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機関誌ごんずい98

目 次
ごんずい98号
相思社給水塔から眺めた水俣湾と恋路島

特集 「環境モデル都市水俣」10人のスタイル 私の考え、私の試み、私の楽しみ

記事

特集 「環境モデル都市水俣」10人のスタイル 私の考え、私の試み、私の楽しみ

ミナマタ体験が私を鍛え、変えている/赤木淳子

 人は体験を通して初めて気付き学ぶ。幸か不幸か私は戦中生れで、あの何も無い戦後の生活を体験した。冬には手足、頬はあかぎれ・霜焼、身なりは垢でテカテカしている厚着、着脹れの幼女であった。疾病率も死亡率も今と比べものにならない高さであった。それがあっと言う間に、私も周辺の人々も今日の先進国と言われるくらしの形をモノにしている。
 水俣に来て環境破壊がすぐそこまで押し寄せていることに気付かされた。以来くらしの見直しと実行が最大の課題となって二十七年目を迎える。環境破壊歯止めのお手本が、戦後のあの頃のくらしが一番だなんて野暮は言わない。が、或る場面ではあのレベルが二十一世紀を生きるスマートさであることに気付かされているのだ。及ばずながら私はスマートさに向って、ジリッジリッとギアを動かし小さな営みをしている。さながら「ハチドリのひとしずく」と言うべきか。だが面白い。
 ★農地を手に入れた。土からの恵みで我家が必要とする作物や自生植物を一種でも多く収穫する。或るものは通年食べられるように加工する。これ等の食物は購入せずに済む訳で、プラスティックゴミ減に繋っている。★農地から出る草木や薪、そして資源ゴミに出せない紙屑は溜めておき、冬の風呂や薪ストーブの燃料だ。風呂は毎日なんて焚かない。戦後のあの頃を思えば、週二〜三回で充分だ。焚き始めから湯船に廃発泡スチロール板を浮かせ、時にはこどもの玩具よろしくプカプカ浮かせたまま入浴する。只だからと燃料はどんどん焚かない。早々に切り上げ、湯の対流口の下穴に栓をする。こうして心得た余熱湯は、石けん派にとって翌朝の洗濯に、事の外有難い。★台所での水の使い方は最近腕を上げている。タンザニアで体験し気付いた事がそうさせてくれた。炊事用の火についてはカナダで暮す友人の超節熱術に接し、感動した。私は未だ日常的には彼女に及ばないが…★
 私が試みているほんの一例を掲げてみた。人が生きるってことは、多様で沢山の地球のタカラを飽くなく戴いているのだ。私も例外ではなくマイカーや飛行機の便利さのほか、様々を享受している。便利さ快適さを否定する者ではないが、削り取る勇気を失ってはいけない。背後で地球が泣いているを忘れずに「ごめんなさい・すこしだけね・ありがとう」を誦え続け、暮していこう。

せっけん的暮らし/永野隆文

 大量生産、消費、廃棄の現在の暮らしを見直すことなどを目的にした水俣せっけん工場(現、企業組合エコネットみなまた)の職員となって早や二〇年、せっけんの生産量、消費量ともに下降しているが、「細くても長くやれば」などという便利な言い訳をしながら、廃食油リサイクルせっけんの製造を続けている。
 一九八六年当時、水俣病患者とチッソ労働者、水俣市民が環境事業を始めたということで注目を集めた。最近はマスコミの取材もさっぱりで、また、水俣市内でのせっけん利用もたいした進展はない。
 その一方でわたし的には、せっけんを使って暮らせることの幸せを実感している。ほとんどの人が合成洗剤を使っているので、せっけん暮らしは少数派、ある意味では贅沢な暮らしをしているとも言える。たかが洗うことだが、無香料のせっけんで洗濯をし、太陽の光と香りをいっぱいに吸い込んだ柔らかな衣類を着る事ができる喜び。泡立ち成分に石けんを使っているから後味さわやかなハミガキ、毛根をたくましく維持してくれるせっけんシャンプー、せっけんだけで作られたボディソープにハンドソープ。環境負荷もほとんど考えなくていいから、日常生活をしながら環境も守っている。気負わなくて楽にできる「せっけん的暮らし」、いいと思いませんか?
 少し前になるが、水俣の産業廃棄物処分場に反対している人が「せっけん臭」を理由に粉せっけんを使わないと公言されたことがあった。まあこれが水俣市民の普通の感覚でしょうが、阻止実現へのハードルの一つを見た思いがした。本人の自覚と環境に対しての想像力を期待したいものだ。最近二十歳になった息子が、自分には合成洗剤入りシャンプーはダメなことに気がついたと告白した。自分のからだや環境に合わないものを見分ける感性が育っていて嬉しかった。

