼食と夕食と焼酎でん飲ませればよかったいな、その間におやつがでるしな。戦争中やったけん、おやつはカライモくらいなもんじゃったったいな。昔はあの、麦がらの藁葺き屋根だったでしょうが。私もな男並みに乗って葺きよった、。おもしろかったったい。
 藁を斜めに積んで並べてな、竹をタルキのように組んであるわけ。それに斜めに並べていかにゃん。そすとですな、中は中で、針ち言うて竹の小さかニガク竹に穴ばほがして、先ば尖らかして、こんくらいの穴ばほがした中に縄を、通して糸のかわりにそれを刺して、きびるために上に刺さにゃんとたい。小麦ガラでないとだめ。小麦は丈夫んかでしょうが。そっでな、稲藁じゃ、絶対ダメ。普通の裸麦でもだめ、雨に弱いけん。
 そっで、小麦のカラはチカチカすると、強かったもん。それと茅たい。茅はな、家一軒作る家はもう、大きか家ば葺き替えのほうが作るよりか要るち言いよったですよ。瓦代よか高くつくし。国有林て言うかな、何ち言うかな、荒れ地のあっところに行ったり、自分の山に行ったり。自分で寄せとかんば。そしてそれを使って、ふきかえするときはみんな寄るけどな。もうな、一年に小麦ガラがとれたころは、夏取って秋口とか稲刈る前とか葺きよったですよ。そすともう、中には針刺しち言うて、大概女がおったですな。針でこ「はいここよ」ち言えば、下からこうして突かにゃんと。まっぽし行けば、喜んでなあ。じゃんじゃん誉めよらしたが、忘れんがあれは。縫うとたいな。縫うとち言うのがな、このぐらいずつやって、こっちきれいに斜めにして、それを下から縫うわけ。そして、こうして刺して、こんだ、それを引っかん抜いで、そして「ここよ」ち言えば、大概わかるけんな。賑わいよったったーい。おもしろかりよった。その代わり真っ黒になりよったったい、顔は。黒うなりよったで顔は。顔は真っ黒なっとったったい、煤で。懐かしかったなあ、今思えば。
 「今夜は何か食べさせんばいかんね」とかちなあ。「一杯飲ますっとやっでなあ」とかち言いながらおもしろかちなあ。楽しかったですよ、「あんたが丁度んところば突ン抜いてやるけん」ち言いよる人もおりよったったい。そういう言い方がなあ、お互いのやりとりがおもしろかりよった。もう、めくら滅法じゃないけど、やっぱりな。思うところに行かんときもあるけんなあ。

