産業廃棄物処分場がやってくる?/川部岬
IWD東亜熊本への質問とその対応/神沢聡
水俣市への質問と対応/小里アリサ・高嶋由紀子
水俣の命と水を守る市民の会・下田安冨氏インタビュー
産廃最終処分場予定地見学記/小里アリサ
産業廃棄物処分場問題と「地元」/藤本延啓
水俣病の経験をどう役立てるのか/弘津敏男
水俣病50年に向けて/弘津敏男・遠藤邦夫
水俣トピックス 沖縄自己研修報告/PHD協会西日本研修旅行 in 水俣/袋中学校二年生が来訪
相思社日誌
ありがとうございます
安全で、住民と共存でき、必要な最終処分場ならあってもよい。事業者はどのような考え方でどのような処分場を作ろうとしているのだろうか。事業者の意見や説明もきちんと聞いておかなければならない。そこで、(株)IWD東亜熊本へ次のような質問を投げかけた。
一、どのような企業のどんな廃棄物を搬入する予定ですか。
二、他の管理型処分場で遮水シートが破損する事故が起きていますが、遮水機能はどのような工法で確保されますか。また、その遮水機能の耐用年数は何年ですか。
三、安定型処分場でも浸出水から有害物が検出される事故が起きていますが、そのようなことが起きないようにどのような対策をしますか。
四、処分場として何年使用し、その後何年管理する予定ですか。また、管理しなくなった後の30年後、50年後は大丈夫なのですか。
五、水俣市・御所浦町・津奈木町の水道および地元簡易水道の水源地でありながら、土石流危険箇所が多く、近くに活断層もありますが、災害によって有害物が流れ出ることはないのですか。
六、搬入路として計画されているのは通学路でもある狭い道路ですが、交通事故、排ガス、騒音、飛塵の影響が出ないようどのような対策をしますか。
七、処分場の残余容量は回復(注参照)してきていますが、なぜ400万立方メートルもの巨大な処分場を建設するのですか。
八、処分場の一般公開や自然公園化など、地域住民や環境への配慮についてどのような予定ですか。
結果は回答を得られなかったのだが、その経緯をまとめた。やりとりは、地元の建築業者でもある、IWD東亜熊本専務取締役の山口幸治さんと電話で行った。
二月一八日 ごんずい掲載のためのインタビューおよび建設予定地の見学を申し込み。神奈川のIWD本社にいることの多い小林景子社長が来水し対応する方向で日程調整をしてもらえることに。二月中は忙しいとのこと。質問項目を記した文書およびごんずい八五号の関連記事をFAX
三月三日 三月に入ったので確認の電話。日程を設定しようとしているのだが、まだ調整がつかないとのこと
三月一〇日 バタバタしていて日程調整がつかないとのこと。相思社だけでなく環境アセスメント調査へも対応できていないと聞く。ごんずい発行の締切のためインタビューは無理と判断し、簡単なコメントでよいので文書での回答を依頼。見学についても、説明はなくてよいので写真撮影への山口さんの立ち会いだけを依頼
三月一四日 IWD本社の意向は文書での回答ならできそうな感じだが、社長が体調を崩し返事はもらえていないとのこと。一八日まで待つが、回答ない場合はその経緯を掲載する旨を伝える。山口さんの立ち会いについても、「私の一存ではできない」とのこと
三月一八日 結局、回答はなかった
山口さんには丁寧な対応をしていただいたのだが、残念ながら、回答をしてもらえるのか、してもらえないのか、についてさえIWD東亜熊本としての明確な返答を聞くことができなかった。異なる立場からの意見をきちんと表明しあえる場が必要であり、機関誌「ごんずい」はその一つでありたい。小林社長の言った「社会的に必要な事業でもあり、きちんと内容を説明し、住民の理解を得たい。積極的に情報開示したいと考えている」(水俣市の検討委員会への情報公開申し入れに対して。毎日新聞)という言葉に期待したい。 (神沢聡)
は、地元の建築業者でもある、IWD東亜熊本専務取締役の山口幸治さんと電話で行った。
