プロフィール
おぐらしろう。1941年5月、東京都大田区生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程機械工学専攻修了。日本原子力事業株式会社勤務。福島第一原発建設で原子炉系のポンプ・熱交換器などの機器の購入技術に携わる。2002年退職。コスタリカに学ぶ会世話人。著作物:『原発を並べて自衛戦争はできない』、紙芝居『ちいさなせかいのおはなし』
はじめに
遠藤 初めてお目にかかります。どうぞよろしくお願いいたします。相思社の機関誌「ごんずい」で、原発技術者としての小倉志郎さんが体験されたことのお話を、読者のみなさんにお伝えしたいと思っています。
小倉 よろしくお願いします。私は昭和一六年、東京都大田区の生まれです。その頃はまだ東京府でしたね。二〇歳までは生まれた家に住んでいて、大学のキャンパスが武蔵小金井にあったので、日野市豊田の学生寮に入りました。その後就職してから実家にいたんですけど、一年半ぐらいで結婚して横浜に移ったんです。二人息子がいますが、二人とももう結婚して独立していますからありがたいことです。今は妻と一緒に暮らしています。
遠藤 就職された会社はどんな会社だったんですか?
小倉 原子力専門の小さな会社でした。原子力のことしかやらない会社だったので、放射線管理部門が最初からしっかりしていました。そして私が四七、八歳ぐらいの時かな、その会社は東芝に吸収合併されちゃうんです。
私が二十代で大学院を卒業する前の一九五五年くらいから、高度経済成長がスタートしていて、そしてどんどん電気の需要も増えてきていました。それで、日本のエネルギー資源が足りないので何とかしなきゃいけないというのが、世の中の雰囲気になっていたんです。それで、原子力発電をやれば役に立つにちがいないと思いました。
原子力は基本的に核反応なんで、それを原爆のように一気に爆発させるのではなく、核反応を少しずつ安定的に起すことさえできれば、危険なものが役に立つものと単純に思っちゃったわけですよ。
遠藤 当時はとても魅力的な話だったんですね。
小倉 いかに核反応を制御するか、それは難しい。何しろ相手はどんどん連鎖反応が起こってくるわけだから、しかも目に見えないミクロの世界での現象です。見えないものを制御するっていうのは非常に難しいことは分かっていたんです。どうやって制御するんだろうと言うところばかりに目がいっちゃって、核分裂するとできる放射性物質に目が行かなかったわけですよ。
それに気がついたのは、入社後十数年経って自分自身が商業運転を開始した原発の機器のメンテナンスを担当するようになってからですよ。ものすごく厳重に放射線管理・被曝管理をされていましたから、自分が浴びた放射線や体内に取り込んだ放射能は問題ない程度なんだと思っていました。私が現場で被曝したくらいの「微量の放射能は自然にもあり、それと同じ程度ならば問題ないんだ」と説明を受けていました。確かに原発の現場で何年も浴びてきたんだけど、それほど危険とは思わなかったんですね。サラリーマン生活の後半は常に放射能を身近にして働いていて、定年退職するまでそんな感じでした。
でも、定年退職する時はもう原子力に嫌気がさしていたんです。それで退職で原子力から離れられほっとしていました。その後すぐに、コスタリカの映画を手伝うようなことがあって、「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会」の活動に入ることになりました。原子力から離れることができ、且つ、やることができて、原子力のことは自分とは別世界というような感じになっていったんですね。憲法を守って平和をどのようにつくっていったらよいかということの方が、私の生活の中心になっていたわけです。三・一一まではですね。
遠藤 コスタリカとのご縁は何だったですか?
