1~25号 | 26~50号 | 51~75号 | 76号~100号 | 101~125号 | 126~最新号 |
号 | 頁数 | 発行日 | 内容 | BN |
---|---|---|---|---|
25 | 24 | 1994/11/25 | 特集:水俣から環境を考えるⅡ:「まだエンジンの音は聞こえとっと」-杉本栄子・吉永利夫/場所の力、場所の霊 der heilige Punkt-鎌田東二 記事:連載小説「熱い砂」②-竹里はるひ/法要会に思う-林田緑/政治闘争は終わっても政治は終わらない-遠藤邦夫 |
○ |
24 | 24 | 1994/9/25 | 特集:水俣から環境を考えるⅠ:御所浦の海-森フサエ・小里アリサ/海の暮らし-坂本実・辻潤/ゴミを減らすのはリサイクルだけではない-アニア.O 記事:連載小説「熱い砂」①-竹里はるひ/金の斧をもらった夏-吉永利夫 |
○ |
23 | 24 | 1994/7/25 | 特集:「水俣を見る・読む・思う」:薩摩街道/境川石橋/茂道みかん山/坪段漁港/竹林公園/仕切網/恋路島/丸島漁港/大廻り塘/亀の首/チッソ水俣工場/チッソ旧工場/為朝神社/陣内/水俣城/茶畑/三太郎峠/女島海岸/小崎/水俣川/湯の鶴棚田 記事:個を信じ叡知を求め続けること-半田隆/わたしのこと-馬場文 |
× |
22 | 24 | 1994/5/25 | 特集:相思社の20年とこれから「我が水俣を求めて」PART2:私たちは今どこにいるのか「意味ある世界への帰還」-緒方正人/これからの相思社」-吉永利夫/職員紹介 記事:うなずくだけじゃ…ごんずいセミナーIN福岡-辻潤/きれてつながるネットワーク-気流の場・播舎/水俣まちめぐり⑪水俣湾埋立地-深山あおい・じん |
× |
21 | 26 | 1994/3/25 | 特集:相思社の20年とこれから PART1:水俣と相思社のいまむかし/私たちは今どこにいるのか「システムの中の水俣病」-緒方正人 記事:教育を疑う最終回-楠原彰/新水俣市長吉井正澄さんインタビュー-吉井正澄・吉永利夫/維持会員アンケート/熱烈な支持も批判もと欲ばりたい-さとうおさむ |
× |
20 | 26 | 1994/2/5 | 特集:マンガ! マンガに描かれた水俣病とその周辺:ブラックジャック/光る風/現代柔侠伝/天使になれない/霧にむせぶ夜/ゲバゲバ時評/水俣川ものがたり/水俣の海から/MINAMATA/楽園の秘密/ジャッジ/クッキングパパ 記事:投稿「それなりの理由があっても放っておけないことがあります 渋谷武司さんへ」-塩見鮮一郎/投稿「日本企業は韓国からどんどん撤退しています」-辻本武 |
○ |
19 | 26 | 1993/11/25 | 特集:チッソはなぜ倒産しないのか? PART2:何故「チッソ存続」なのか?-吉井正澄/チッソの一労働者からの視点-山下善寛/野の村からつぶやきの風景-吉本哲郎/有意義だった市民大会の開催-江口隆一/コラム「チッソと水俣」安賃闘争、水俣の塩、関連会社、熊本県環境センター 記事:投稿「それなりの理由がある-渋谷武司/座談会「この国のこのこと、やはり気になります-劉琳・ティモティー.ジョージ・吉永利夫 |
△ |
18 | 24 | 1993/9/25 | 特集:チッソはなぜ倒産しないのか?心優しき人々の支えるチッソ-吉永利夫/「チッソ存続」に大義はあるか?-さとうおさむ/コラム「チッソと水俣」社章の変遷、朝鮮チッソ、二つの工場歌、事業大観、橋本市政、チッソ県債、水光社、ゴミの分別 記事:水俣まちめぐり⑦水俣港-はやしだみどり・じん/差別としての水俣病最終回-塩見鮮一郎/ごんずいのがっこう’93夏報告-小里アリサ |
× |
17 | 24 | 1993/7/25 | 特集:しょせん人ごと、されど我がこと:共同の営みの中で関係を変えるということ-藤田敬一/河が流れる-西川茂次/単に「支援者です」じゃ、すまされないっつ~か-林田緑・辻潤・徳久圭 記事:差別としての水俣病⑤-塩見鮮一郎/教育を疑う②僕の教育実践-楠原彰/知らない世界を体験してみたいJYVA1年間ボランティア-成田紀恵 |
