2ヶ月前の今日、福島の相馬高校放送局の高校生と顧問の先生たちを案内しました。色々と考えていましたが、文章にし、少し頭がまとまったので報告させてください。最後の写真は案内中のものです。
最近考証館に、原発避難の方々や福島在住者が来られることが増え、館内の解説をすると、「わかります」、「今まさに福島がそうです!」と相手の方の表情が変わっていくことがよくあります。同じ経験を共有できる、こんなに共感しあえるということに、はじめは嬉しくなってしまいましたが、それはとてつもなく哀しいことです。
相馬高校放送局は、ラジオや映像作品を作る活動を20年以上続けており、全国レベルの賞を数多く受賞してきました。原発事故以降は、その体験を映像やラジオ、演劇として制作しています。
水俣には、熊本大学で紛争解決学を教えている、石原明子さんの企画した上映会のために来水しました。石原さんの尽力は大変なものだったと思いますが、事前の打ち合わせで、エコネットみなまたの大沢菜穂子さんと分担し案内することになりました。その時に石原さんから「高校生が結婚できるのか、子どもを産めるのか」という悩みを抱いていると聞きました。私にはとても語れないテーマだけれど、私が見て・感じてきた水俣を精一杯伝えることで応えたいと思いました。
そして4月5日、彼女たちと水俣駅で出会い、私と水俣の関わりを語り、フィールドに出た途端、足がすくみました。
最近口癖のように、「今の放射能汚染が起きてしまった状況下に居る自分たちは、昭和30年代に排水を放置されていた水俣と同じ」と伝えています。
私たちは今、水俣病事件の歴史を振り返り、「なぜあの時に排水を止められなかったのか」「なぜあの漁民たちの、患者たちの訴えに耳を傾けなかったのか」と言います。
しかし、当時と今とでは何も変わっていないのです。
相思社で患者の人たちの思いとともに、二度と繰り返さないでと願い伝え続けてきたことが、それ以上に大きなことが、現在進行形で起き続けている。
それを前に、彼女たちと共に水俣を歩き、事件を追っていくことは、彼女たちと福島の未来を追っていくように感じられ、それを伝えることで彼女たちに苦しみや負担を強いるのではと躊躇し、それでも事実を伝えねばと思い言葉を紡ぐ、葛藤の中での案内でした。
終了後、車の助手席にいた鈴木さんに胸の内を話しました。そして後日顧問の渡部さんと交わしたメールにはっとしました。
「目の前の現実から目をそらしては、“未来”を思い描けるはずもなく、偽りの“未来”にはまた原発事故と相似形の悲惨な未来が待っている。ニッポンの“嘘”を見て、その思いを強くしている。」
これからも水俣を、伝え続けます。