
align="right">遠藤邦夫
1. 水俣という場所
(1)前置き
日本の高度経済成長と共に育った私は、竹のザルがプラスティックになることに日本の発展を実感し、テレビに映るアメリカのホームドラマにあこがれとコンプレックスを感じていた。なにしろ私の生まれた家には、電気は来ていたが水道はなく、飲み水は井戸から汲んできて瓶に入れてあった。外風呂であったことはいうまでもないが、沢水を竹のトイで引いておりしばしば落ち葉が浮いていた。高校生になってビートルズの歌を口ずさみながら帰っていると、「いなげな歌をうとうとるのは国一郎さんとこの孫じゃが」と聞こえたわけではないが、なぜかみんなが私を知っている。
だから私は都会にあこがれた。喜び勇んでこんなところ出ていってやると思い、そうなった。それは私の意志だったと長く思っていたが、今ではだまされたなあと思っている。高度成長に必要な労働力を田舎から都市へ集め、更に帰ることができないように安定した職場と持ち家を与えてきた。私はその道から外れて、水俣というどうみても田舎にけっこう満足して暮らしている。決して私の半生を語ろうとするものではないが、日本の近代化末期を同時代で生きてきた経験は、近代化の失敗を写し出す実例としての意味を持っているように思う。
高度経済成長に浮かれ・だまされたことの教訓は、全て自主的に選択したと思い込むコントロール操作を受けていたことを自覚することだ。だからグローバリズムが経済ばかりでなく、環境、フェミニズム、人権などもそのフロンティアとして構造化していることに注意を払わなければ、私たちの世代は同じ間違いを二度繰り返すことになる。反グロ−バリズムでは越えることはできず、逆にその中に構造化されていくだろうし、政治変革から社会変革を展望する道は先が閉ざされている。
(2)水俣病事件とは
略
(3)暮らしの中の水俣病
一九九五年の政府解決策以降は、水俣地域では水俣病事件の中心課題は補償問題から水俣病の教訓を活かした地域再生となっていった。従来水俣病事件は政治、社会、産業、医学から位置付けられてきたが、人間が実際に生きて暮らしている生活世界での文化としての見方はあまりなかったように思う。こうした見方が登場する根拠は、水俣病事件の当事者性を水俣地域に暮らす人々が引き受けようとしたことにあるだろう。
「環境創造みなまた推進事業」で行われた火のまつりや実生の森づくりで、住民・行政・企業が協働できたこと、また水俣病市民講座や資料館の語り部の話を聞くこと、などによって市民と患者が出会い垣根を低くして語り合うことができていった。そうした進展のなかで、二〇〇〇年五月に開催された環境自治体会議特別セッションでは、「暮らしのなかに水俣病があった」と語られた。水俣病事件を暮らしから見ることによって、水俣の山・川・海のつながりが大事であること、水俣病の教訓からごみ・水・食べ物に気をつけること、環境学習やグリーンツーリズムなども水俣病を伝える媒介となること、自分たちが住んでいる場所の在り方を考えること、につながっていった。
(4)解決できないことがある
「水俣病は終わらない」と語る人々がいる反面、「水俣病は終わった」と語る人々がいる。水銀汚染は「終わらせたいこと」だろうし、亡くなった人や生き物たちがいたことは「終われないこと」である。私は終わらない・終わった論争は、自分たちが生きる場所をどのように創っていくのかで表現されるべきことと考えている。ただ終わったと語る人々が「補償が終わったから、水俣病は終わった」という認識だとすれば現実と願望を混同しているといえる。水俣病は補償問題ばかりでなく、医学的にも、社会学的にも、自然科学的にもまだまだ課題は残っており、なによりも水俣病を経験した水俣がどんな地域に再生するのかは始まったばかりである。何故「終わった」と言いたいのか、その心性を自ら考察することが、なお重要ではないだろうか。