小さいながらも楽しい我が家 気持ちの良い住まい方/遠藤紀恵

 四畳半と六畳の部屋、三畳の台所と風呂とトイレの市営団地。小さくても楽しい我が家だ。昭和四〇年代初めに建てられた長屋風団地で、外観はちょっとさえないが、白壁の部屋はレトロでなかなか良い雰囲気だ。
 住まいは暮らす人の愛着一つでがらりと変わる。まわりにゴミが散らかっていたり、公園が荒れていたり、草がぼうぼう生えていると、団地全体が荒んだ雰囲気を醸し出す。ゴミはゴミを呼び、ますます汚くなる。きれいにしていると、会話が生まれる。「精が出ますね」「何を植えているの?」「いい天気だね」道行く人が親しく声をかけてくれる。
 かつては、見晴らしのいい場所の一軒家に住みたいと夢見ていた私。いつ頃からだろう、ここに暮らすことが楽しくなったのは。必要以上のモノを持たず、他人とつかず離れずの距離に身を置き、いろんな年代が地縁を超えて共に暮らす場所。そのゆるやかな連帯が心地よいのだ。
 もちろん課題はある。高齢者や単身世帯が増える昨今、相互扶助のあり方についてもっと議論と共有化が必要だと思う。気持ちよい地域に暮らしたいと願うならば、汗も流さなくてはならない。どんな地域を望むのか、一人ひとりのあり方に水俣の将来は懸かっているのだから。

水俣市民の課題と責任 未来へ、水俣再生の誓いI/坂本龍虹

 水俣病公式確認五十年事業、何を未来に繋ごうとしたか、その成果が今後問われることになる。
 これを機会に原因企業であるチッソ、行政市民がそれぞれの立場で水俣病の原点に立ち戻ってその意味と、教訓について真剣に対峙し、行動に移すターニングポイントとすべきであろう。

 特に水俣市民は「環境モデル都市」を平成四年に宣言している。これに相応しい行動をする課題と責任を持っている。このことが、水俣再生にもなるし、疎かにすると水俣病の教訓は風化の一途を辿ることになる。
 これまでの水俣市民はチッソや行政に対して少し、甘えと遠慮が有ったような気がする今後は明確な意思と行動をもって自己顕示すべきである。例えば産廃処分場建設反対やダイオキシンの処理方法、古石処分場問題等についてである。

 他方産廃を出さない努力もまた水俣病の教訓を生かすための課題と責任であることを銘記すべきであろう。私は有機農業による自給自足を目指した農業、環境・食育教育のための「畑の学校」の開設等先ずは自分の足元から実行することにしている。要は消費者自身が過剰包装や生鮮食品の見栄えを求めるのではなく、意識改革をし、企業の売るための努力を逆転させる責任がある。行政は個々人の努力を状況によっては組織化し、推進するための「環境もモデル都市推進委員会」を立ち上げてはどうであろう。