注)〇三年に策定された「熊本県産業廃棄物公共関与基本計画」に「民間処分場の充実による残余容量の回復」という文言があったので、このように質問を作成してしまったが、実際にはひっ迫している。回復したので状況を見守っていたが、再び不足が予想されるようになったので「基本計画」を定めたということであった。「基本計画」によると、処理業者所有の管理型処分場の残余容量は〇二年度末で四〇万立方メートルであり、〇五年度中の不足も考えられるとしている。そして、民間での整備が困難な状況から、公共が関与し、向こう一五年間分の容量として一四〇万立方メートルの管理型処分場を確保する必要があるとしている。IWDが計画している管理型は二〇三万立方メートルであり、熊本県全体の必要量を上回るものだ。なお、「基本計画」は、安定型については余裕があるとしている。
今回は、はじめ江口市長にインタビューを申し入れたが、残念ながらお受けいただけず、代わりに水俣市役所福祉環境部の吉海安丈部長、同環境対策課松本幹雄課長にお話を聞いた。
Q 水俣市の環境基本計画などに照らしてどう対応されるのでしょうか。
吉海 廃棄物処理に関する法律や(熊本県の)環境影響評価に関する条例に基づいて、当然きちんとした手続きがされるべきでしょう。もともと(処分場建設が)禁止されているわけではございませんので。環境モデル都市ということで、リサイクルやゼロエミッションという考え方に基づき、基準に沿ってきちんとした処理をしていただきたいという考え方ではあります。
Q 廃棄物処理法ではカバーできない問題があるようですが。
吉海 水俣市で独自に廃棄物最終処分場の検討委員会を作って、住民の代表や学識経験者等を入れて計画を検証しています。これは市長の諮問機関ですから結論については市の意見として反映させたいということですね。
Q 処分場ができた場合、水俣市にとってメリットやデメリットは何でしょうか。
吉海 今、エコタウンの企業がリサイクルをやってますけれども、最終的にリサイクルできないものが年間約四五〇〇トン発生していまして、市外に出しています。また、エコタウンに限らず水俣・芦北地域からは、最終処分される建設廃材等の産廃が年間約三万四千トン発生していますので、地元に処分場が出来るとその処理経費は安くなると考えられます。それから、わずかではありますが雇用や税金ですかね。デメリットというのは、皆さんやいろいろな会が心配されていますが、そういった方々が心配されているというのが、デメリットかもしれませんね。
Q 住民の団体から心配だと出されていることが市として心配されていることだと。
松本 自分のまちに処分場ができてほしいと思っている人はどこにもいない、と議会でも市長が言っているんですけれども、裏返すとそういうことになりますね。賛成派と見られるのは遺憾である、とも言っております。
Q 市長の言う中立の立場とはどういうことなのでしょうか。
吉海 処分場について、ここ三年間の全国の許可申請状況を調べてみたところ、申請の八六.四%が許可されているわけです。残りの一三.六%は、法令の基準に達していないとか、資本力に問題があるということで不許可や保留になっていますが、今の基準からすると許可される可能性が大きいわけですね。そういったところを見据えて、最初から反対というよりも中立という形で、できる前からもきちんと言っていかなければいけないし、仮に許可された場合には監視や指導をしていくためには、今の段階では中立というのがベターだと。
松本 企業をブラックボックスにしたくないわけです。いろんな要求をしてちゃんと対応をしてくれなければ毅然として反対していきたい、と議会でも言っています。
Q 許可された後ハードルを高くしていくとは具体的にはどういうことですか。
吉海 たとえば排水基準・強度などの安全性の問題も市では法律より高くしていただきたいと申し入れていかなくちゃいけません。仮に許可されたとすれば、住民・行政・事業者で透明な形で情報公開をするようにしたいと思います。