どんな悲惨なことがあろうと、人々は日々食べなくては生きていけないし、そのために残念ながら意に染まぬ仕事もしなくてはならない。こうして日常的には死んでいったものたちを少しずつ忘れていく。そのあげくまた同じ悲惨な間違いをせぬとは言えない。そのために私は、祭儀的な行為が生活文化の中に非日常的な空間として生み出されるのだろうと思う。その時その場所で、人々は先祖のことや悲しかったことを昇華させるのだろう。
水俣湾埋立地で行われる火のまつりや実生の森づくりは、非日常的な空間と自分との結び付きを生み出す人間の知恵である。いや水俣湾埋立地自体が非日常的な空間そのものであろう。水俣病がそこに始まり、多くの生き物の命を奪いまた埋めた場所であり、どうしようもない水銀ヘドロを封じ込める以外には問題解決できなかった現場である。ちょっと話がずれてしまうけれど、この地はエコパークと名づけられているが、これこそ名づけによって場所の意味を失わせようとするハカリゴトである。映画「千と千尋の神隠し」の中で、名を奪い支配する湯婆婆に対して、例えばハクは千の優しさによってコハクガワという名を取り戻す。私は長くモノはその概念がすべてと考えてきたが、「討論 三島由紀夫vs東大全共闘」(1969新潮社)で三島由紀夫は「ぼくが言いたいのは、観念に名前がつかなきゃ、観念は観念じゃないということ…あなたと私との本質的な差は、結局名前があるかないかということなんです」と述べている。とまれ、例えば火のまつり実行委員会はエコパークでの火のまつりではなく、水俣湾埋立地で火のまつりを行っている。
2.マチづくりの考え方
(1)マチづくりは誰が、どのように、何をするのか
略
(2)水俣で生れた地元学
水俣は四〇年間に渡って、患者は病気ばかりでなくチッソや国・県そして住民からの差別的まなざしに苦しみ、住民は自分の生まれた場所を名乗れないことに苦しんだ。そして患者同士、患者と住民、支援者と住民、住民同士のあいだに水俣病の被害をめぐってギクシャクした関係が続いてきた。そればかりでなく魚介類やみかんやお茶まで汚染のイメージが張り付き、水俣産としては販売することができなかった。たしかにチッソは被害者に補償金を支払い、国や県は水俣病関連の補助金をつぎ込んできた。しかしそれだけでは水俣は再出発することはできなかった。なによりも必要だったのは水俣に暮らしている人々が、自分たちの手で水俣の暮らしを再構築していくことだった。そのためにはまず地域を調べ、何があるのかを知り、どうしたら手持ちのモノを磨いていって、水俣らしい暮らしを創っていけるのか考えることが必要であった。それが地元学である。地元学はいわゆる学問の体系としての学ではなく、地元に学ぶ意である。
地元学提唱者吉本哲郎氏は「対立のエネルギーを創造のエネルギーに転換する」と語る。自慢じゃないけれど、対立ならば水俣はどこにも負けない自信がある。患者と住民、患者とチッソ、患者と行政、住民と行政等々、枚挙にいとまがない。どのように転換するのか? 対立はそれぞれの立場が異なっていることに加えて、お互いに相手の主張を聞かずに否定することがよくある。立場や違うことを前提に話し合いをしてみたらどうだろう? と一九九三年相思社と市役所と産業界の人々で小さな懇談会を設けた。そこでの唯一のルールは、自分と違う意見も最後までちゃんと聞くことだけだった。私は自分の主張をすることは得意だったが、人のとくに立場の違う人の主張を聞き、相互の意見交換をすることは苦手だった。しかし実際にやってみたら、違いはあまり気にならなかった。正確に言うと見解の相違はあったが、その違いは過去の事実に関するものであり、未来に対しての違いはあまりなかった。そこで立場が違う人がいることを前提として、そこで協働を生み出す手法はないものかと模索した。
