機関誌ごんずい90

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ごんずい90号表紙
水の湧く冷水の森 スダジイの巨木

特集 : 特集 水俣に産廃処分場は、 いらない

記事

水俣市の産廃処分場問題について私たちはこう考える

財団法人 水俣病センター相思社

 水俣病受難の地であり、その苦い経験を生かして「環境モデル都市」をめざす水俣市に、巨大な産業廃棄物処分場が建設されようとしています。

 事業者は、神奈川県に本社を置く(株)IWDの子会社である(株)IWD東亜熊本という産廃処理業者です。これまで水俣とは無縁な企業であるにもかかわらず、住民有志からの問い合わせに対して誠実な対応をしているとはいえません。建設予定地は、水俣川の源流の一つ、湯出川の上流にある盆地状の広大な山林で、古くから周辺住民がその豊富な湧水を上水源として利用しているだけではなく、その下流には市の大切な水源地の取水口が設けられています。

 (株)IWDがこの土地に目をつけ、ここに産廃処分場を建設する計画を立てたのは、県外の地権者が単独で所有する土地であったために、きわめて容易に買収できたからだと思われます。これは、産廃処理業者にとって他の処分場予定地では通常考えられないような格好の条件だったに違いありません。一般に都市近郊の建設予定地には多数の地権者がいるのが普通で、その中の数人でも買収に反対すれば、計画は実現できなくなることが多いのです。

 しかしながら、この業者がここに大規模な産廃処分場を建設するに当たって、この場所が水源地であることを考慮した形跡はまったくありません。まして水俣という地域が、水俣病を頂点として、これまでチッソ水俣工場から出る産業廃棄物にどれほど長い間苦しめられてきたかに思いを巡らせた形跡もありません。企業の社会的責任を持ち出すまでもなく、これは驚くべき無神経な態度といわざるを得ないでしょう。

 水俣市民はもちろん、これまでいろいろな形で水俣に思いを寄せてきた人々にとって、水俣に産廃処分場を建設するというニュースは、その意外な取り合わせに心底驚かされるとともに、「なぜ水俣に産廃処分場なのか」という深い疑問を呼び起こしました。このような草の根の市民感覚は、理屈を抜きにして正鵠を射ているように思われます。

 私たちは、以下に述べる理由から、建設予定地における産廃処分場の建設を容認できないだけでなく、(株)IWDおよび(株)IWD東亜熊本に対して水俣からの撤退を求めるものです。

 廃棄物処理法に定められた産廃処理の流れをみると、事業者から出た産業廃棄物は、まず収集運搬業者を経て中間処理施設に移され、そこで焼却や破砕などの処理をした後、最終処分場に運ばれて埋め立てられることになります。最終処分場は安定型、管理型、遮断型の三種に区分されています。

 しかし、この流れはあくまでも法律上の建前にすぎません。産業廃棄物の年間総排出量は四億トンといわれますが、そのうち最終処分場で処理されているのは約5,000万トンと見積もられています。そして、少なくとも年間総排出量の10%に当たる4,000万トンは不法投棄されているとみられています。むしろ、現行の処理システムは不法投棄を前提として成り立っているといっても過言ではありません。廃棄物処理法は毎年のように改正され、罰則が強化されていますが、不法投棄がなくなる気配はありません。しかも不法投棄の実態はヤミの中で、最終処分場すらその舞台となることが少なくないといわれています。このように、現行の産廃処理システムはすでに破綻しています。

 たとえば、安定型処分場は、その名に反して素堀りの穴に等しく、地下水と土壌を汚染する危険性がきわめて高いと指摘されています。事実、各地で有害ガスの発生、自然発火や化学物質汚染が問題になっています。このような危険があるにもかかわらず、現行の廃棄物処理法は、水源地周辺に処分場を作ってはならないという立地規制をしていません。住民は自分の健康は自分で守るしかない。それが現在の日本の現実です。

 水俣病は、工場排水の無処理排出という産廃の不法投棄が生み出したものであり、その最悪の結果といえます。現在、三,〇〇〇人を超える人々が新たに救済を求めて認定申請していますが、その先行きはきわめて不透明です。また、水俣湾の埋立地には膨大な量の水銀ヘドロが埋め立てられたままになっており、その再処理のメドも立っていません。水俣病事件に関して課題はまだ山積しています。水俣病の発生確認からまもなく五〇年を迎えようとしていますが、水俣病問題はいまだ解決したとはいえない状態なのです。問題の多い産廃処分場を水俣市に建設することが、これに優先する課題とはとても思えません。