松本 八代市では公害防止協定を結んで積立金や維持管理など取り決めていますが、そのようなやり方もあるかと思います。
吉海 問題となっているのは不法投棄ですね。許可された以外のものを不法に搬入していることで問題が起こっているわけですから、きちんとした監視体制が必要となるし、そうでなければ搬入停止などをしていくことになるでしょう。
松本 立ち入りは法的には県だけなので、市としては独自に協定を結んで入りやすくするということですね。肯定しているわけではなく、もしできた場合は、ということです。
Q 市長が建設予定地を買い上げるという発言もありましたが。
吉海 一つの案として事業者と協議をしたいということです。ただ買い上げをするためには予算がいりますので、議会などの了解を得ないとだめなんですけれども。買い上げの交渉をするのであれば、業者がアセスメント等を進めて費用がかさまないうちに早くしたほうが安く買い上げられます。市が反対をしても基準を満たして県が許可すればどうしようもないわけですが、県が許可する前に買ってしまえば作れないわけですからね。
Q 土地を買うとすれば、利用法や財源も考えなければならないですね。
吉海 そんなのはけしからんという反対もあってストップした状態で、まだ事業者との話し合いもしていない段階ですから。今は方法書を出している段階ですから、今の段階としては厳しく指摘していくということをやらないといけないと思います。
松本 (買い上げ例は)福岡県で二カ所あるということですので、一つの方法ではあると思います。
Q 環境モデル都市としてどうお考えでしょうか。
吉海 環境モデル都市ですから、ゴミはきちんと汚染とならないように処理しなくてはいけませんが、自分はよそに出して、よそから持ってくるのはダメですよというのは、またおかしいところもありますね。どうぞ持ってきて下さい、と諸手を挙げて歓迎するのではないですが、きちんと処理をしてリサイクルしてそれでも出てしまうものは、可能な限り自分のところで処分するのが必要なわけですね。
Q 九州一円から最終的に四〇〇万トン持ち込むということですが。
吉海 この前の第二回の検討委員会では、業者は主に熊本県内や南九州域からと言われたですね。県外からは全体の割合の三割以上の持ち込みはダメという県の方針がありますから、九州各地から全部持ってくるということはできないわけです。
松本 今度産廃税(※注)ができましたから余計厳しくなると思います。
※注 産廃税 熊本県条例で定められた法定外目的税。県内の処分場で処分された産廃について一トン当たり1000円を排出者から徴収する。2005年4月1日から沖縄県を除く九州各県で一斉に導入される。
(聞き手・構成 小里アリサ・高嶋由紀子)
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| 下田保富さん |
下田保富プロフィール
大正13年生まれ。4代前から大森で農業を営む。昭和25年、水俣市役所入所。以来昭和54年に退職するまで建築畑を歩む。2004年6月より「水俣の命と水を守る会」世話人。
処分場の予定地は、長さ一五〇〇m、幅最大八〇〇〜六〇〇mという大きさです。ゴルフ場をつくるということで、観光会社が買収していたところです。ここに(株)IWD東亜熊本という産業廃棄物処分業者が、安定型と管理型最終処分場をつくり、合計四〇〇万トンもの廃棄物を九州中から持ち込もうという計画なのです。
処分場の問題は、まず第一に水源を汚染する恐れがあるということです。処分場周辺には水の湧くところが二〇ヶ所くらいあり、大森地区で使っている水源が五ヶ所あります。これらの水源の湧水量は一日五〇〇〜六〇〇トンと考えられ、これまで一日として枯れたことはありません。処分場ができれば、飲み水や生活用水として使っている水が汚染されたり枯れたりするおそれがあります。