 水俣市民は負の遺産をかみ締め、逆転の発想で再生に繋ぐことが環境先進国のさきがけとしての課題責任を果たすことになると思料する。

マイバックの奨め/大矢理巳子

 「自然や生き物に配慮した暮らし方」にちょっとした工夫をしたいと始めたのがマイバッグ作戦。何回か挫折を繰り返しながら現在のマイバッグに至った。私にとってのマイバックは、「余分なものは要らない」と自分自身に宣言をするためであり、ごみを減らすための意志表示でもある。店員さんより「マイバッグありがとうございます。」の一声に勇気をもらいつつ、うかつにも忘れたときに「今日は袋を(ビニール袋)お出ししてもいいですか?」とマイバッグを持ってくる人と認識されたらしめたもの。
ポイント
(1)ちょっとおしゃれなものを選ぶ
(2)使い勝手がよいものを選ぶ
・お店に置いてある買い物かごのサイズにぴったり合ったものを選ぶ。
・レジの順番がきたらタイミングよく店員さんに「これに直接入れてください」といってバッグを渡す。清算が済んだらそのまま持ち帰れるから手間が省けてうれしい。
(3)常に忘れない工夫
・買い物をした品ものをバッグから取り出したらすぐに玄関に置く
出かけるときに車に乗せる
 私たちの暮らしから出るごみはなかなか減らない。ぜひ近くの海岸に行ってみることをお勧めしたい。ペットボトル、空き缶、発泡スチロール製品、ビニール製品、バッテリー、タイヤ等などこれらは何年経っても自然分解されないものばかり。なかでも発泡スチロールが、海岸に打ち上げられ岩の間で細かく砕けた様を見るにつけ、波にもまれ海に溶け魚や海鳥、そして私たちに廻ってくることは容易に想像される。時と共に自然に帰るものを選びたいもの。

「めんどくさい」が「楽しい」に変わる時/芳田弓生希

 水俣には去年の春に来たばかり。以前は兵庫県西宮市に。ベランダで少しばかり野菜を作っていた頃、ある雑誌で「生ゴミ堆肥」特集を見た。堆肥作りを始めてみると、生ゴミが分解されていく様子を見るのが結構楽しく、生ゴミ入りのバケツをのぞき込む日々。微生物の働き、自然のサイクルに驚きと感謝。この楽しみを周りの人にもと両親に紹介すると「めんどくさい」とは言いつつ、「菜園の土も良くなったし、野菜もよくできる」とか。やがて、「めんどくさい」が「楽しい」に変わるかも。
 二年前に水俣を訪問した時、せっけん工場で合成界面活性剤の自然界に与える影響などを学んだ。自分の体に害があること以上に、自分が汚染源となっていることにショックを受け、今まで使っていた合成洗剤のものをせっけん素材のものに替えた。せっけん一つあれば、髪の毛、体、顔まで洗える。せっけんで洗髪の後は、好きなハーブを入れたお手製のお酢リンス。
 水俣に来てからは、顔の見える方からビン入り牛乳、お米、お茶などいただくようになった。大量生産されたものではなく、地元で愛情一杯に育て作られたものを、必要なだけ分けてもらう。地域の人とのご縁やつながりも、私にとってうれしい宝もの。
 私自身の暮らし方の中に、まだまだ変えていきたいことがあるけれど、肩肘張らずにできるところから始めていきたい。

今の暮らし方で大丈夫?/大嶽弥生

 私が暮らしているのは、水俣の最奥地の小さな村。この村での生活は、季節の変化や異常気象の影響?を直に感じることが出来る。山の木々はまだ一月というのに早くも芽吹き始め、我が家の梅の花は今にも咲きそうである。「地球温暖化なんてどこのこと?」なんて思っていたが、私たちの身近な所でじわじわと進行している。私たちは真剣に今の暮らし方を見直す時期に来ているのである。
 我が家でも真剣に取り組んでいる、というわけではないのだが、暖房温度は一〇〜一二℃くらいである。我が家の場合は温度を設定するというより、居間部分が吹き抜けという構造なので小さな反射式ストーブではなかなか温度が上がらないのであるが、体も慣れてしまう。炬燵とこのストーブで充分。お湯も沸くし煮物も出来る。
 次に収納庫は少なめに。依然住んでいた家は結構収納が多かったため、引っ越すときにあまりの荷物の多さに驚いた。その大半は何年も使ったこともないものだった。日常生活に必要なものはごく僅かだなと改めて気がついた。それから、髪型はショートカットでパーマや髪染めはしない。髪が短ければシャンプー液もお湯も少なくて済むしすぐ乾く。
 私の事例はあまり参考にならないかもしれないが、ごみの分別に満足せず、「環境」という視点で一人ひとりがもう一度暮らし方を見直そう。