私はこの懇談会で生れたルールは、認識を同じくして協働するのではなく、協働できそうな行為からまず始めてみることが大事なのだと確認した。そうして行われたのが水俣湾埋立地での火のまつりであり、実生の森づくりであったと思っている。もちろんそこにまた新しい相違が生まれる可能性はあるが、それぞれの協働の提案が競合することで問題解決のやり方の多様性が生まれてくる。
(3)公・共・私の適正な空間
日本社会もすっかりアメリカナイズされて、ちょっと預かった子供に事故が起きると訴訟になってしまう。「隣の犬がうるさいからなんとかしてくれ」と市役所に電話が来るようになった。明治維新以来の日本人は、明治時代にそれまでの生活文化を投げ捨て欧州の衛生学や政治思想にかぶれたように、太平洋戦争敗戦後軍国主義を投げ捨て欧米のスタンダード思想としての民主主義にかぶれた。戦後五人組や町内会が、ghqによって軍国主義の温床として批判されると、地域を自治する志までも投げ捨てたのである。問題は外部からやってくるものを、適正化してなじませることができず、オール・オア・ナッシングでしか対応できない心性にある。
欧米的な公共空間は、個人を前提とした法的契約関係で構成されている。一方日本を含むアジアの公共空間は、例えば聖徳太子の「和をもって尊しとなす」ようにまず共同体=村社会ありきなのだ。一昔前にはこうした欧米とアジアを比較して、欧米の歴史をスタンダードと思い込んで、オリエンタリズム・アジア的停滞などと一段低い評価を与えていた。いつ頃から民主主義が全面的にいいことのように思われ始めたのか知らないけれど、私が学生の頃には「民主主義は資本主義社会の政治的支配体制を支えるイデオロギーだ」という認識があった。最近の政治家たちの酷いふるまいを見れば、「民主主義はどこへ行った」と思いたくなるが、もともとこの日本に良くも悪くも民主主義は根付いていないのではないか。
問題は民主主義が根付いていないからではなく、民主主義とアジア的共同体を都合にあわせて=恣意的に使い分けていることにある。結果として生活空間は、権力にいいように取り扱われるということを、昨今の政治家たちの無分別な振る舞いが証明していると考えたい。つまり彼らが私たちを写す鏡なのだ。と考えると、私たち自身が公共空間を創り出すほかないし、その時何を元手とするのかが課題となる。それは、地元学から言えば人の暮らしと自然が交差している地元であろうし、「<地域><地方>といった国を中心にしたとらえ方をやめ、《場所》を軸にもってくる」(山本哲士)という考え方も魅力的だ。地元や場所は何よりもそこでモノ創りが行われているし、人々が暮らしている現場である。どうしても外から降ってきてなじんでいない民主主義を、私は公共空間の秩序原理として採用する気にはなれない。
国からは市町村合併や地方分権が提案されているが、それは国という権力の元での空間構成の変更にすぎない。今私が実現したいことは、自分たちが住んでいる場所=地元で、生きていくためのモノ創りを行い、モノを交換しあい、おたがいさまの心持ちで暮らしていける状態を作り出すだすこと。それが住民自治であり、法や権力を第一義としない公共空間として創りたい。
3.住民と水俣市の取り組み紹介
(1) 水俣市の取り組み
一九九〇年代になって水俣市が取り組んできた寄ろ会みなまた、環境モデル都市作り、資源ごみのリサイクル、環境マイスター、環境iso一四〇〇一の取得、地区環境協定、教育旅行誘致、地域通貨・元気村女性会議と数多くの事業は、行政から提案され住民が受け止め協働して展開してきた。出発点となったのは水俣病の犠牲を無駄にしないマチづくりは、水俣病の教訓として「ごみ、水、食べ物に気をつける」ことが、公害で打撃を受けた水俣の自然環境と社会環境を同時に再生させることだと考えたからである。特に九四年の水俣病犠牲者慰霊式で吉井市長が「市民でもある患者の苦しみを眼の前にしながら、充分に役割を果たし得たのだろうか…水俣病で犠牲になられた方々に対し、十分な対策を取り得なかったことを、誠に申し訳なく思います」と、率直な謝罪を表明したことが、水俣再生の動きに拍車をかけた。