また、処分場予定地は水俣市の水道水源地から七キロの上流にあり、湯出川に管理型処分場から出る汚水の処理水が流されます。処理したとしても、その処理水は本当に大丈夫なのか。また、処分場の使用期間が終わる二〇年後以降は、その管理はどうなるのでしょうか。さらに安定型から出る汚水は、調整池で沈殿させた上で上澄みを川に流すということですが、安定型処分場にも違法に様々な廃棄物が混入されることが心配されています。その場合、川に流す水はもちろん、浸透して地下水に汚水が混じれば、水道水源も汚染されてしまいます。ここら辺の雨量は、年間一八〇〇〜一九〇〇ミリで、処分場の穴を通った水は年間三〇万トンから三三万トンと推定され、それが湯出川に流れ込むことになるのです。
第二の問題は、処分場に廃棄物を搬入するトラックの問題です。四〇〇万トンの廃棄物を運ぶとすると、一〇トントラックで四〇万台。二〇年間とすると一年間に二万台。会社側の説明による操業日数の年二八五日で計算すると一日に約七〇台ですが、実際には四トントラックも使うので、約九〇台くらいと見られます。これは搬入だけの台数で、実際には帰るトラックも通りますから台数は二倍になります。
これだけの量を運ぶことは、道路沿線、処分場周辺の人々の暮らしを脅かします。また処分場の近くにはゴルフ場もあり、観光客にも影響するのではないでしょうか。廃棄物を運ぶ際のにおいの問題も心配しています。
第三は大気汚染の問題です。埋立処分場からは必ずガスが出ます。どんな有毒ガスが出るのか。処分場付近はよく北の風が吹くので、木臼野へ流れる恐れがあります。
第四は、湯出小中学校のプールの水が汚染されるのではないかということです。プールの水は日添川から採っているので、処分場からの汚水が入り込んだら使えなくなるでしょう。
第五は、農作物への影響です。処分品目には焼きガラも入っています。処分場のまわりには茶園もあり、ダイオキシンの影響が心配です。
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| 村全体が水瓶のような木臼野地区 |
IWD東亜熊本による最初の説明会が大森地区であった時、「なぜここに持ってきたのか」と聞きました。小林社長の説明は、「たまたま広大な土地があったから。そして地権者が一人だったから」でした。
予定地は、谷間ではなくなだらかで、山で囲まれているからまわりから見えないんです。あの土地は元々私たちが小場作をしていたところなんです。ソバやカライモ、野稲を作っていました。松山だったんです。戦後、木臼野開拓が入って畑になりましたが、一〇年くらいでやめてしまって、一九六〇、六一年頃、ゴルフ場にするということで観光会社が買い、その後、串木野の酒造会社に転売され、地元の人も絡んで二〇〇四年五月か六月頃にIWD東亜熊本の所有になったのです。九五町、九五万二千平方メートルの山に囲まれたなだらかな土地が一人の地権者という、処分場にこんな最高な条件はないですよ。
市長はこの計画に反対すべきではないでしょうか。市長はIWDと会った時、「水俣市は国の基準よりハードルを高くする。日本一安全なものを作ってくれ」と言っています。これは作ることを認めることにならないでしょうか。中立の立場と言っていますが、業者寄りの中立と言わざるを得ません。
水俣病の経験がある水俣になぜ持ってくるのでしょうか。産廃処分場は、今の私たちの生活から出るものでもありますから、それ自体に絶対反対と言っているわけではありません。自治体毎に、そこから出るごみを対象にした処分場が、自治体の責任の元に作られるなら、それはある程度考えられます。水俣市の岡山埋立処分場も、後一七年くらいは使えると聞いています。きちんと分別と管理をして水俣あたりのごみを処分する処分場ならわかるのですが、こんなに大量の廃棄物を水源の上に埋め立てることは、絶対反対です。
