
「豊饒の浜辺から」第2集 目次
内容紹介(一部)
水俣病事件に目覚めて ----- ----------- 緒方正実
引き下がれない思い
今後どうするかということはいろいろ考えています。自分の水俣病被害をきちんと明らかにするために行政不服の中で訴えていきたいというのが一つ。そしてもう一つは、認定制度自体がメチャクチャで間違いだらけだと思うんで、行政が作った間違いだらけの認定制度にもう一回申請して、認定制度が完璧でないということを行政に反省させたいという思いがあります。それで、五回目の認定申請を準備中です。
初めて認定申請をしてから六年たつんですけれども、その間にいろんなことがあり、いろんなことを知りました。それを知ったために自分自身引き下がることができないというか、このまま放置すれば、水俣病の被害・病状を放置すれば、自分自身が罪を作ってしまうことになるのではないかというような気持ちになっています。
みなさんもご存じかと思いますけども、私の認定申請についていろんな事件が起きました。認定審査会に必要な資料だということで熊本県が私の成績証明書を無断で使用したこととか、疫学調査書の中で無職という意味で「ブラブラ」と差別的な表現を記載していたことがわかったりとか、行政のしているいろんなおかしなことが次々と表に出てきました。ブラブラ問題では潮谷県知事が直接謝罪され、社会問題へと発展しました。
私自身、そういう体験をしてきて、水俣病の悲劇はこんなふうにして起きているんだなあというふうに感じております。「水俣病は終わった、もう補償問題は終わった」というふうに周りではよく言われますけれども、終わったというのは一人残らずきちんと補償問題が解決したときに言えるんだと、そのときに終わったと言えるんだというふうに私は思うんです。
私の他にもたくさんの人が、私と同じような立場に立たされています。こういう場で話をするのは私もだいぶ迷ったんです。こうして人前に出て自分の実情を話せる勇気がない人がほとんどです。おそらくみなさんは、私が自分自身のことを話すことが当然じゃないかと思うかもしれませんが、自分の苦しみを大勢の人たちの前で話すことは辛いことです。ほんとうは私の他にもたくさん、私とまったく同様の人たちがいて、私は特別じゃないんです。だから私をみなさん見て、私と同様の水俣病被害を受けて苦しんでいる人が少数ながらもいるということを知っていただきたいと思います。
ちっちゃいこと言われんのがつらか --------- 森 スマエ ・ 潔
美智子さんのこと
スマエ
美智子ですか。何ともかんとも、あんな人が多かったですよ、あの時分は。水俣市立(病院)に行っても、あんた、病院の先生は隠しとったもんね。水俣病っていうもんな(言うものを)、奇病奇病って言うて、そしたふうで。わざわざ足を切らんてよかとを、ここをわざわざ切ってまで美智子は入院させて、血を採ってねえ(おそらく認定患者との比較のため足の神経を切り取ったことを言っている)。かわいそうに、あんた。切ってまであげん疑うて。ほんとあの苦しさというのはなかった。近所隣がやっぱりねえ、水俣病水俣病って嫌いおったでねえ、あの時分は。あの苦しさちゅうはなかった、ほんと。
そん時は私は元気だったよ。美智子をやっとかっと(美智子の世話でなんとかかろうじて)、気が張ってたからね。支援者のみなさんが、一所懸命運動してくれやった。美智子が四六年じゃったっけねえ、私が四八年じゃったねえ、認定もらったのが。
もうどうしても私が子守がでけんもんで。国分の先の、福山に施設があるもんなあ。弱い子どもばっかり。あそこにねえ、出水の福祉の方に頼んで。
もう自動車を止めたり汽車を止めたり、もう私も付いてもおられんもんなあ。子守がなあ、百姓はせんならんし。まだ子どもが小さかで、学校のあれで忙しいし。で、もうどうしてん、福祉の方に行って「どげんすればよかっじゃろうかい、もう私は頼むごた」って言って。ようやく、「福山にあるがそんなとこでいいか、やるか」って言って。それでもう「やる」って。なんさま(とにかく)線路に出て汽車もいっぺんな止めて。もう、あん時よう命があったと思った。また車が危のうしてなあ。車を止めたりして。そいでもう頼むちゅうて世話してもらって。福山ん施設に一時ばっか入れて。
※水俣病センター相思社機関誌「ごんずい」の紹介記事もごらん下さい
2003年5月25日発行
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