中略
また資源ごみ分別を始めて燃やすごみも減少したが、その後徐々に増加してきたので、分別だけではごみ減量は難しいと気がついた。そして市内の女性によるごみ減量女性連絡会議が発足し、ごみを家庭に持ち込まない、モノを棄てないで修理して長く使う、リサイクル商品の購入を進める、と活動を続けている。
ごみ減量というテーマから、地域コミュニティーの活性化が図られ、視察という交流が起こり、ライフスタイルの見なおしまで発展していることが、水俣の特徴である。
(2) 水俣の環境学習・グリーンツーリズムの意味
略
4. 水俣のマチづくりの新段階
(1)水俣の課題「もやい創り」
もともと「もやい」は船をつなぐ綱の意味があり、また農村共同体では神社の掃除や修理を一緒に行うこと意味している。「もやい直し」はそうした関係が壊れこんがらがった状態を、協働することから修復していこうとするものである。現在ではさらに積極的にもやい創りとして、さまざまな協働がはかられている。水俣病の社会的被害を人間関係や共同性の喪失と捉え、例えば水俣病患者への差別があることの批判するにとどまらず、水俣病患者と市民の出会いの場を設定したり、知らなかった苦しい経験を聞く機会を設けたり、作っているモノを交換して楽しんだりして、そうして差別や偏見が実生活のなかに意味をなさないようにしている。決して差別がなくなったとは言えないが、逆に水俣病患者と知り合い水俣病を中心に据えたマチづくりが必要だという人々も増えている。
もやい創りが実行されるには、住民の気運が盛り上がるばかりでなく、ご飯が食べられるための産業展開も同時になされることが大切だ。このもやい創りの意味が普遍化できればあらゆる対立の解決に使える。大げさな物言いだと思うかも知れないが、二項対立的図式から脱却した世の中は、世界のどこにもまだない。
(2)二〇〇一水俣ハイヤ節を披露する
二〇〇〇年一二月二日、杉本栄子さんと荒馬座によって創り出された二〇〇一水俣ハイヤ節が水俣市文化会館で披露された。ハイヤ節は南方から伝わってきた海の民の踊りだ。九州は牛深に上陸し牛深ハイヤとなり、周辺では薩摩ハイヤが生れ、リズムが海の道を流れていって佐渡オケサとなり、農耕の民によって阿波踊りとなっていった。人はどんな時に踊るのだろうか。踊りを披露するとはいったいどんな意味があるのだろうか?
私もよその地域での交流会で、地元の歌や踊りを披露されたことがある。地域の自慢として受け止めていたがその意味について考えたことはなく、定番の歓迎としてちょっと退屈ではあるが微笑ましい風景くらいのものだった。だから二〇〇一水俣ハイヤ節の時も、水俣でこんな踊りが生れたことは嬉しかったが、それがもやい創りのレベルを一つあげたことには気がついていなかった。
その後また交流会で地元の歌と踊りを見せられた時に、大げさに言えば電流が流れたように二〇〇一水俣ハイヤ節の意味が身体に流れ込んできた。「そうか、水俣病のあった水俣で、水俣病の患者が風土と暮らしと仕事を織り込んだ踊りを披露できるようになったんだ」と。水俣病事件のコミュニケーション・レベルを変えたんだと思った。水俣病と語らなくても、踊りを通じて水俣病の意味が伝わっていく段階を迎えたといえる。踊りという身体表現は怒っていてはできない。笑顔と笑いとそれへの共感が踊りを盛り上げる。どうすればいいのかと考えていた「対立のエネルギーを創造するエネルギーに転換」ができているではないか!