小倉 非常に偶然的なんですけど定年退職した二〇〇二年の三月に、私の中学三年の同級生が「今年の五月の連休中に『軍隊を捨てた国コスタリカ』という映画の一般公開をやる」って言うんですね。「代々木のオリンピック青少年記念センターで、スポンサーなし市民有志でやるのだが、金もないし人手もないから手伝ってくれ」。「あぁ良いよ」って、どうせ定年退職後で、何もやることがなかったもんですから。何しろ、軍隊を捨てた国が現実にこの世の中にあったんだ。日本は憲法で軍事力を持たないと言っていたのに、軍事力持っている。でも一方で持ってない国があるってのは、それはすごく魅力ですよね。それで「肉体労働だろうが何だろうが手伝うよ」って、それがきっかけでコスタリカと出会うわけですね。
放射能の中での作業
遠藤 会社を辞める頃に嫌気がさしていたのは、原発の危険と関係があるんですか?
小倉 こういうことなんですね。原子炉がある建物と、原子炉から出た蒸気を使って発電するタービン発電機の建物が隣り合っていが、両方とも放射線管理区域なわけですよ。その放射線管理区域の中で私自身働いてきたんです。放射線管理区域と言っても二種類ありましてね、点検のために機器や配管を分解しないときは人が行き来する空間に放射能は出てこないわけですね。それらを分解すると、中から放射能がチリとか放射能の混じった水として作業空間に出てくるんですね。床が放射能を含んだ水で濡れていたり、舞い上がったほこりに放射能が付いています。分解する前は普段の服装で歩いていても放射線は浴びるけれども、吸い込んだりする恐れはないわけです。ところが分解すると体の中に取り込んじゃう恐れがあるんです。そこが同じ放射線管理区域といっても、機器や配管を分解した区域は非常に危険なわけです。
遠藤 その作業は密閉されたところでやるんですか?
小倉 密閉された所でやるってわけじゃなくてですね、原子炉建屋は外から隔離されています。そもそも原子炉建屋内は少し大気より圧力を下げていますから、外には内部の空気は出なくてむしろ取り込むんです。その分解している現場はそこに人が出入りするんだけども、そういうエリアを汚染管理区域って呼んでいるんです。普通の放射線管理区域ではなくて、その部屋の中を放射能がチリとなって舞ってるようなところは、汚染管理区域にして特に厳重な防護をして放射能を取り込まないようにしています。
遠藤 防護服を着て?
小倉 そうですね。普通の作業の装備とは違うわけですね。例えば放射性の微粒子を皮膚に直接つけると、毛穴から入っちゃうんですよ。呼吸すると肺に入っちゃう。それを防ぐのが大変なんですね。ですから、汚染の度合いによって違うんですけど一番汚染のひどいところは全面マスクです。それはゴム製の防毒マスクみたいなもんですね。非常にやわらかくて薄い縁の方がぴったり顔にくっついていて、プラスチックの透明な窓および高性能フィルターがついています。作業着も普通の作業着じゃないです。フードが付いてズボンまで一体で、もちろん前にチャックがついているんです。
手はまず薄い綿の手袋をします、これは汗をとるためだと思います。その上に薄いゴムの手術用のような手袋をして、その上にまた同じゴムの手袋を二重にするわけです。その上に普通の軍手ですね。だから四重なんですね。手が一番ものに触れるでしょう。部品、工具、あるいは、計測器など、何をするにしても、手が一番ものに触れるんです。つまり手が放射能で一番汚れやすいわけですよね。作業着と手袋の間には、シールテープを貼って隙間からチリが入らないようにします。マスクとフードのつなぎの部分にもシールテープで貼って、その上にヘルメットをかぶります。それで作業するわけですよ。上から水がぽたぽた垂れるような環境の悪い所だと、さらにその上にポリエチレンの雨合羽を着けますね。
全面マスクすると同僚と話をしようとしても、声がはっきりと聞こえないわけです。書類を持ち込むとそれに放射能くっついて汚染してしまい、外に出せなくなっちゃうわけですよ。だから図面とか作業の要領書とかなるべく持ち込まないようにする。どうしても持ち込まなきゃいけない図面はポリエチレンのシートをかぶせて、現場を出る時はシートを剥がすんです。だから記録を取るなんてことが大変なことなんですよ。
