機関誌 ごんずい 69号ごんすい69号表紙

目次

特集 : 水俣百選
記事 : まどか園奮戦記…萩嶺浄円

特集 水俣百選

水俣は水俣が自慢できるようになりました。
水俣には素晴らしい風景があり、楽しいコトがあり、面白い人がいます。水俣病の失敗を反省し、環境をキーワードにして、水俣病の教訓を暮らしに活かし、ワクワクするマチづくりをおこなっています。
多くの人から「私の好きな水俣」をいただきました。今回は92点を紹介していますが、ほんの一部です。「あれが入ってないよ」「もっと美しい場所があるのに」と思われる方も多いでしょう。本当にその通りです。
水俣の人々が山、川、海とつながった暮らしをしていることが、本物の暮らしとして人々の共感を呼びます。
水俣はまだまだ深化します。
そうしてますます自慢できる水俣が増えていきます。


水俣百選リスト

1.湯の児海岸の桜 2.不知火海の夕日 3.湯の鶴温泉 4.亀嶺峠の青空 5.親水護岸から恋路島
6.寒川の棚田 7.石坂川崎太郎あたりの水俣川 8.寒川水源  9.恋路島 10.桜野上場の茶園
11.芦刈川大滝 12.冷水水源と森 13.侍のはぜ 14.日本一長い運動場 15.花の福田農場
16.中尾山から水俣全景 17.湯の児温泉 18.照葉樹林の森 19.茂道から見た矢筈岳 20.杉本水産のイリコ漁
21.城山の紅葉 22.実生の森 23.明神海岸 24.袋甘夏団地 25.侍はぜの木の大根干し
26.明神のタマネギ畑 27.ミカン山から見た茂道 28.小崎親水公園 29.とんとん峠から見る天草 30.グリーンスポーツ
31.相思社から見る不知火海 32.諏訪神社の楠群 33.湯の児島 34.薄原農産加工場 35.大関神社の山の神
36.日当野の大イチョウ 37.竹林園 38.石飛ビオトープ 39.寒漬けを作る 40.大川の水源の森
41.釣ったばかりの太刀魚の背ビレ 42.住吉神社の紅葉 43.中尾山のコスモス 44.水俣川の桜 45.湯出温泉神社の紅葉
46.寒川婦人会のそうめん流し 47.愛林館のカレー 48.桜野の防風石垣 49.見返り峠の夕日 50.秋葉山の大きな石
51.2001水俣ハイヤ節 52.グリーンスポーツの磯 53.競り舟大会 54.水俣市立水俣病資料館 55.日当野風景
56.越木場の水源 57.深川田園風景 58.天野ゲストハウス 59.石飛茶園で茶摘み 60.水俣川のウナギかぐら
61.資源ごみ23分別 62.肥後石工の境橋 63.さつま街道の通学風景 64.あくせの棚田 65.杉本栄子
66水俣病歴史考証館 67.浮浪雲工房 68.中小場の水車 69.鍋滝 70.中鶴の田の神さん
71.久木野川で遊ぶ 72.徳富蘇峰・蘆花生家付近のせどや道 73.干しタケノコ作り 74.水俣川チューブ下り 75.仁王木あたりの用水路
76.無田湿原の野焼き 77.柳迫さんの製糖工場 78.湯堂のゆうひら 79.夜のメモリアル 80.吉井正澄
81.湯の鶴のホタル 82.明神のアコウの木 83.大川の赤い川 84.小茂道の海 85.湯出川の亀石
86.畑仕事のおばあさん 87.梅戸のイワシ籠 88.亀嶺峠から水俣風景 89.丸島漁港 90.丸島の渡り鳥
91.祇園神社の祭 92.渕上毛氈の墓 番外 岩付公園 番外 頭石 番外 鬼の材石
番外 宝川内採石場 番外 用水路

