熊本県知事 潮谷義子 様
五月一一日、国と熊本県は水俣病関西訴訟控訴審判決を不服として上告しました。
私たちはこのようになることを憂慮し、四月三〇日付け書面にて「上告権を放棄し、判決に従うこと」を要望いたしました。結果的に私たちの要望は受け入れられませんでした。
潮谷義子知事は判決後の記者会見で、「初めての上級審での敗訴で、重く受け止めている。それまでの地裁判決も判断が分かれており、決して数年前の政治決着で、この問題に決着がついたとは思わない。水俣病問題は『過去は決着済み』ということではなく、過去も踏まえて教訓を発していかなければならない」(四月二八日 熊本日日新聞)と述べられました。私たちは熊本県独自の判断と潮谷知事の英断に期待しました。しかし、期待は失望に変わりました。しかし、上告の際にも「裁判の長期化は人道的に問題」と述べられており、知事の本心は上告断念だったのではないかと感じました。
一方、その直後の五月二三日、小泉総理はハンセン病国家賠償請求訴訟について、原告の高齢化などに配慮し、福岡高裁への控訴を断念されました。国民の多くがその英断をたたえました。そして潮谷知事も「人権の世紀である二十一世紀の幕開けにふさわしい大英断だ。ハンセン病に対する無関心や誤った知識などによる偏見や差別をなくすために県としても正しい知識の普及、啓発活動に努めていきたい」(五月二四日・西日本新聞)と話しておられます。
しかし、五月二五日の記者会見で知事は「もし、ここで(国、県が)上告を取り下げれば、政治決着で和解を受け入れた人や、従来の病像論に基づく水俣病認定制度に大きく波及する」(五月二六日熊本日日新聞)と述べられたそうですが、これは潮谷知事らしからぬ詭弁としか思えません。この間の状況や判決内容のどこからそのような結論が出てくるのでしょうか。
私たちは知事の言う「政治決着で和解を受け入れた人」ですが、県が上告を取り下げたからといって、そのことを評価することはあっても、問題になるとは考えていません。また、判決文にも「本件で問題となっている病像論は、五二年の判断条件とは別個」であると明記され、認定制度には波及しないような配慮がなされています。
「九五年の政府解決策には「国及び県は、上記の紛争の終結に際し、総合対策医療事業の継続及び申請受付再開、チッソ支援、地域再生・振興のための施策を行う。また、救済を求める者及び企業は、損なわれた地域社会の絆を修復していく「もやい直し」の取組に参加・協力するなど、地域住民とともに地域の再生・振興に積極的に取り組む」と記されています。
また、同年一二月一五日の総理大臣談話においても「政府は、今般の解決に当たり、総合対策医療事業、チッソ支援、地域の再生・振興などについて、地元自治体と協力しながら施策を推進してまいりますとともに、水俣病の悲劇を教訓として謙虚に学び、我が国の環境政策を一層進展させ、さらに、世界の国々に対し、我が国の経験や技術を活かして積極的な協力を行うなど国際的な貢献をしてまいる所存であります」と記されています。
あれから五年余が過ぎました。私たちはもやい直しや地域の再生・振興にできる限りの取り組みをしてきました。また、水俣病の教訓を国内外に伝える事業にも取り組み、あるいは協力してきました。今、地域では行政、患者、市民が協働してもやい直しや水俣病の教訓化、教訓を活かす事業に取り組み、その成果が上がりつつあります。しかし、まだまだ水俣病患者に対する偏見差別は解消されたとは言い難い状況です。
こういった中で上告することによって訴訟が継続し、解決を長引かせることはこの五年余の取り組みに逆行し、残された課題の解決を更に遅らせることになります。チッソは「(平成七年の政府解決策で)会社が選んだ早期解決と同じ考え方に立ち、上告しない」(五月一一日付熊本日日新聞)という判断をしました。国や熊本県も九五年当時の状況を思い返し、今回の判断について再考すべきだと思います。
よって、潮谷知事のご英断を強く望み、次の要望をいたします。

要 望
一、 熊本県は水俣病関西訴訟控訴審判決の趣旨、原告患者らの実状、二一世紀の環境行政のあり方、被害地域における「もやい直し」事業の推進などに配慮し、上告を取り下げること。

平成一三年六月一日
水俣病患者連合 会長 佐々木清登