買わずにすむものは買わない、使わずにすむものは使わない、そして気持ちよく暮らす、が私の原則です/佐々木郁江

 例えばペットボトル飲料。中味にかかわらずあれは味気ないです。外出先には水筒にお茶を入れていけばよいことでその方がおいしい。
 使いすて容器に入ったものはなるべく買いません。詰めかえできるものは詰めかえで。牛乳やお酒、油、調味料やジャムなどは、生協などでリターナブル(何度でも使える)びんに入ったものを買います。そうすると容器代まで払わなくてすみますからね。空になったらすぐ返却すればよいので資源の日まで家に貯めておく必要もありませんし。もっと普通のお店でも再利用びんでの販売があるといいのにと思います。
 それから洗たく。汚れのひどくないものは水洗いだけ、手洗いだけ、ですませます。水もせっけんも衣類の傷みも少なくてすみます。それに洗たく機でなく自分の手で洗っていると、「洗ってるなぁー」ていう充実感と衣類への愛着もわくんです。変、かな?
 ノートやトレペなどの紙製品は再生紙使用のものを買います。資源として紙を出しているのに再生紙品を使わないのでは意味がなくなってしまいますから。この一枚のティッシュは私が出した紙かも〜とか思いながら大切に使います。でもお店で安売りされるのはたいていバージンパルプのティッシュです。再生紙品こそ安く買えるようでないと、おかしいデスよね。

私の小さな環境配慮型 暮らしの挑戦/森近

 環境について関心を持ち出したのはいつだったかと思い起こしてみました。
 それは、昭和五二年総理府の青年の船で太平洋を横断した時の仲間が、東京都町田市に住んでいました。当時ごみ問題が町田市では、大きな社会問題となっていました。将来はごみ問題が水俣でも問題になると思い、ごみに関する資料や新聞記事等に関心を持ちだしたのがきっかけだったと思います。
 水俣市役所に入って、庁内のごみ対策委員会のメンバーとして資源ごみ分別収集の企画に参画しました。また、第三次総合計画づくりを担当し、環境配慮のマチづくりを提案してきました。その中には、不便さを受け入れるマチづくりもありました。それで自らも環境に配慮した実践を考え、平成八年から一〇年間毎日の通勤は、三キロくらいの山道を徒歩で通勤しています。
 歩くことで通勤手当はもらえなくなりましたが、四季折々の移り変わりや風を肌で感じるとともに、体型も維持できています。
 歩いて出勤すると歩いて帰らなければなりません、わざわざウォーキングの時間をとる必要も無い上に、自動車を使わない環境にいい暮らしを実践しています。あなたもちょっと朝早く起きて歩いて通勤してみませんか。

私にできること 暮らすスピードを少し落とす/森山輝人

 子どもの時と比べると時が経つのが早く感じる。時間に追われているようにも感じる。社会ではより多くの時間を確保するために、懸命な努力がなされてきたと思う。しかし、その分見失うものも多くなっている。速度がどんどん上がるにつれ、周りの景色は狭まり、音は聞こえなくなり、ニオイまでも薄くなっている。人間の五感、すべてを時の犠牲にしているように感じる。
 今度の産廃の問題にしても、同じことが言える。モノを消費する・無駄にする速度が上がっているために、産廃処分場の建設が計画されている。しかし、このことに反対! とは言いながらゴミを全く出さないことが自分に出来るのか? いや出来ない。では、自分に出来ることはと考えたときにすぐに頭に浮かんだのが、速度を遅くすることだった。
 ここで大事にしたいのは、自分の生活速度に合わせて無理なく遅くすることである。私でいえば、無駄なモノ(コンビニのレジ袋等)は極力もらわない、長持ちするモノを買う、分別をする、ゴミをゴミとして捨てるのではなくて有効に捨てる。またゴミの問題に対してアンテナを張っておくと自分にあった方法が見つかることもある。
 そして一番大切だと思うのが、自然とふれあうことである。ふれあうことでこの自然を守っていこうと意識し、気をつけるからである。そうすることで自然に自分を評価してもらうことが一番良いと考えている。