まどか園奮戦記   萩嶺浄円

 (1)福祉と出会った

萩嶺浄円さん
まどか園

 お寺で育ったこともあり、福祉に関わりたいという気持ちは、高校生の頃からずっと持ち続けていました。大学一年の頃ボーイスカウト活動の存在を知り、その活動にのめり込んでいきました。それから約二十年間青少年の育成として、子供たちの指導をしてきました。福祉に関わるきっかけもこの頃だったように思います。明水園の胎児性水俣病患者の野外活動をお手伝いする福祉ボランティアとして、明水園の行事等にも積極的に参加するようになりました。そして、入園者等の支援を通して、福祉に関心を持つようになりました。
 考えてみますと、三十年余りボランティアという形で、地域の福祉等にも関わらせてもらってきました。そこで今までの経験をふまえて、今水俣で必要な福祉、また足りない福祉はなにかと考えてみました。すると障害をもつ仲間から「今は親が元気だから一緒に暮らしているが、親がいなくなった時いったい自分たちはどうなるのか。どうしたら良いのか」ということが話題になり、そのための勉強会を持つようになりました。その中から、「自分たちが安心して暮らせる居心地のいい家が必要ではないか」などと話はふくらんでいきました。そんな折、熊本県の障害者プランを担当の方より聞く機会を得ました。そして今水俣に必要とされるもの、又足りないものなど私たちが問題と感じ、話し合ってきたことを報告することができました。とりわけ精神障害者に対する取組みは、知的障害や身体障害などの障害に比べて、福祉の分野でははるかに遅れている現実を痛感しました。約百二十人に一人という割合で精神障害で苦しんでいる現状がありながら、いぜんとして社会と隔絶されたなかで、病院の入退院を繰り返しています。ここにも福祉的な取組みが欠けている現実があることを知ることができました。

(2)施設建設のきっかけ

 このような時、私自身に大変な事が起きました。八年前の突然の心臓の病気でした。それまで私は何不自由なく生活してきましたが、この事で私の人生はもう終わったとさえ思うような気持ちになりました。本当にどん底で苦しんでいたように思います。しかしこんな私を励まし、勇気づけてくれる友だちがいました。ある人は車椅子に乗って、ある人は松葉杖をついて、またある人は五時間もかけて透析を終えたばかりの体で見舞い来てくれました。その中には胎児性水俣病患者の友だちもいました。そんな仲間に励まされた事が、自分の気持ちの変化を呼び起こしました。
 この友だちのために何かできる事はないか、何か手伝えるものはないか色々と悩みました。一度無くしかけた命を、もう一度役立てたいと思うようになっていました。これが、私が精神障害者に関わる転機だったように思います。そんな時、精神障害を持つ人と接する機会があり「自分がこの病気になったのは、私の話を聞いてくれる人がいなかったから。自分の居場所がなかった」という言葉を聞きました。それで私の思いは「精神に障害を持つ人が一緒に暮らせる”家”を作りたい」という「具体的な夢」になりました。それが県や市へと足を運ばせることになったのです。東京の日本財団へも何度もお願いに行きました。夢から二年弱という異例のスピードで「まどか園」は開設することになりました。準備を進める中でも水俣市や地域住民の方の理解が深く、建設説明会でも反対もなく、むしろ「いい施設を作って下さいよ」と励ましの言葉をいただいたのを記憶しています。今では地域の子供たちもよく遊びに来てくれますし、十月からは、在宅のお年寄りのお昼の弁当サービスを始めています。まどか園は、精神障害者の生活訓練施設ですが、地域に開かれた施設であるためには、まどか園が地域の人々にできるサービスを提供し、できない事は地域の方に手伝ってもらえる関係を持ちたいと考えています。

(3)実際の過程

 水俣市には条例を改めてもらったり、土地を無償で提供してもらうなど色々と協力をいただきました。しかし事業を進める中で、精神障害者に対する行政の取組みの遅れをひしひしと感じました。その一つが障害者施設の一人あたりの基本面積です。知的障害で二十六.六平方メートル、児童で二三.三平方メートル(赤ちゃんも含め)、精神障害においては一四.九平方メートルです。この数字で居室、食堂、トイレ、風呂等を作りなさいというのです。そして、この四分の三が国庫補助、四分の一が私の負担分です。当然建物を充実するとなると、私の個人負担が増えてきます。私は個人のプライバシーのことを考えると、どうしても個室にしたかったのです。ある病院では、十畳の病室に十名の方が入室されていると聞き、そこで生活している患者の人権はいったいどにあるのだろうかと思いました。援護寮も見学させてもらいましたが、二人部屋だったり、三人部屋だったりで、本当にプライバシーが守られているのだろうかと気になりました。精神障害の施設は他の障害者の施設に比べて、何故こんなにも隔たりがあるのか不思議でなりませんでした。同じ福祉の施設でありながら差のある補助金対応なのです。そして、運営費も毎月支給されるのでなく年二回の支給であり、その間は自分たちで運営費は用意しなくてはならないのです。
 私は会社勤めをしていましたので、自分の退職金等を建設費に当てるつもりでした。しかし、それだけではとうてい賄えませんでした。妻にその事を話すと妻も会社を辞めて、一緒に手伝ってくれることになりました。またとても嬉しかったことは、行政を含め多くの人々が私たち夫婦の夢を、自分の夢を実現させるがごとく一生懸命手伝ってくれたことです。県に提出する文章をチェックしてくれる行政マンがいたり、土地の測量を無償で手伝ってくれる会社があったり、本当に私たち夫婦は幸せものと皆さんに感謝したいと思います。本当に友だちとはいいものです。
 総工費は一億二千万円で日本財団から五千六百万円の補助金をいただきました。そして水俣市より五百十六万円と土地を無償提供していただきました。足りない分は私と妻の退職金、残りは借入金です。この建物は私たち夫婦の意地、そして国や県は精神障害者に対して援助を広げてほしいという願いを表しています。普通のサラリーマンでもここまで頑張れると言いたかったのです。