× |
16 | 26 | 1993/5/25 | 特集:水俣市立水俣病資料館PART2:今まで、市が、なあ~んばやって来たかな-田上義春・小里アリサ/水俣病資料館に思う-小松聡明/市民もなかなか寄り合えなかった-金橋均/投稿「現実の缶詰化」-堀哲郎/当事者に「嫉妬」しているかどうかが気にかかる-吉永利夫 記事:水俣まちめぐり⑦椿の井戸-はやしだみどり・じん/差別としての水俣病④-塩見鮮一郎 |
△ |
15 | 26 | 1993/3/25 | 特集:徹底検証 水俣市立水俣病資料館 PART1:パネル展示が手品をする-徳久圭/年表が語る市立資料館の座標-望月敏和/「水俣の工業化と都市化」は何を伝えるのか?-さとうおさむ/水俣病のようだが水俣病ではない-弘津敏男 記事:差別としての水俣病③-塩見鮮一郎/学校の力・往復書簡-牧口誠司・さとうおさむ |
△ |
14 | 24 | 1993/1/25 | 特集:学校の力教育を疑う-楠原彰/往復書簡-牧口誠司・さとうおさむ 記事:埋立地に舞う免罪符-吉永利夫/差別としての水俣病②-塩見鮮一郎/相思社へのお便り |
× |
13 | 24 | 1992/11/25 | 特集:「私と水俣」のパースペクティブ水俣の復権とは-鎌倉孝幸/水俣病資料館-小島憲二/この先はありませんよと告げている-最首悟 記事:和解について-後藤孝典/相思社3凡人対談-さとうおさむ/差別としての水俣病①-塩見鮮一郎 |
△ |
12 | 24 | 1992/9/25 | 記事:このごろの私たちのこと-吉永利夫/92実践学校報告徳久圭/減農薬考③-辻潤/ごんずいのほんだな | × |
11 | 24 | 1992/7/25 | 記事:アマゾンの憂鬱-芥川仁/「パネル問題」を契機に「水俣」にいま思うこと-津田ひとみ/相思社へのお便り/理事会報告 | × |
10 | 24 | 1992/5/25 | 記事:ごんずいの生物学-神田猛/神はネットワーキングに宿り給う-加藤哲夫/忘れられぬ水俣の海-隅本栄一+さとうおさむ/36年目の5月-吉永利夫 | △ |
9 | 24 | 1992/3/25 | 記事:考証館の根本的な見直しのために-色川大吉/私と水俣を結ぶもの-高橋由美子/減農薬考~物販の現場から①-辻潤/水俣まちめぐり①チッソ排水口-はやしだみどり・じん | △ |
8 | 26 | 1991/12/12 | 記事:「慰霊祭」を考える-和田しげし/パネル問題の提起するもの・事実経過-弘津敏男、鈍い自分から始める-さとうおさむ、「きちんとします」というまえに-徳久圭/水俣病差別(下)-福永洋一 | △ |
7 | 26 | 1991/9/15 | 記事:市の資料館と私たちの考証館-吉永利夫/私の「水俣そしてチェルノブイリ展」-宮野由美子/土呂久は終わらない-徳久圭/水俣病差別(上)-福永洋一 | × |
6 | 24 | 1991/6/25 | 記事:認定制度と病像論-弘津敏男/崔正剛さん学習会報告-小里アリサ/考証館活動は何を目ざすのか? 私論-さとうおさむ/JYVA365ボランティア紹介 | × |
5 | 26 | 1991/3/30 | 記事:相思社今年の企画から-吉永利夫/患者運動の現状-弘津敏男/魚の絵をかきます-松浦豊敏/コラム・ショウキラン「火事」-吉永利夫 | △ |
4 | 22 | 1990/12/14 | 記事:これからの相思社④-吉永利夫/暑さ寒さの七日間-芥川仁/修学旅行三〇〇人を迎えて-小里アリサ/自分のこと②-辻潤 | × |
3 | 26 | 1990/10/18 | 記事:これからの相思社③-吉永利夫/水俣病事件幕引きのお祭り騒ぎ-徳久圭/患者運動の動き-弘津敏男/水俣ネットワーク①「杉並記録映画を観る会」 | × |
2 | 18 | 1990/7/15 | 記事:これからの相思社②-吉永利夫/未認定患者の聞き取りより-弘津敏男/試みとしての「生活学校-さとうおさむ | × |
1 | 18 | 1990/4/25 | 記事:これからの相思社①-吉永利夫/未認定患者運動の状況-弘津敏男/「試みとしての「生活学校①-さとうおさむ |