 水俣市は、現在、市民をあげて地域再生の課題に取り組んでいます。水俣病という負の遺産をプラスに転じる、「環境モデル都市」の建設は困難な課題です。しかしそれは世界的にもまれな壮大な試みであり、水俣の将来はこれにかかっているといっても過言ではありません。今回の産廃処分場問題を含めて、すべての事業がこのような水俣市の長期展望をふまえて評価されなければなりません。そうすれば、結論は自ずから明らかとなるでしょう。

 私たちの期待に反して、もし計画どおり産廃処分場が建設された場合には、水俣の将来イメージはどうなるでしょうか。毎日、大型ダンプカーが夜昼となく産廃を満載して市内を走り回ることを想像してみてください。水俣はまさに「産廃銀座」と化し、処分場周辺では産廃の不法投棄が横行する可能性もあります。しかし、何より心配なのは、産廃による地下水と土壌の汚染です。いったん汚染が発生すると、早急にこれを除去することは難しいので、数十年にわたって水俣市民の頭痛の種になるでしょう。荒稼ぎをした後で業者(子会社)は早々に倒産し、市民の税金で後始末をしなければならない可能性も大きいと思われます。

 もしこんな水俣になったら、「環境モデル都市」どころではなく、仮にそれをいい続けたとしても、もはやだれ一人共感をもって耳を傾ける人はいなくなるでしょう。

 未来に向かって、どのような水俣を構想するのか。産廃処分場問題を機縁として、いま、それこそが問われているのです。

2005年9月8日

日本の産廃処分場の問題点          明治学院大学 熊本一規

(1)大気汚染・水質汚濁を廃棄物に

日本の公害問題は、1960年代後半から大きな社会問題になった。企業が排出する汚濁物質が大気汚染、水質汚濁をもたらし、水俣病、イタイイタイ病、ぜんそく等の痛ましい公害病を生んだ。政府は法律を制定し、排出基準を定め、企業は基準をクリアするために公害防止施設を設置した。公害防止施設のおかげで大気汚染や水質汚濁は減少した。
しかし、公害防止施設を設置しても汚濁物質がなくなるわけではない。
集塵機は大気を汚染していた汚濁物質を捕捉するが、汚濁物質は集塵機の中に溜まっていく。溜まりすぎると集塵機が働かなくなるので、時折、溜まった汚濁物質を引き抜かなければならない。引き抜かれたものはダストと呼ばれる廃棄物になり、処分場に運んで処分しなければならない。水質汚濁も同様である。汚濁物質は汚水処理施設で汚泥の形になるが、引き抜かれた汚泥は廃棄物として処理しなければならない。
要するに、公害防止施設は、汚濁物質をなくすわけではなく、公害を廃棄物の形に変えるだけなのである。

(2)廃棄物処理施設が汚染をもたらす

公害を廃棄物に変え、廃棄物処理が汚染をもたらすことがなければ、公害問題は解決されたことになる。
しかし、廃棄物処理は決して汚染を防ぐことができない。廃棄物処理施設は環境汚染を防ぐ趣旨で造られているが、実際には、廃棄物処理施設自体が環境汚染をもたらしている。清掃工場からの大気汚染、最終処分場からの水質汚染がその代表的なものである。公害防止施設は大気汚染や水質汚濁を廃棄物の形にしたのだが、今度は廃棄物処理の過程で大気汚染や水質汚濁をもたらすことになるのである。
 最終処分場の構造には安定型、管理型、遮断型の三種があり、それぞれ持ち込まれる廃棄物の種類が決められている。
安定型処分場には、地下水汚染の恐れがないとされる廃棄物(ゴムくず、金属くず、
ガラスくず及び陶磁器くず、廃プラスチック、建設廃材の五種類の産業廃棄物で安定型五
品目と呼ばれる)が持ち込まれることになっている。しかし、五品目に限っても、有機物が付着していたり、廃プラスチックが劣化して添加剤(着色剤、可塑剤、安定剤などがプラスチックに添加されている)が溶出したりしている。そのうえ、実際には五品目以外の廃棄物が持ち込まれるのを防ぐことは不可能である。
管理型処分場は、地下水汚染をもたらす恐れのある廃棄物が持ち込まれるため、遮水シートで遮水し、処分場からの浸出水(雨水が処分場内の廃棄物により汚染されて浸出する)は汚水処理施設に導いて処理して放流することになっている。
しかし、遮水シートは厚さも不充分できわめて脆いうえ、年月とともに劣化していく。
そのことは、日本遮水工協会が作成した『廃棄物最終処分場遮水シート取扱いマニュアル』(平成14年5月)にも次のように明記されている。
「(3)遮水シート劣化に対する留意事項
  遮水シートは時間とともに劣化が進行するので、定期的に露出部の遮水シートの抜き取り検査を実施して、劣化状況を把握し、必要に応して貼り直すことも考慮しておく必要があります」。