遠藤 仕事にならない。
小倉 そうなんです。例えば高価な測定器とか計測器とか道具類を持ち込んで、放射能で汚染したらもう外に出せません。そうしたものを持ち込んだ時は、特に電気を使う測定器なんかコードまでポリエチレンを巻きますが、また外に出す時が大変です。ポリエチレンの上に放射能がついているわけだから、それがコードにつかないように剥がすのはまた大変なんです。だから実質の作業はやりにくいし、作業ばかりでなくその段取りと済んだ後の始末も大変なんです。しかも、放射線の線量率が高い所は作業の時間制限があるわけですよ。一時間入っていられるところはいいですよ、まだ。ひどい所は五分ぐらいしかいられないんです。
またその現場に入るために放射線管理教育を受けないといけないんです。そして、体の中には現在どれだけ放射能が入ってるのかを調べます。放射線管理区域に入る前に計ったホールボディーカウンターの数値と作業が終わった時の数値の差が、働いている間に体の中にとりこんだ放射能の量です。放射線管理区域に入る人は、過去に被爆した線量データを記録した放射線管理手帳を持っているわけです。
化学プラントとか火力発電所とか放射能のない施設での保守点検の作業では、こんなことは必要ありません。要するに放射能があるがためです。それで「原子力産業に将来はないな」と思ったんですね。
原発の危険性について
遠藤 小倉さんは三・一一以降、積極的に発言されていますが、放射能の危険性に気づかれたのはいつ頃なんですか?
小倉 私が放射能の本質的危険性に気が付いたのは、お恥ずかしいことですが、定年退職してからなんです。二〇〇八年五月の大阪高等裁判所で、やっと「入市被曝」が認められました。すなわち、原爆の爆発時に市内にいなくても、後から市内に入った人も被爆者として認定されるようになったわけですね。
その根拠になったのが二つの論文なんですね。私がそれを読んだのは二〇〇八年末から二〇〇九年の正月にかけてなんです。一つは、『死にいたる虚構』というアメリカのお医者さんの書いた論文です。肥田舜太郎さんと斎藤紀さんという二人のお医者さんが一八、九年前に翻訳されたのかな。もう一つは『放射線の衝撃』というこれも肥田舜太郎さんが翻訳されたもので、両方とも非売品です(*)。
『死に至る虚構』は、アメリカの核施設とか核実験場を中心にした、半径百マイル以内の地域とその外の地域とでは、発病率がはっきりと違うという統計です。『放射線の衝撃』は、被曝した人間の生体が放射線によってどういう影響を受けるかのメカニズムを生理学的に分析した論文です。例えば遺伝子の分子構造が放射線によって破壊されるとか、放射線によって人間の体の中の水分が分解されて活性酸素ができて、それが細胞を殺すとか、いろんなメカニズムで人間の健康に影響を与えるんです。この二つの論文を読んで、原子力利用の危険性の本質はここだったんだと、定年退職してやっと理解しました。
遠藤 水俣は水俣病事件があったけれど、原因は水俣湾周辺の魚介類でしたから、その摂取に気をつければ住むこと自体には問題はありません。でも福島県の場合は、放射能で故郷に帰れないようになっています。
小倉 間違いなく住めないだろうという地点はありますよね。今後おそらく、だんだんと実態が分かってきた後に、本当に立ち入り禁止区域がもっと広い範囲で線が引かれると思うんですね。例えば柏市とか松戸市とか千葉県でも、放射能の数値がけっこう高いんですよ。一年間に一ミリシーベルト以上浴びちゃうわけですよね。それは私が働いていた放射線管理区域みたいな状態です。しかもですよ、放射線管理区域の中に二種類あると申しましたね。配管とか機器とかに密閉されていて、空間に放射能がでてきてない場所じゃなくて、機器や配管を分解する場所ですよ。そこは多少の差はあっても放射能汚染してるわけです。僕が働いていた汚染管理区域の多くと、現在の松戸市のほっとスポットは同じ程度なんです。ということは、現在のホットスポットは長い年月の後には無人地帯になるかもしれません。除染をしても放射能が消えてなくなるわけではないのですから。