命と水を守る市民の会では、これからの活動のために事務所をつくりました。二〇〇六年度中に環境影響評価を出すと言うことですので、業者との話し合いを求めていきたいと思っています。会では申し入れていますが、業者が応じようとしないのです。署名も継続して集めていきます。
私の家の水は、二〇〇年、そのままで飲んできた水です。一度も枯れたことがありません。うちの水を含めて、水は絶対、汚してはいけないのです。
(聞き手・構成 小里アリサ)
みなさん、こんにちは。藤本と申します。現在、香川県豊島の住民組織「廃棄物対策豊島住民会議」の事務局をしております。その一方で、環境問題・ごみ問題の勉強をする九州大学の大学院生で、昨年春まで福岡に住んでおりました。福岡にいるころには毎月のように水俣へ足を運んだ時期があって、相思社のみなさんには何度もお世話になりました。専門分野は社会学で、「ごみ」に対して人々がどのように問題意識を抱くのか、そしてその問題意識が住民活動にどのように反映されていくのかといったあたりに注目しています。
今回は「豊島事件」を通して、産業廃棄物が引き起こす問題と「地元」との関わりについて考えてみたいと思います。
まず、産業廃棄物と一般廃棄物が引き起こす問題の違いについて押さえておきましょう。一般廃棄物に比較しての産業廃棄物の特徴をおおざっぱに捉えるなら、「危険性の高さ」と「よそからやってくる」ということになります。産業廃棄物は、その定義から言えば、すべての事業活動に伴って生じた廃棄物のうちで定められた二〇種類のものということになりますが、主に日常生活から排出される一般廃棄物に比べると量が圧倒的に多く、概して危険な物質が含まれる可能性が高くなります。また、一般廃棄物には「自区内処理の原則」といわれるものがあって、市町村内で発生した一般廃棄物はその市町村内で処理をするのが基本(近年では広域処理が一般化してこの原則は崩れてきていますが)となっていますが、産業廃棄物では、市町村境どころか県境も易々と越えるような長距離で大規模な廃棄物の移動が見られます。最終処分場は産業活動がさほど盛んではないような田舎につくられることが一般的ですから、産業廃棄物の最終処分場に入ってくるものの多くは「よそのごみ」ということになるのです。
さてここで、日本で代表的な産業廃棄物問題だといえる「豊島事件」について見ていくことにしましょう。
豊島事件のはじまりは一九七五年です。今年でちょうど三〇年目ということになります。事の発端は、当時豊島で砂の採取を行っていた業者「豊島総合観光開発株式会社」(以下、豊島観光)の実質的な経営者が、有害な産業廃棄物の中間処理施設を豊島につくろうと香川県に許可申請をしたことです。その経営者は札付きの人物でした。豊島住民はすぐ処分場建設反対の行動をはじめました。
しかし、香川県の反応は非常に冷たいものでした。当時の前川知事は一九七七年に豊島を訪れ、「豊島の海は青く、空もきれいだが、住民の心は灰色だ」と発言しています。前川知事には、豊島住民の反対運動は住民のエゴであり、事業者いじめだと映ったようです。
この発言に豊島住民は奮起し、県庁へのデモなどを経て、処分場の建設差し止めを求める裁判を起こしました。
このような住民の動きに、豊島観光は許可申請の内容を「無害なものによるミミズ養殖」に変更します。これを受け、裁判中にもかかわらず、香川県は処分場建設の許可を出してしまい、一九七八年に住民は豊島観光と裁判上和解しました。
しかし、ミミズ養殖はじきに行われなくなり、許可された品目以外の廃棄物がどんどん持ち込まれるようになりました。一九八三年から、豊島観光は改造したフェリーを産業廃棄物を運ぶ専用船として使うようになり、ごみの持ち込みがひどくなりました。野焼きをするようになったのもこの頃です。
豊島に持ち込まれた産業廃棄物の多くは「シュレッダーダスト」と呼ばれる自動車の破砕くずでした。これは廃自動車から金属分を取り除いたあとのくずなので、プラスチック類が主になっています。火をつけるともうもうと黒煙をあげます。この時期、豊島ではぜん息患者が多発していました。