IWD東亜熊本の環境影響評価準備書が出る! 私たちにできること/ごんずい編集部 遠藤邦夫

 水俣病は失敗の歴史である。一九五二年の三好復命書の提案通り、チッソ排水を分析しなかったこと。一九五七年厚生省は、水俣湾の魚が原因で病気が発生しているにもかかわらず、食中毒としての対応を行わなかった。一九五九年熊本大学医学部研究班は水俣病の原因物質がメチル水銀であることを突き止めたが、チッソも国も何らの対策を取らなかった。一九七三年水俣病の補償でチッソの責任は確定した。しかし共犯関係にあった国が責任を認めるのは、二〇〇四年関西訴訟最高裁判決で指弾されてからであった。
 かくしてチッソと国は数々の失敗に頬被りをして、それによって水俣病被害者にニセ患者や金目当ての汚名を着せ、問題解決を先送りにしてきた。その結果が一万人に及ぶ現在の、被害救済を求める人々の存在である。
 水俣は戦国時代には、薩摩と肥後と球磨の軍勢が行き交い草刈り場になっていた。そこで暮らす人々の大変さは思うに余りあるが、この五〇年間の水俣も同じ状態ではないか。城主を気取るチッソと、民あっての国などとは思いもよらない官僚たちと、大量生産・大量消費・大量廃棄に踊り続けてきた国民に、小さな水俣は晒され続けてきたとは言えないだろうか?
 とまれ、そうした背景を持つ水俣に、無謀にも産業廃棄物処分場建設を強行しようとするIWD東亜熊本がいる。そして処分場設置に向けた前段階として、準備書を用意しようとしている。環境影響評価は産廃処分場をこの場所に設置すると、周辺の植物・生物・大気・水質・交通・文化および人々の暮らしに等々にとって、どんな影響を及ぼすかを調査して判断を下す。当たり前のことだが、産廃処分場を作りたいと思っている人が調べるのだから、結果は見るまでもなく「さまざまな影響が想定されるが、人々の暮らしにとって決定的な悪影響はあり得ない」が結論となる。そうした一方的な調査でも、熊本県のお墨付きを貰えば処分場設置の前提となる。
 皆さんがごんずい九八号をお読みになる頃には、IWDの準備書は熊本県と水俣市に送られているはずだ。水俣の住民と市役所は一丸となって、IWD東亜と親会社の東亜道路に対して、幾多の災難を引き受けてきた水俣に、処分場を設置する計画を取りやめてもらいたいと交渉してきた。しかしIWDはその働きかけを無視して、着々と計画を進展させている。

 二〇〇四年三月に公表されたIWD東亜熊本の産廃処分場計画に対して、「水俣の命と水を守る市民の会」がいち早く立ち上げられた。その後「本願の会」や「水俣に産廃はいらない! 市民連合」や「相思社」なども、産廃処分場反対に動き出した。運動の焦点は中立を標榜する当時の江口市長と、多数の市民が産廃に反対しているに関わらず、それを支援できない市役所のことになっていった。
 そして二〇〇五年二月、産廃反対を公約とした宮本候補が市長に当選した。市役所に産廃対策室や産廃反対をフォローする庁内連絡会議が設置される。水俣市民は「これでどうにか反対の足場はできた」と考えた。さらに「市長が反対して組織も立ち上げれば、IWDは計画をあきらめるだろう」という根拠のない安心感が拡がった。産廃反対運動は六月の「産廃阻止! 水俣市民会議」によって、オール水俣的な動きとなっていった。個々の反対運動団体は独自の動きをしながら、市民会議として総体的に集約され、それが水俣市民全体の取り組みとなっていくことが期待されている。しかし実際にはまだまだ不十分と感じている。そこに二〇〇七年二月、IWDから環境影響評価準備書面が出されようとしている。