私が現場で働いていた時の放射線管理・被曝管理のし方だったら、おそらく今の郡山市ぐらいの汚染だったら、私は全面マスクをして仕事をしていたと思います。郡山市の人たちは大人も子どももマスクもしないですよね。でも原発の作業経験から考えると、市民全員に放射線管理手帳を配って全面マスクしていないといけないレベルです。そういうところに人が普通に暮らしているんです。なんていうか、私が充分な装備をして働いていたのと同じような環境で、放射線管理手帳ももらわずマスクもせず、線量計も持たずに暮らしている。これは本当に大変なことです。
郡山市在住の友人の話によれば、市が一軒一軒に何万円かずつ配って「自分のところは自分で除染しなさい」と言っているそうです。そんなこと素人ができるわけないでしょう。各戸に市は放射能の測定しに来ないそうです。そうやってお金もらえるということで、文句を言わない市民が多いそうです。それと公共のエリア、例えば幼稚園の園庭とか小学校の校庭とか公園では、地表を削り取っています。そうすると放射線量が下がりますよね。その削り取った土をその隅っこの方に深く掘って埋めて、表面に土をかぶせて境界がわからないようにしちゃうんだそうです。
市民の多くがそんなやり方で安心しているという話を聞いて驚きました。それはまずい。だって、集めた表面の一番汚染している土を集めると、そこに高い汚染が起きますよね。後で最終的に集める場所をどこか決まったら、それをまたまとめてそこへ移すんでしょうが、高い汚染の土をどこに埋めたか分からないようにしてしまっては後で困るでしょう。千葉県に住む友人に福島ではそんなことやってるんですよって伝えたら、その友人が調べて「千葉県も同じだ」と言うのでまたびっくりしています。
原発は怪物だ
遠藤 小倉さんは雑誌のインタビューで「原子炉では不思議な現象が起きて、まるで生き物だ」と言われていますよね。
小倉 巨大な原発の運転は非常に難しいわけです。原発の運転は、当直長が一番てっぺんにいて当直主任そして担当といます。原発は一日でパトロールして回りきれないくらい広いんです。原子炉建屋というのは窓がない。そして地震に対して強くなきゃいけないというから、壁で区切られた部屋だらけで中は迷路みたいです。タービン建屋も同じです。その中は、今お見せしている概略フローシート(二~三p写真)にも書かれていないシステムがいっぱいあるわけですよ。補給水系とか冷却水系とかあるいは動力ケーブルから制御ケーブル、いろいろなデータを集める信号ケーブルとか、空調設備とか、排水配管とか、動力に使う圧縮空気の配管とか、配電盤とか、このフローシート中に描かれていないわけです。だから、実際の原発の中はもっともっと複雑なわけですよ。
そうするとですね、巨大な原発の中でいろんな機械が訳の分からない挙動を示すことがちょいちょいあるわけですよ。「今朝、急に室内温度が上がったよ、あの部屋で何があったんだろう、何か漏れてんじゃないか」とかね。それから例えば、タービンを出た蒸気が海水で冷やされて水に戻りますよね。タービンの出口、すなわち、復水器の内部は、真空になるわけですよ。蒸気が全部水になれば体積が千分の一くらいになるので、当然真空になるわけですよ。真空のところに高圧の蒸気が流れるから、動力がでるわけです。その真空度が海水の温度によって変わるわけですね。海水の温度っていうのは天候によって変わるわけだから、必ずしも一定ではない。春夏秋冬、夜と昼とでも変わるし。だから、真空度っていうのは常に変動しているわけですよね。
真空度が変わるということは、下流側の低い圧力のところへ蒸気が吹き込んで一定の出力を出すためには、蒸気の流量を真空度に合わせて調節しなければならない。つまり蒸気の流量まで常に変動している。ということは、原子炉内の発生熱量、すなわち、核反応も変動しているわけです。人間の血圧だって常に変動しているでしょう。心臓の鼓動だって早くなったり、ゆっくりになったりします。体温だって変わるでしょう。それと同じように、原発の心臓部である炉心の核反応も外の海水温度の変化によって常に変動しているわけです。