(3)処分場は時限爆弾

遮水シートは、とても汚染を永久に防げるものではない。にもかかわらず、処分場からの汚染のチェックは、処分場の閉鎖後、二年程度しか続けられない。処分場からの浸出水が二年以上水質基準をクリアし続けると、「処分場の廃止」が確認され、監視不要の土地となる。
処分場からの汚染の恐れは、時間の経過とともに次第に減っていくとは限らない。ある時、突然、爆発的に汚染が生じることだってある。 アメリカで起きたラブキャナル事件では、産業廃棄物を運河に埋め立てていたが、処分場を閉鎖してから25年後に、ダイオキシンなどの有害物質が漏れ出してきて被害をもたらした。
浸出水を汚水処理施設で処理するといっても、それで汚濁物質がなくなるわけではない。
汚水処理施設は汚濁物質を汚泥という廃棄物に変えているだけであり、汚泥は廃棄物だから、再び処分場に埋め戻される。結局、汚濁物質は処分場と汚水処理施設との間を往復するだけで、少しも減らない。少しも減らないで、監視がなくなった後に出てきて汚染をもたらすことになる。
処分場からの水質汚染が問題になり、環境省は次第に処分場の構造基準を厳しくしてきた。しかし、万物、とりわけ人工物は必ず劣化する。したがって、構造基準を厳しくするということは、汚染が起きるのを先送りしているにすぎない。お金やエネルギーを注ぎ込んで、結局、汚染を後の世代に押し付けているだけのことである。処分場は、いつ汚染をもたらすか判らない時限爆弾と同じなのである。
汚染を先送りしておいて二年程度しか監視しないのであるから、これは子孫に対する犯罪である。いまお金をかけて、よけいに子孫に対する犯罪を犯していることになる。
汚染を防ぐには、根本的には、ドイツが創ったように、監視を永久に続けるとともに、汚染が起こったらすぐに汚染防止の手を打つ、という制度が必要である。

(4)産廃処理の事業者任せは間違い

 産業廃棄物の不法投棄については、この数十年間、さまざまな対策が講じられてきたが一向に減らない。不法投棄とともに、管理型処分場に有害廃棄物が持ち込まれるような「廃棄物の不適正処理」もあとを絶たない。
その根本原因は、廃棄物が安きに流れることにある。
 事業者は、産廃処理にかかる費用を製品価格に含めて売らざるを得ない。価格が上がれば需要が減るので、処理費用をなるべく少なくしようとする。そのため、自ら不法投棄に走ったり、処理業者への委託費を削ったりする。委託費を削られた処理業者もまた不法投棄や不適正処理に走ることになる。
 通常の財では、お金を払った人が物を所有するため、いいかえれば、お金の流れと物の流れが逆方向を向いているため、財の質がお金に見合ったものかどうかがチェックされる。その結果、悪質な財は市場で生き残れない。
 ところが、廃棄物の場合には、廃棄物処理を委託する者が廃棄物を渡すため、いいかえれば、お金の流れと物の流れが同一方向を向いているため、廃棄物処理の質がチェックされることがない。その結果、悪質な廃棄物処理が市場で生き残れるし、むしろ、そのほうが利益があがることになる。
 日本では産廃の処理を事業者任せにしている。産廃を自ら処理しようが、どの廃棄物処理業者に委託しようが、産廃を排出する事業者の自由である。これは、「廃棄物が安きに流れる」、「悪質な処理が生き残る」という上記の廃棄物の性質に照らせば、根本的に間違っている。
 産廃処理が事業者任せにされているのは、PPP(汚染者負担の原則)に因る。産廃の汚染者・排出者は事業者だから、その処理も事業者に責任があるというのである。しかし、
事業者責任は処理費を負担させることで全うすればよいのであって、事業者任せにする必要はない。処理の事業者任せは、むしろ、事業者責任の抜け道を作っているようなものである。
 この問題を根本的に解決するには、北欧やドイツで行われているように、産廃、とりわけ有害産廃について、公共を中心とした特定の中間処理施設を指定して、そこへの搬入を事業者に義務づけることが必要である。
  