家建てのこと

 部落は「結い」で決まっとるけん、行くとたいな。向こうの井良迫は、ちょっとばっかり引っ張りがあったり、なんちゅうかちょっと親戚がかったところ、遠縁の人とか、友たちとか、あそこは受けとるけん行かんばくらいで行くばってん、村はですな、家建てには必ずいく。そら決まっとるけん。薄原は三班に分かれとるでしょう、うちやったら丸尾だけん、親戚、兄弟、家内でごちそうするわけな。谷があるでしょう、谷で区切られとる。真中が下村、松本さんところが菅原、ここが丸尾。
 うちあたりは、石坂あたりからも親戚が応援にきてくれて、あそこが家建てらすけんちゅうてな、うちからも構、石坂に行くことのあっとですよ。お祝に焼酎と米は持ってこんばんとですな。遠いところは焼酎は持ってこんなあ。友だちだけんとか、親しゅうしとるけんとかで昔は豆腐とか持って行きよったですな、豆腐が要りよったけんな。人数は多かし、百人ばかり寄りよったでしょうが。百人どま、すぐですよ。ただ仕事はあまりなかでっすよ、見に来てごちそう食べて酔うてくれらす。それが棟上げの祝いだけん。
 三日くらい行きよったですよ、応援に。壁塗って、えつりかきちゅうて、壁の下に、いまは板でするけど竹でしよったから。そればきびっていくんでです。それは年寄りとか女性が上手やった。
 若っかもんな、けんやさしか仕事はな。泥を踏んだりなんかしてな、赤泥、壁泥はですな、もっこで持ってきよったですよ。藁の縄で編んだモッコを二人で運んどった。
 道具は自分でもっていくな、鉈とか、持っていく。そら私がこっちに来て、だいぶ家建てのあったけん、行ったっですが。昔の家は業者があまり入らんかったですな、大工はおったですよ。壁なんかは自分たちで。泥も踏んで。村でも器用な人がおってな、男の人が下塗りはしよったですよ。その上ば左官の人がきれいに塗ってこられる。そらもう賑わいよったです。どのこの悪口ゆう、泥がぱっときよったけん。泥を踏む人たちは、板で囲んでな、六畳間一間くらいに泥ばいれてな、藁ばこのくらいに切って混ぜて、それば走らせおらしたよ。焼酎ば飲ませてな、そら、どもこも、そこにおればぶつかってしまうとな。外の人も入れち引きこますとたいな。そげんせんばきつかけんふざけらすとたいな。なつかしかな、そういうふうにしてな、結いしながら支えてきとっとなあ。楽しかったですよ、今のテレビ見るよか楽しかったですな、みんなわいわい言うてな。
 結いすれば付き合いが、交流がでくるわけですよ。若い時は私たちも葛渡に育っとるけん、忘れんもん、葛渡で騒動やったちゅうのを。ふざけて泥をつけられたりなんかして。そうですな、あんまり付けらるれば、女もたまには仕返しばすっ人もおりよったですよ、楽しかったですよ。そしてご馳走も庭に、藁で編んだござに、ただ板ばならべて、それにご飯とおつゆとつけものをならべてな。品のよかとは要らんたいな、みんな汚れてもおるし、そげしとってみんな食べよったなあ。今も家作りに手伝いに行けば、そげんじゃっど、今は夕食は公民館じゃな。
 お金は要らんじゃった。物と身体での結いじゃった。

講金

 講金がはやりよったですよ。米の講金するとかな、私たちはお金じゃった。講金はよかと分かっておったですな、婦人会でだいぶんしよったですよ。月々に寄れば千円講金とか、五千円講金とかちゅうとがあるわけ。そしてそれをなみんな寄って月々持っていくわけ、例えば公民館にな。それが籤を引いて、そして当った人がとってよかわけ。例えば五千円が一〇人おれば五万円でしょう、それを順繰りにな、とった人は次はとられんけんな、そして早くとった人は利をだす。お金を持っておる人は「私はいらんけん他の人がとって」と言わすわけ。なんか必要なときは、「私に相談させてください」という人があらすわけ。
入用があるけん、結婚式があるけん、家を建てにゃんけんって。前は喜びよらしたです。布団講金とか、布団代を寄せるんです。寄せたつで布団を買うとかな。しゃっちが布団を買わんでよか。布団講金とかな、旅行積み立てとか。布団講金はいつもあるあるわけではなくて、「立ててください」とかな、そうすっと賛同者がおってな、そしてから私もかたる私もかたるちゅうて。やっぱり話がどこからか出て、そんなら話し合おうかちゅうて寄るわけです。 助け合いの気持ちでな、賛同者がおってな。 
 戦後、米よこせ運動ってあったですな、女性が強くなって、おっどんも、がまだすとじゃって、男だけがお金を持って財布ば渡さんって。財布を渡せとかなんとかちゅう運動があったんですよ。そんじゃあ一年に一回一俵ください、私たちに愛妻米として、愛情があれば一俵くださいちゅうような運動があったんですたい。それが悪く言えば米よこせ運動ちゅう。だんだんその頃から女性が強くなってきたですな。それからみんなが一俵づつ持ちよって、闇で売っていたんです。男の人が強くて、お舅さんもなかなか若かもんには渡さんじゃった。県とか農協とかから全国に広がったんですよ。
 愛妻米は一昨年やめました。高齢となり役員が重荷になってきたからです。四五年あまり続いている薄原婦人グループを、私はとても誇りに思います。(おわり)


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