豊島観光がこのような事業を実施している間、香川県は一一八回の立ち入り検査を実施していましたが、県は「これは廃棄物の処理ではない。金属回収のリサイクルだ」との見解を示していました。産業廃棄物の持ち込みと野焼きは続けられたのです。
一九九〇年、兵庫県警が豊島観光を強制捜査し、翌年には事業者が逮捕されたことによって、豊島事件は大きな転換期を迎えました。不法投棄の状況がマスコミに流れ、世間の耳目が豊島に集まりはじめました。豊島住民は県がなんらかの対策をとってくれるものと期待しましたが、県はなんら実効性のある対策をとらず、「処分地に危険な物質はない」との「安全宣言」までしていました。その一方では、マスコミを通じて「ごみの島」という印象が日本中に伝わり、豊島産のみかんや魚がうれなくなるなど、風評被害が発生し始めていました。
事ここに至り、中坊公平氏をはじめとする弁護団の協力を得て、豊島住民は公害等調整委員会(公調委)への調停申請に踏み切りました。公害調停という行政手続きによる解決手段を選択したのは、豊島住民には裁判で争うための力もお金も時間もなかったからです。例えば、公調委では豊島の不法投棄現場の実態調査を一九九四年から九五年にかけて行いましたが、この調査にかかった費用は二億三六〇〇万円であり、これは国から支出されました。とても住民が負担できる金額ではありませんが、もし裁判を選択するならば、このような費用は住民が負担することになります。
住民は公調委での手続きや協議を進める一方、豊島の現状を知らせていく活動を地道に続けました。県庁前で無言の抗議を続けた「立ちんぼ」、島の若者九人が香川県下の全市町を歩いて訪れた「メッセージウォーク」、夜行の貸切バスで往復し、東京の銀座に豊島のごみを持ち込んでデモをした「東京キャラバン」、土庄町六〇〇〇戸全戸を訪問した「ローラー作戦」、香川県内一〇〇ヶ所で座談会を開いた「『豊島の心を一〇〇万県民に!』キャンペーン」など、普通の生活者であった豊島住民には過度の負担となるものでしたが、住民たちはこれらの活動をやり遂げていきました。一九九九年に一〇〇〇票程度しか持たない豊島から石井亨さんを県議会選に出し、七三四〇票を得て当選させたのは、これらの活動が効果を上げつつあることを示したと言えるでしょう。
そして二〇〇〇年六月六日、真鍋県知事が豊島を訪れ、住民に対して謝罪をし、公害調停が成立しました。しかし、ごみを撤去し、無害化する作業には今後一〇年の時間と五〇〇億円の費用がかかると試算されています。また、処理のための溶融炉が爆発事故を起こしたり、基準値を超えるダイオキシンを含んだ水が誤って放流されたりといった問題が次々と起きています。
この「豊島事件」を「産業廃棄物が引き起こした問題」という点から見れば、本稿の最初にお話しした、産業廃棄物の「危険性の高さ」、「よそからやってくる」という特徴がはっきり表れた事件だったと思います。そして、いったんごみが集まってしまうと、それを撤去させることや汚染された土地を元通りにすることは非常に困難だということも、豊島事件は示しています。
一九九三年に公害調停を申請した時、豊島住民はもとより、弁護士たちもこの膨大なごみの山を撤去させることは無理だろうと思っていたそうです。それでも活動に力を注ぎ続けることができたのはなぜでしょう? 活動の中心メンバーの一人、安岐正三さんは「アイラブ豊島っちゅうことや」とおっしゃいました。また、豊島の玄関口である家浦港には「豊かなふるさと わが手で守る」と書かれた大きな看板が掲げられています。
豊島住民は「環境問題」に対して、特に意識が高いというわけではありません。しかし、自分たちの住む豊島という「地元」に対しては、ずっしりと重く強い、主体的な意識を持っているようです。
