患者聞き取り集

 「豊饒の浜辺から」

(財)水俣病センター相思社

(財)水俣病センター相思社
2002年7月1日発行
A5版 126ページ
価格 1,200円(税込)

11人の水俣病患者の語った「我が水俣病」
一人ひとりに長い長い闘いと苦難の物語がある。
その語りに耳を傾ける時、私−あなたは何を思うのか?
高裁で認められなかった、錯乱する親への仕打ちを忘れられない、それでも豊かだった海の想い出、今も夫婦で沖に出る等々、今まで活字で読めなかった記録が一冊の書籍になった。
「暮らしの中の水俣病」という視覚が、患者たちの言葉に生命を与えている。
毎年シリーズとして出版する予定。

「豊饒の浜辺から」目次

内容紹介(一部)

「貧乏していた時代は、みんな心もやさしかった」−−−吉浦一正

水の混ざるとこは、魚でも貝でもおいしかっですよ。昔はな、漁師は海岸の木は絶対に切らせなかった。もう、海岸ばたの木なんか切ったら、やかましかったっじゃけん。「恋路島の木を切ろうかと思う」ち言うた奴に、「冗談じゃなか、あそこの海岸ばたの木ば切ってみろ、漁師に目ん玉飛びずるごつおごらるっぞ」ち言うたったい。芦北の山ば見てんな、海岸まで山じゃがな。ほっで、魚が育っとですよ。水俣は全部コンクリにしてしまって大変じゃ。
 今まで貧乏していた時代は、みんな心もやさしいけれどな、いったん、みんな金を持ってしまえば、ちょうど自分が作ったような、自分が偉くなったみたいにのぼせ上がってくる奴が多かですよ。ちょっとしたお金でも出すときには出し渋るようになってな。そこが人間は汚いなあって思うとです。人間、持っとれば持っとるほど腹黒くなってきますよ。これも水俣病の被害かもしらんな。

「明治生まれの漁師」−−−−松崎末人

松崎 はい、縄はえばしとる頃の、そん何でしたったい。そしてあたい家からあそこで、餌ば一日放れば、やっぱ二日ばっかり、どげんしてん入りよりましたもん。そいでとった魚は、今んごて水俣の魚市場に上げてな、浜所に上げ。そしてまた明くる日は、入ってきよりましたじゃったが。もう今のごてなれば、もう今んところじゃまだそげんじゃごわっせんばってん。こう北風ちゅうとが吹くもんで。朝、水俣の川ん、だいの沖(瀬の名前)ば入りますと、たいぎみおけ(何かあまり嬉しくない、網に入ったモノの名前らしい)ばっかり入って、そしてそればたぐりあげっしまえば、北風が吹くでしょう。今んごて、そん機械船じゃなかったもんでな。

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