 以上のように、日本の現行制度の下では、管理型処分場への有害産廃搬入を防ぐことも、管理型処分場からの水質汚染を防ぐことも不可能である。処分場建設に反対する住民運動には十分な根拠があるといわざるを得ない。

原発を拒否した人々      巻原発・住民投票を実行する会  田畑護人
                   聞き手・坂西卓郎

智恵のある世間の戦術

坂西:今、水俣では産廃の建設計画が浮上しています。私たちはなんとかして建設を阻止したい、その為にも巻町住民の選択を知ることから、産廃問題における住民の意向に添った解決方法を探りたいと思っています。

田畑:私は原発の反対を唱えた男ではないです。今から約四〇年前、我々がだいたい二四、二五の頃ぐらいから原発問題っていうのはこの町にでてきたんです。反対団体が社会党とか、共産党だとか、六団体ぐらいあって、なんとか反対を続けてきた。そして、町長が、選挙の度ごとに一期交代をくり返えしていた。推進反対じゃなくて、両方推進でね。両方推進で、自分達の町長を出して仕事をとろうと綱引きをする。この図式なんですよね。だから推進派の町長が三期も四期も繰り返し町長をやっていながら原発はできなかったんです。

坂西:ですが佐藤完爾さんがついに二選をする。その次の選挙で田畑さんが推進の村松さんを推した理由を教えていただけますか?

田畑:私どもが考えたのは、何よりも佐藤完爾ならばすぐに原発をつくられる。村松治夫ならば嘘をついたと仮定しても、一分でも一時間でも一日でも原発は遅れる。ここに賭けるべきだと。先延ばしにすることしか今はない。その間に何かが起きるかもしれない。

この気持ちっていうものを理解し得るかどうかわからないけど、本当の意味においてそれが私は一番重要なことだと思う。だから絶対に諦めちゃならん。自分の気持の中に原発は嫌だ、というのがあるんだから。一〇〇%造る人間には、どうやっても勝ってもらっちゃ困る。大変失礼な話だけども、ともすれば村松が勝って半年でも一年でも延びた段階で、どっかの原発が爆発すれば終わりになる。その可能性だってねぇわけじゃねぇだろう。現実の問題としてね。この選挙の時に住民投票という言葉の下地が出来上がったんですよ。それ前までは巻町に住民投票という言葉すら、いっぺんも出たことはなかった。

七人のサムライ

坂西:その選挙で初めて住民投票という言葉が出たものの、「巻町に世界一の原発をつくりたい」と訴えた佐藤完爾さんが三選を果たし、始めて力の均衡が崩れるわけですね。

田畑:三選を果たした段階で、あなたが今お茶を飲んだ部屋で、私と今町長している笹口と菊池と大橋と四人でばったり顔を合わせてね。「今度ばっかしは原発つくられるなぁ。もうだめだわい。終わったなぁ。」と。その時に、「それでもあれだぁの、いっぺんぐらい自分達が意見を言う場所があってもいいわのぉ。」というような話になった。

みんな商売をしておったから、原発反対だなんて話もしたことがない。そうやって自分達の商売というか生きる術を守ってきた連中だったんだけど、仕事を抜きした素直な気持ちがほろっと出て、「自分達で住民投票をやったらどうなるんだ」と。そうしたら、「それいいでねぇか」って。それは気負った感じでもなく、すごく自然な形で出てきた。

坂西:しかし、実際は死活問題にもなってきますよね?