(二) マチづくりおさらい
すでに述べてきたことを箇条書きにまとめる。これは水俣の経験だから他所の場所にそのまま当てはまるわけではない。例えば資源ごみ二三分別にしても、人口三万人の水俣だからできたことがあり、人口が五〇〇万人の横浜市では不可能だ。考え方にしても風土と暮らしの影響は強く、その場所での読み替えが必要であろう。
@マチづくりは呪文ではないから、誰が、何のために、どのようにしてやるのか、またやらないのかまず考える。
Aその場所には独特の風土と文化と人がいる。
B自分の住んでいる足元を調べる。自分の足元が地球だ。
C調べた結果を考える。形あるモノには意味がある。形を変えると意味が変る。
Dないモノねだりをやめて、あるモノを探して磨く。
Eモノ創りから自分や地域=場所が生れていく。人の主体は思念のなかではなく、モノで表現される。
F行政・マスコミ・学者の言葉にだまされるな。例えば福祉という意味ありげな言葉は、地域の支え合いより内実はどうなのか? と問いを発してみる。
G認識を同じくするのではなく、違いを認めることから始める。出会って垣根を低くして語れる場を用意する。
H一緒に出来ることを探して行動する。それが協働を生み出し人々が変わっていく。
I自分のことは自分でやる哲学を持つ。おそまつな行政、おそまつな政治家は自分たちを写す鏡とみなせ。
J自分たちの地域=場所は自分たちで治める⇒住民自治。地方分権を要求しない、自分たちでさっさと創っていくこと。
K「人様は変えられないから自分が変わろい」(杉本栄子)
(『部落解放』二〇〇二年四月号に掲載された「ワクワクさせるマチ 水俣」を、加筆・中略して転載しました。部落解放出版社のご好意に感謝します)
2002年・水俣を巡る旅
あなたにとって水俣のイメージはどんなものですか?
公害の町、患者の闘い、ごみの23分別、環境モデル都市、もやい直し…。
水俣の断片は知っているけれど、それがどんな関わりでつながっているのかはちょっと見えなかったりして。
今年のごんずいのがっこうは、リサイクル・水俣病の経験を伝える・教育・安心安全の食べ物づくりなどに取り組んでいる人に出会い、水俣の過去から現在、海・山・川、人と人とのつながりを五感で感じます。
初めての方から子供たちに水俣をどう伝えようかお悩みの方まで、きっとたくさんの発見があるごんずいのがっこうです。
日程:8月23日(金)〜25日(日)
定員:15名(最少実行人数5名)
参加費:31500円(宿泊、食事6回、保険、市内移動費を含む)
維持会員28350円
| 8/23 | 13時 | 集合 |
| 午後 | 水俣のリサイクル、ごみ減量の現場を巡る | |
| 夜 | 水俣病事件から学ぶ | |
| 8/24 | 午前 | 水俣病の現場を巡る |
| 午後 | 水俣病患者との対話、一緒に作業をする | |
| 夜 | 水俣病を伝える−学校での実践から | |
| 交流会(お世話になった方々や相思社スタッフと) | ||
| 8/25 | 午前 | 水俣の水を巡る(水の生まれる場所を歩く) |
| 午後 | ふりかえり | |
| 14時 | 解散 |
※スケジュールは変更する場合があります。
お問い合わせ:
水俣病センター相思社 小里(おり)
〒867-0034 熊本県水俣市袋34
tel 0966-63-5800 fax 0966-63-5808
eメール:soshisha@fsinet.or.jp
今年の夏は水俣環不知火海調査に行ってみよう
地元学による調査を実地に体験しませんか
資格:18歳以上。体力と気力のある人
募集人員:8人
参加費:1万円(維持会員8千円)
水俣までの交通費は各自負担
調査地域:芦北町女島
日程:8月1日(木)〜4日(日)
| 8/1 | 13:00 | 水俣駅集合・ガイダンス |
| 14:00〜17:00 | 水俣案内 | |
| 20:00〜22:00 | 水俣概説 | |
| 8/2 | 09:00〜12:00 | 女島で[あるモノ探し]調査 |
| 14:00〜16:00 | 見てきたことを共有化 | |
| 16:00〜18:00 | テーマ別マップ作成 | |
| 20:00〜22:00 | 地域情報カード作成 | |
| 8/3 | 09:00〜11:00 | 生活史ヒアリング |
| 15:00〜19:00 | 離れ小島でお楽しみ | |
| 8/4 | 09:00〜12:00 | ふりかえり・分かち合い |
| 13:00 | 解散 |