私たちが現時点で為すべきことは、はっきりしている。
一.水俣市民の声に耳を傾けないIWDに怒りを燃やすこと。
二.出された準備書に対して、無数の住民意見書を出すこと。目標一万!
三.この機会に産廃処分場計画の無謀性をより深く知ること。
四.「産廃阻止! 水俣市民会議」が市民に行動提案をすること。巨大な産廃処分場を必要としないような暮らし方を、一人ひとりができることから始めること。
五.準備書のIWD説明会を、二〇〇五年一一月のように業者の一方的説明会ではなく、市民の納得のいく質疑応答を中心とした会にさせること。
六.それぞれの団体の独自の動きを相互で認め合いながら、市民会議を中心とした動きに連動させて、全方位からIWDの無謀な計画に批判を集中させること。

 IWDに産廃処分場計画を断念させることは大変な困難である。しかし水俣市民が力を合わせ、産廃処分場が必要ないような暮らしを創り上げていけば、IWDの計画は少なくとも水俣に「百害あって一利なし」であることが明瞭となる。そのためにはただ反対を表明するだけでは不十分だ。IWDが見て「この水俣とそこに暮らしている人にとって、産廃処分場は不要だな」と思わせることが必要になる。そうした地域と暮らしを創り上げることによって、IWDの産廃処分場計画を葬り去ろう。

投稿 いきなり、御所浦で漁業を体験する 下田健太郎

相思社のみなさんへ
 遅くなって申し訳ありません。先日は大変お世話になり、ありがとうございました。みなさんのおかげで水俣にいた二週間、とても貴重な体験ができました。
 御所浦島では田中浩幸さん、春美さんというすばらしいおじちゃんおばちゃんに温かく迎え入れて頂き、毎日が楽しく、新鮮な感動でいっぱいでした。
 あの島で体験したことを二、三書きたいと思います。
 お互いがお互いを警戒し、動きづらくなるのを避けるため、近所同士でもドライな関係に徹しようとする人が大半を占める都会と比べて、そこではみんながみんなにあいさつをしていて、島全体にあたたかく、やさしい空気が流れているような感じでした。
 ある日の夕方、漁が終わり、船着場から一人で家に帰る途中、消防署の人に「こんにちは」とあいさつをすると、「こんにちは。今日はとれよらしたですか?」と聞かれました。「(その日は不漁だった)一〇匹くらいー。」と応えると、消防署の人は、くしゃっとなった顔をして、二人で笑い合いました。このようなあたたかいコミュニケーションを初めて会った知らない人としているということが驚きで、幸せな気持ちになりました。自分自身の東京での生活を見直すきっかけにもなりました。
 もう一つ、あの島で話されていた言葉が、標準語の中で育った私にはうらやましく思えて、印象的でした。言葉に独特の節(抑揚)をつけて、うたうように話す島の人同士の会話を聞いていると、何を話しているかはわからないのですが、本当にうたい合っているように見えました。
 漁に出た先で、あるとき田中浩幸のおじちゃんがすれ違った船の漁師さんに話しいかけると、その漁師さんが「魚んいっちょんおらんもんねー。帰って焼酎でも飲もかあー。笑」といったのです。私は『なんという豪快な笑い(生命のにぎわい)のある生き生きとした言葉なんだろう』と思い、感動しました。この漁師さんの突き抜けた表現の前では、漁獲量がめっきり減り、魚がとれなくなった寂しさ、辛さがかき消されるように感じました。
 これだけでなく、相思社に滞在していた間、職員のみなさん、パートのみなさんと色々な話をしたことが、かけがえのない財産になりました。またみなさんに会える日を楽しみにしています。本当にありがとうございました。


(2007年2月5日発行)

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