地元に処分場問題が発生したとき、それをどのようにとらえるのか? それは、自分たちの「地元」をどのようにしていくのかを自ら「選択」することであることのように思います。豊島住民は(経営者が信用できない人物だったということがありますが)「処分場がない暮らし」を選択しようとして、建設の反対運動を起こしました。ごみが持ち込まれることを事前に止めることはできませんでしたが、「豊かなふるさと」を取り戻すために、苦しい闘いをねばり強く続けました。そして、県が謝罪し、産廃の無害化処理の事業が始まってからも、住民の活動は終わっていません。
水俣のみなさんが今改めて考えるべきは、「水俣にとって産業廃棄物の処分場とはどのようなものであるのか」ということではないでしょうか。私が今日の水俣に対していだいているイメージは、住民においては(『地元学』に象徴されるような)「地元の暮らし」を大切にしているところだということ、行政においては「環境」さらには「域内循環」というキーワードに基づく思想に貫かれた施策を実行するところだ(った)ということですが、そのようなイメージと巨大な産業廃棄物の最終処分場はどうしても重なりません。あるいは、もし水俣に産業廃棄物の最終処分場を建設する必要があるのなら、「なるほど。水俣が産業廃棄物の最終処分場をつくると、こういうものになるのか」と納得できるものであるはずなのではないだろうか? 私はそう思っています。
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| 考証館で説明する坂西 |
寒さの厳しい一月、今年もアジアの村で生きる人たちが水俣を訪れてくれた。神戸にある国際協力団体PHD協会の研修生達だ。今年は例年よりも滞在時間が長く、じっくりと水俣を見てもらうことができた。水俣病の現場へ行く、患者の話を聞く、そしてほっとはうすのメンバー達と交流する。さらに今年は「水俣せっけん工場」も訪れることができた。その内容は、日本で有機農業を学んでいる研修生達に大きな驚きを与えた。普段使っているシャンプーや洗剤が、農薬のように害を持つものだったことを知ったからだ。農業が生活に息づいている研修生の村では、畑のすぐ横で合成洗剤を使って服を洗い、食器を洗う。近くの井戸から汲んだ水を飲む。有機農業を目指し、農薬・化学肥料を減らしながらも生活排水によって確実に水や土壌は汚染されていっている。自分達の生活を一から見直す必要性を学んだ。この学びはアジアの研修生だけでなく、職員にも大きな刺激を与えた。国際協力と声高に叫んでも、足下である自分達の日常の生活がアジアの人を抑圧するものでは意味がない。水俣病はアジアの人にも日本の人にも語りかける。
PHD協会の研修生が毎年のように水俣で研修をするようになって20年以上になる。この取り組みは何を生み出したのだろうか。「水俣病の経験を世界に伝える」と口では簡単にいうが、その中身はどうだろう?公害の恐ろしさを伝えることは比較的たやすい。しかし、二一世紀の禍はそれとわかる形で姿を見せてはくれない。それは着々と変わっていく生活の中に巧妙にその姿を隠しながら潜んでいる。
研修生達は一年間、神戸でホームステイをする。村の生活から都会の生活へ、大きな生活の変化を経験する。当然のように「日本の豊かさ」に驚く。しかし、全自動洗濯機の便利さを体験しながらも、村に帰って手で洗濯をする生活に戻る。それは主体的な選択であり、そこには確固たる信念がある。「本当の豊かさ」を知っているから、表層だけの豊かさに惑わされることがない。水俣病を知ることは、自分達の村での持続的な営み、そのすばらしさに気付き、自分達が持つ豊かさにより深い確信を持つことに繋がるのではないだろうか?水俣での学びは、迫り来る近代化という波に翻弄されることなく、自分達が持つ豊かさを大切することを可能にする。エリートでも活動家でもない、村で地に足をつけ生活する研修生の村づくりに「水俣病」も息づいている。 (坂西卓郎)