田畑:それはね、一つの話っていうのは、流れの中にある。もう覚悟がついていた、とかそういうんじゃない。覚悟がつくのはもっと後のことなんだわ。その時は話の中で雰囲気として、「これでつくられてしまうなぁ。やぁでぇのぉ。原発なんていらんでのぉ」という感じのものが、結局は話がエスカレートしていって、「自分達で住民投票をしてみるべぇ」と。でも「じゃあやるか」っていう話になった時に、やっぱりみんなが躊躇する部分もあるわな。

けれどもその時にどう逃げたかと言うと「住民投票をやろうとした時に、法律的にとか問題点ってでねぇのか、弁護士の高島先生のところに行ってまず聞こうじゃないか」と。それで「おめぇ達とんでもないこと言ってんじゃねぇ、馬鹿かあんた達は」ということであれば、「これはやめんば」と(笑)。その期待感もみんながあったんじゃないかと思う。

ところが逆に先生の方が頭を殴られたようなショックを受けてしまったんだ。自主管理で住民投票をやれるなんていう発想はね、専門家とか原発を反対してきた人達には考えられない発想だったんだな。ぜひ私も協力すると、法律的なことか何から何まで、もし何かがあれば私が弁護するし全て私がやる、ということになった。その段階で抜き差しならなんなったんだわ、うちらは。そして、二人して帰りながら、「いや、困ったね」(笑)。要するにだからよく人がさ、いい度胸だとか、いいチャンスを掴まえたとか言うけど、そうじゃない。基本的にはそこなんですよ。

坂西:巻町に根を張って生きている商売人の活動とは?

田畑:あなた達は馬鹿みたいだと思うかもしれないが、四人で話をした時にどういう話をしたかというとね、「おい自主管理の住民投票いうても金がかかろう。おい、どれぐらいかかると思う?一千万もあればできることわや。」っていう話をしたんです。「四人で二五〇万ずつ出して一〇〇〇万つくればできる。でも二五〇万も銭が無いしのぉ。負担を減らすために一〇人ばっかり集めよう。」って(笑)。ここら辺は商人の発想だよ。

でないと、とりあえずどっかのアパートを借りて、そこでみんなで寄って拡大して輪を広げていこうとかっていう話になるわけやね。俺たちはそうでは無かった。住民投票する店開きせねば。俺が酒屋する言うて、どっかのアパートの中で酒屋したって流行らない。やっぱり建物つくって酒ならべて、さぁ、いらっしゃいって言わん限り、人が信用しねぇ。結果的に七人集まって、一五〇万ずつだったかな。おかげさまでね。(笑)

坂西:「実行する会」の民主主義とは?

田畑:私どもが旗揚げをして記者会見を開いた。そしたら、マスコミの方も全ての人たちは、「違う反対運動の団体がまた一つ出来た」と。この捉え方だった。けれども反対の運動の人たちは違った。俺にしろ、笹口にしろ、表面に出たのはみんな推進の人たちとベタベタの連中だったから。そして、うちらが言ったのは、「私たちは反対でもない。賛成でもない。住民投票でみなさんの意見を発表しようということが、最大の目標です」。発表する場所を作るべきだっていうのが基本的な考え。だから反対だっていう言葉は口が腐っても言わなかった。「投票所の前に立った時にあなたは自由なんです」ということが謳い文句。

そういうことで「巻原発・住民投票を実行する会」が立ち上がり、そして町長交渉をすぐするわけですよ。「きっと原発の反対の人たちはもの凄く大勢いる。あなたは町長としてきちんと住民の意思を確認すべきであろう。だから原発だけを取り上げて住民投票をやってくれ。」と。そしたら町長は「これは自分が三選を受けた段階で、町民から容認されたこと。町としてはやる必要はありません。」と、一発でお断りになった。だからうちらはその反論として、「町がおやりにならないのであれば、では私どもでやらせていただきます。」と言ったんです。

阪神大震災があった

田畑:さぁ今度は手続きの問題。いっぱいの問題があったんですけど、一番大きかったのはいかにしてその投票自体に信憑性を得るかということだった。本当に正常な形で行われたのか、後で適当に発表するんじゃないかとか。要するに一番の信憑性は、投票箱の管理。そうだろ、自分たちが投票箱を管理していたらいくらでも空けられる。そして立会人は常に第三者に来てもらう。だから、もの凄い手間で人数もけた違いにいるんですよ。投票日が一月一九日からだった。

その二日前に、まぁこんなこと言っていいか悪いかわかんないけれども、阪神大震災が起きた。日本の高速道路だけはひっくり返えらんって言っていたものがひっくり返った。彼らの安全神話っていうのは全くダメやったわけやね。そこも住民にとってはよく見えた。本当に巻に原発があって、あれだけの直下型の地震が本当にあった時に安全なのかどうか。やっぱり足を運ばせた最大の要因だったと思う。結果として投票率は四六%だっと思うんだな、確か。その内の九〇何%が反対票に投じたんだ。

坂西:田畑さんの「巻町の住民は応えてくれる」という町の人への信頼はどこから?

