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杉本栄子さんが、2008年2月28日午前0時24分逝去されました。
杉本栄子さんは、昨年夏、ガンが再発して耐え難い痛みに見舞われました。栄子さんならどんな困難も乗り越えられるに違いないと信じていました。果たして、その秋には、栄子さんは水俣駅前のいつもの朝市に立っていました。
1月14日に開催された熊本県公聴会では、「最初、処分場のことを聞いて眠れなかった。私たちには逃げるところも隠れるところも、この家以外にはない」と、不退転の決意を示されました。そして公述の最後を「命のある今、みなさんに分かっていただきたい、やりきれない思い出一杯だ」と締められました。その時、この言葉を、私は栄子さんの遺言のように受け止めてしまいました。そしてすぐに自分は何を考えているんだ、栄子さんはきっと奇跡のように甦って、すべては笑い話となる、なって欲しいと思いました。
どれほど多くの人が、栄子さんの話を聞いて元気になり、生きる力を授かったか。大げさな表現ではなく計り知れません。
栄子さんは多くの言葉を残してくれました。「やっぱ悔しさとかいじめられたこつも、言わんばならんこつもあっとやもんなー。市民の人たちや全国の人たちが、私たちの話しば聞いたっちゃ、私たちの話が分かってもらえるのは苦労した人、壁にぶち当たっている人たちやもんな。そん人たちは『アーこげんした生き方もあっとかいな』と、理解せられるばってんな。何を求めてここまで私たちに会いに来てくれらっとか。帰ってから、どげん使おうっちしとらっとやろかっち。じゃばってん、聞きにくる人はですね、聞きにくる人は求めて来とらっとですから、聞かっとですよ」。私たちはこれからは生きた栄子さんの言葉を聞くことはできませんが、遺されたその言葉を自分自身に活かしていくことが、栄子さんが私たちに残した課題だと思います。
悲しんでいる私たち見て、栄子さんならきっとこう言うでしょう。「なん泣きよっとかね。誰でん死ぬたい。私は悔いはなか。もっと景気よく送ってくれんな」と。
(遠藤邦夫)
すぎもと えいこ 1939年生まれ
茂道の網元の一人娘として、3歳の頃から父進さんから漁を教えられる。
1959年夏、母トシさんがNHKニュースでマンガン病と報道され入院し、以来15年間村の中でいじめられ孤立させられる。
同年12月雄さんと結婚し、5人の男の子を授かる。
69年6月水俣病第一次訴訟原告団に加わる。
同年7月、父進さん水俣病で他界。
70年頃には、夫婦で入退院を繰り返す。
74年茂道の自宅に、栄子食堂を開店。この年水俣病に認定。
80年頃から3年間の入院生活。
92年から家族総出で不知火海のイリコ漁に出る。
95年から、水俣市立水俣病資料館で語り部として話す。
08年2月28日 死去
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通夜・葬儀
2月29日 通夜 JA芦北葬祭場 午後6時30分から
3月1日 葬儀 午後2時30分から
JAあしきた葬祭総合仏事会館みなまた
電話0966-63-4192
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地図など:http://www.ja-ashikita.or.jp/sousai/sougou_minamata.html
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