(4)私のこだわり

 建物の外観は八色の暖色系の明るい色を使いました。また柔らかい雰囲気になるように考えました。部屋の中もリラックスできるように空間をできるだけ広くとり、床や壁紙にも気を配りました。このまどか園は、病院での治療がある程度終わり、地域で社会復帰を目指す人たちを支援して行く「家」だと思っています。病院から地域で暮らすための「かけ橋」だろうと思っています。まどか園は社会での日常生活に適応できる様に、金銭管理、心身の健康管理、食事の確保、余暇活動等のリハビリテーションの場と考えています。地域との交流としては、文化祭や敬老会等で入所者全員による歌を披露しました。また近くのおれんじ館とは、お互いの情報交換をし、お隣り付き合いをさせてもらっています。入居者との関わりでは毎日が感動の連続です。開園したばかりの頃ある精神科の先生から、「彼は二十年間入退院を繰り返していて、なかなか自分からコミュニケーションがとれないので、もしそれができるようになれば良いですね」と言われた方が入所しました。それがなんと入所二週間後「おはよう」「今日はぬっかね…」「ねえ今何んて言うた?」などの言葉が、本人の口から発せられました。また対人関係が苦手だったa君が、今ではカラオケを歌ったり、マイクで園内放送をしてくれるようになりました。ある人は学生の時に声楽を学びその後発病され、それからは人前で自分を表現することに消極的でした。その方が二十数年ぶりに人前で歌を歌った時の感動は、何物にも変えがたいものです。こころの病を持つ人は、特に対人関係が苦手な人が多いので、施設をオープンにした事が逆に良かったと思います。また園周辺の自然環境の良さが、心身のバランスをうまく調整しているのではないかと思います。まどか園ではとりわけ、生活のリズムを取り戻し、食事をきちんと摂り、薬を忘れずに飲むなどの基本的なことを中心に、社会に復帰するための支援を行っています。

(5)せんべい工場のこと
 まどか園は二年間の中間施設ですので、二年後は社会に帰らなければなりません。帰るとしてもやはり働く場がないと、なかなか次のステップへは進めない現状があります。そこで入居者の方の就労準備とトレーニングを兼ねた、せんべい工場を立ち上げました。ちょうど長年せんべい作りに携わって来た方が廃業されるという話を聞き、ぜひその機械を分けて欲しいとお願いしました。「障害者の方の役に立つんであれば譲りましょう」と、話がトントン拍子に進みました。その上、その方には指導員として来ていただくことになり、まどかのせんべいがスタートしました。これで入居者の方が仕事に取組めるようになりました。わずかではありますが賃金をもらうことで労働意欲が出てきて、せんべい工場を作って良かったと思えるようになりました。この園で作った甘夏煎餅や味噌煎餅は、まつぼっくりで販売しています。これからは、せんべいを買ってくださる個人やお店を多く見つけ、生産を続けることで、障害のある方の就労支援につながればと思っています。障害者の方の働く場は作業所と思われがちですが、私たちのこのせんべい工場は将来的には会社をめざしています。そうして精神障害の方が、社会で普通に暮らせるように支えていきたいと思っています。

(6)おわりに

 まどか園では、当事者だけではなく、家族や保護者の方のレスバイト(※注)も取り組んでいきたいと考えています。やはり見守りをする方にストレスがあれば、良い対応はできないように思うからです。私はできることをできる人がやればいいと思ってやっています。また、できないとすぐに返答するのではなく、できるためには、どんな方法があるのかを考えていくようにしています。そして「自分は障害を持ってしまったけど、自分の人生は楽しかったよ!」と思えるような社会づくりの一端を担えればと思っています。

※注)レスバイト 障害児(者)を一時的に預かり、家族等を介護から開放し、日頃の心身の疲れを回復させる事業


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