環境庁長官 真鍋賢二 殿


チッソ存続についての要望書

 真鍋環境庁長官におかれましては、日々ご多忙のこととご推察申し上げます。
 さて、私たち水俣病患者三団体は平成七年一二月の水俣病政府解決策を受け入れ、チッソとの間で協定を結んだ団体であります。
 昨今、チッソ存続が危ぶまれているとの話を新聞紙上や巷間の噂で聞き及び、憂慮している次第であります。
 私たちは、チッソ存続問題の根幹にある水俣病事件を単なる一企業の犯罪、一地方の公害事件とは考えておりません。元東京経済大学の教授で、水俣病事件に造詣の深い色川大吉氏も言うように「高度経済成長の陰に水俣病事件があったのではなく、水俣病事件があったからこそ日本の高度経済成長ができた」と考えております。これは水俣病事件の歴史を見れば、誰しもがそのように考えるであろうと思っております。
 そして、水俣病事件によって患者のみならず、地域も多大の被害を被りました。つまり、水俣病患者は無論のこと、地域住民や地域そのものも日本の高度経済成長の犠牲者であると考えております。
 さらに、私たち三団体は、水俣病患者として認められ、被害に見合う補償を求めて二〇年以上に亘って精いっぱい、命がけの運動を続けてまいりました。その間には多くの仲間たちが思いを果たさないままこの世を去っていきました。私たちは志し半ばでこの世を去らなければならなかった仲間たちの想いを叶える意味からも、最後まで闘い続けるつもりでした。
 そういった中で、平成七年一二月、村山内閣は水俣病解決策を示しました。この解決策は私たちを水俣病患者とは明確には認めないものでした。また、補償の内容も私たちの被った被害と比べれば全く不十分なものでした。
 しかし、私たちは政府解決策を受け入れました。それは、この解決策には、私たち患者への補償だけではなく、地域の再生・振興を約束し、水俣病事件によって引き起こされた患者と地域住民との間の大きな溝を修復し、切れた絆を結び直す「もやい直し」がうたわれていたからでした。だからこそ私たちは涙をのんでこの解決策を受け入れたのです。これは私たちにとってまさしく苦渋の選択でした。
 そして、それから三年が経過しました。その間に私たちは、水俣病の語り部となり水俣病の教訓を国内はもとより、時には海外にも伝えてまいりました。また、様々な行事などを通じて、地域の再生・振興ともやい直しのためにできる限りの協力をしてまいりました。しかしながら、この新しい動きは、水俣病事件の四〇年あまりの歴史に比すればあまりにも短く、事業は緒についたばかりと言えます。真に地域再生・振興、もやい直しの実現のためには、今後も長期に亘って地域住民・地元行政と一体となり、私たち患者も努力を積み重ねなければならないと考えております。
 そういった最中、冒頭に申し上げましたように、チッソの存続が危ぶまれていると聞き及び、何とかしなければと今回の要望に及んだわけでございます。チッソは水俣病の原因企業であるばかりではなく、水俣・芦北地域の基幹産業でもあります。万が一にもチッソが倒産という事態に至れば、チッソからの補償で生活をしている認定患者たちがたちまちにおいて生活に困るのはもとより、「水俣病患者がチッソから補償をとるから、チッソが倒産したのだ」といった声が地域住民の中から噴出するであろうことは必定であります。そうなれば、せっかく生まれ始めたもやい直しの機運は吹き飛び、私たちの苦渋の選択も、それ以降の努力も水泡に帰すであろうことは明らかであります。
 真鍋環境庁長官におかれてましては、平成七年の政府解決策に記されたことがらと、それを受け入れた私たちの心情をお汲み取りいただき、是非ともチッソ倒産という事態を回避するために、最大限の努力をしていただきますよう、切にお願いいたします。

一九九八年一二月四日


水俣病患者平和会 会長 石田勝
水俣病患者連合 会長 佐々木清登
水俣病被害者の会全国連絡会 代表委員 森葭雄
同上 幹事長 橋口三郎