田畑:私達が自主管理の住民投票をやった時に、あれだけの圧力の中で彼らは来たんだ。うちらの原点がそこなんだ。あのハードルを越えたか、越えないかだった。私が住民を信頼したということでなくてね。写真を撮られながらも、行った人は反対と見なすと言われようとなんであろうとも、いっぺんは自分の言葉で自分が発表したい、その想いを彼らは表面に出してきた。だから、その流れが終わるまでは絶対に住民は大丈夫だと。絶対うちらは勝てるんだ。条例に基づいてやった 八・四の住民投票がこの町の住民投票だという感覚でおるかもわかんないけど、そうじゃない。この町が動いたのは、一・一九の自主管理の住民投票なんだ。

自分たちの想いを表現する場

坂西:その自主管理の住民投票に町民が参加してくれた、ハードルを越えてまで投票に来てくれた要因はなんでしょう?

田畑:やっぱり二五年の住民の歴史だと思う。時間をかけないと人の想いはでてこないんだわ。それは反対運動の方が徹底的にやってくれたのもあるだろうし、推進の人たちの醜さみたいなものも充分住民の中に浸透したんだろうし、本当の意味においての原発のこわさっていうのも、私は住民が長い時間をかけることによって理解していったんだと思っていますからね。だから町長リコールも可能だったし、議会も変えることができたし、次の住民投票もできたしだったということだと思います。笹口っていう新しい町長を自分達の手で作って、住民投票をやるわけ。

私どもは町長リコールをするにしろ、住民投票を自分達でやろうとするにしろ、適正の人口というのがあると思っている。これが一五万だとか、新潟市のように政令都市を狙って八〇万だなんて馬鹿なことを言ってれば、何やられたって全て市民は我慢せんきゃならないですよ。

地方の都市が自分たちのエゴを通すためには、自分たちでやれるっていう町でならなきゃならない。地方はエゴでいいと私は思っていますから。適正の町って言うのは、選ぶ権利よりもやめさせる権利が主張できる町であるこということ。市長のクビをとればいいんですよ。この部分も三万だったからやれたんですよ。

伝える考    向井良人

「ごんずい」特集、「伝える」を考えるというテーマ設定に興味を覚えました。

素朴な感覚ではおそらく伝える行為に先立って水俣病が「ある」ことになるのでしょうが、試みに私は(聞きかじったある種の社会学を模倣しつつ)「伝えようとする行為を通して立ち現れるもの」として、水俣病を捉えてみたいと思います。

「水俣病という何か」が、語り手に先行して実在するのではなく、語ることを通して(あるいは、語ることを拒むことを通して)水俣病の「現実」が不断に構成されてゆく、という見方をすれば「伝える」とは、水俣病を「現実」として紡ぐ行為です。

「水俣病の全容解明」という言葉は、「解明されざる全容」という未知を含めて水俣病の「すべて」を指し示しているように思われますが、私にとって「全容」とは語られたもの(表現されたもの)としての経験と記憶です。もちろん、「口にできない」という言明も含めて。

「伝える」あるいは「伝わる」ということが、具体的にどのような状態を指すかは別にして、「伝えたい」あるいは「忘れたい」と言わしめる「いま・ここ」に、その人の「我が水俣病」が「ある」のだといえます。

このように考えた場合「水俣病の風化」とは、「知らない人が多い」ことではなく「伝える」(語る)営みの途絶を指すのではないでしょうか。

相思社の存在意義をめぐる議論、渦中のご苦労は察するに余りありますが、「何をどう伝えるのか」という試行錯誤や自問自答を含めて、水俣病の現在と捉えるならば、試行錯誤のプロセスを発信する相思社は、それだけで水俣病の一面を伝えていると思います。

それは、私のような者が水俣病の一端を垣間見るにあたっては、模範解答への最短コースを案内されるよりも、むしろ有り難いことです。


(2005年9月25日発行)

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