例えば、この発電所は百十万キロワットの発電所ですっていったら、送電線には常に百十万キロワット送らないといけない。約束した電力は絶対に保たないといけない。そのために、蒸気の絞り量を加減する、つまり、蒸気の流れをコントロールするバルブは常に微妙に動いているわけです。発電所っていうのは、生き物のように常に微妙に変動している。出力一定だったら常に運転状態が同じだろうと思っていたらとんでもない。それから例えば、蒸気を水に戻す復水器、コンデンサーって言いますけど、そこに海水を通してそこで蒸気を水に戻して真空がうまれるわけですよね。海水を通しているところって言うのは汚れるんですよ。海水だからいろいろ不純物もあるし。コンデンサーっていうのは、チューブが何千本も入っていて、そのチューブの中を海水が通るんだけど、そのチューブに海水の汚れがつく。そうすると冷却がうまくできないから、時々ね、逆方向に流すわけです。バルブを切り替えて。バルブの切り替えを定期的にやるわけですよ。それをタイマーを制御回路に入れておいて自動でやるわけです。
ところが、そのタイミングがおかしくなることがあるんです。プログラムされた切り替え時刻でない時に切り替わちゃったりして、その原因がつかめないんです。どこのリレー(電磁石とスウィッチを組み合わせたもの)が狂ったのか探すために、記録計を持って行ってつないで調べたりします。そういう訳の分からないことがよくあるんです。
発電はちゃんとしてるんだけれども、いろんな付属の機械類が予想外の動きをするんです。その原因を調査したり、「ここはこうだからこうですよ、ここを直しましょう」とアドバイスする運転サービスって事業を東芝が始めたんですよ。私はその仕事の現場の窓口係でした。ある時、中央制御室から「原子炉給水ポンプが『リーン、リーン』と虫の鳴くようなような音を出している。調べてくれ」という連絡が入ったのですよ。でもポンプはちゃんと動いているんですよ。ただ普段と違う音がしてる。この原因は何だろうと、私が現場に行ったら、振動も無く、性能にも異常はないんだけども、確かになにか『リーン、リーン』とかいうような不思議な音がしている。気になるから調べたけれど、とうとう分かりませんでした。
原子力発電所は、無数の会社と無数の人たちが部分部分をつくって、組み合わせてやってきたわけですよ。原発をひとまとまりとして、全貌が分かってる人は一人もいないんです。そんなもんなんですよ。プラント全体が危ういような事故が起きた時に、全部が分かる人は一人もいないんですよ。
遠藤 それでは事故の時に対策のたてようがないですね。
小倉 例えば、当直長は原子炉取扱主任技術者なんですが、こういう操作をすればこういう結果になるというプログラムは頭に入れてるんでしょうが、原発内の全ての機械のどこにどんな弱点があるかという詳しいことは分からないでしょう。だから事故が起きると混乱するんです。
私は原発が通常の出力で運転している時も現場に駐在していて、中央制御室から問い合わせがあったらすぐ現場行って調べる。そういう仕事をしていたわけですよ。パトロールもしていましたが、一日で回りきれませんから、今日は原子炉建屋を回る、次の日はタービン建屋を回る、その次の日は屋外の機器を回ろうと、分けてパトロールをしていたわけです。原子炉建屋は一辺が八〇メートルぐらいありますかね。タービン建屋になると百メートル以上あります。高さも何十メートルかありますね。屋外をパトロールしながらふと振り返ってみると、建屋がなんだか不気味なものに見えたりします。私は機械屋ですから、電気のこともよく分からないし、制御のこともよく分からない。核反応のこともよく分からないんです。とにかく原子力発電所のあちこちで不思議な現象が起きるんです。そういうのを見ていると、それはもう怪物ですよ。
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