明けましておめでとうございます、ってのは少々遅くなってしまった。2003年年末にため込んで読んだ本と全部読んでいない本。水俣図書館がバーコード管理となって5冊まで借りられるようになったのは喜ばしい。しかし二階の古い本のコーナーが閉鎖になって見られれないのは良くない。以前にも私の本読みスタイルは紹介したが、年末から正月明けにかけて一応17冊に目を通した。たくさん読めばいいってものではないが、たとえばDFINOは2〜3時間くらい、Gで4時間くらいで読んでしまう。だから何が書いてあったかほとんど覚えていない。まさに時間つぶしとしか言いようがない。だから2回目に読んでも新しい! おいおい。何のために読むのか、不思議なことだ。でもそのなかで少しは記憶に残っている部分があって、何かの役に立つこともある。@は読み進むのには苦労はないが、少しは覚えたり考えたしながら読む。だから時間が倍以上かかる。この中で特に読み進むのが難しかった本は、AとBだったが、Aについてはまだほとんど進んでいない。文章の難しさと写真と文という形式がすんなりと入っていないからだろうと思う。Mは本ではないが、なかなか興味深いものであった。
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@『医は国境を越えて』中村哲 石風社 1999
水俣図書館
読後感想:読んで良かった。何故かペシャワールの会に反発を持っていたが、現地での苦労を正確に書いている中村哲の印象は格段に上がった。たぶんその昔中村が、私の好きなマスードの批判をしていたからだと思うのだが・・・。やったものにしか分からない現場の臨場感にあふれている。
A『パレスチナとは何か』エドワード・サイード 岩波書店 1995
水俣図書館
読後感想:まだ読み終わっていないというか、サイードの名前とパレスチナに引かれて借りたが、これはちょっと読む本ではなかった。
B『ビアフラ物語』フレデリック・フォーサイス 角川書店 1982
古本屋
読後感想:フォーサイスの怒りが行間ばかりでなくにじみ出している、なんでこんな不当なことがまかり通るのか、と。フォーサイスはオジュクが好きなのだが、それで擁護するというのではない。何故イギリス政府(というより一握りの植民地の官僚)は、何の論理的正当性も根拠もない連邦政府を自称するゴウオンを支持するのか? 昨日の熊日新聞に高村薫が、今回のイラク派兵の手続き的正当性もないところで、派兵の是非など論じようもないと述べていた。自衛隊員に遺書を書いていけと言う前に、政治家こそ遺書をかけと高村は怒っているが、そんな気概のある政治家は少なくとも国会にはいない。
このぺージをアップロードした1月15日は、ナイジェリア内戦でビアフラが最終的に敗北し、オジュク将軍がコートジボアールに亡命した日であった。オジュクで検索していたら、次のような文章にであった。「今振り返ると、フォーサイスのアフリカ観はヨーロッパ的価値観を最上のものとするステレオタイプの延長であり、私も素直に賞賛することは出来なくなってしまったが、それでも当時のフォーサイスが、あくまでも地を這う者、人を統計的な数字ではなく等身大の人間として見る者の視点にこだわっていたことには、今でも共感を覚える」(電網馬賊 低空飛行中より)。私はフォーサイスの『戦争の犬』はこの正月にも読み直した。電網馬賊さんが言うように、フォーサイスがオリエンタリズムに囚われていることはそうだと思う。年末のNHKドキュメント映像の世紀で、イスラエル建国を中心に民族対立を映していたが、これはどこからほどけるのだろうと思った。と同時に、昨年末にはパレスチナのイスラム聖戦が「イスラエルとの共存認める」というニュースがあった。指導者のナフェト・アザム氏は「イスラエルを狙った自爆テロなどではパレスチナ国家樹立は成し遂げられなかったと明言」した。
C『塩と日本人』田村勇 雄山閣 1999
水俣図書館
D『わが集外集』陳舜臣 講談社 2002
水俣図書館
読書感想:日本軍と組んでインド国民軍を組織したチャンドラ・ボースの最期を知った。ボースは戦前にインド国民会議派の議長となるが、ネルーやガンジーの非暴力派に追い落される。インパール作戦の時に、日本軍と一緒にインパールに向かって進軍することになる。私は非暴力を自称したガンジーは好きではない。実際ガンジーの主宰した独立運動は非暴力を旗印としたが、実際に非暴力だったわけではない。あくまで政治的ポーズである。
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E『アンゴラの白い雇い兵』ラウル・バルデス・ビボ 恒文社 1977
古本屋
読後感想:1500円も出して買って損した。これはあんまりだ。キューバのプロパガンダにすぎない。白人傭兵の実態を暴くというけれど、それではソ連の戦争指導員やキューバ兵の実態はどうだったのか? 勝てば官軍では読んで面白くない。
F『らんぼう』大沢在昌 新潮社 1998
ブックオフ
読後感想:まさにらんぼうな男が二人痛快に暴れまくるお話。
G『有限と微少のパン』森博嗣 講談社 1998
ブックオフ
読後感想:こんなに厚くて100円とは全く安い。ブックオフは販売店ではなく貸本屋と理解したい。いつものこんびが謎を解いていくのだが、こんなに頭の良いヤツを設定するなんてちょっと違反って感じ。私は推理小説を読む時に全く推理しないで読んでいく。最期まで読めば分かるわけだから、途中で推理しても無駄なだけ、それよりは物語りとしての流れを追うほうが楽しめる。
H『日本人は戦争に向いていない』田中光二 青春出版 1997
ブックオフ
読後感想:田中光二は本の題名で「日本人は戦争に向いていない」と言いながら、国家としての戦争体制が整っていないことを憂いているが、訳が分からない。題名を変えて「どうすれば日本人はちゃんと戦争ができるようなるのか」とすればよい。まあ日本人と国家としての日本を都合の良いように混同させた結果としての、訳の分からない主張になるのはしかたがないか。読むだけ時間の無駄だった。
I『損料屋喜八郎始末控え』山本一力 文芸春秋 2000
水俣図書館
読後感想:面白かった。
J『豊じょうの食卓』河野修一郎 朝日新聞社 1993
熊本県環境センター
読後感想:設定が農薬会社の人間が、化学物質の危険性に気が付かされていくという設定は、なかなか面白かった。最初はドキュメントかと思ったほどだった。
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K『地球と宇宙』和田昭夫 近代文芸社 1995
熊本県環境センター
感想:これは借りたのが間違いだった。素人には手に負えない。
L『C.W.ニコルの森の時間』C.W.ニコル 読売新聞社 1994
熊本県環境センター
感想:まあ面白いけど、なんか偉そうにしているんが気に入らない。確かにセンスが欧米人って感じ。
M「環境社会学会ニューズレター第32号」環境社会学会 2003
送ってもらった
読後感想:もっと水俣現地人が感想を書いているのかと思っていたが意外に少ない。環境社会学会のホームページでも読めるのでどうぞ。徳野さんの地元学はデザートで水俣学がディナーには納得できない。誰が決めたのかな? 地元学については、前にも書いたけど水俣病隠しというイメージを持っている人が意外に多くて、水俣学を担っている相思社アドバイザー委員会の花田さんもそうだが(ごんずい78号参照)、どうしてそう思うのだろう? 水俣に暮らしている人にとっては、水俣病事件の意味よりも、これからどうしていくのかが重要である。議論の結果や解明され尽くさない水俣病事件の全貌がどうであろうと、水俣は日々存在するし人々は日々暮らしていくほかない。このギャップを納得させることは、水俣住民だけに求められることなのか? 水俣では水俣病が忘れられようとしていると警鐘を鳴らせば、それで済むことなのだろうか? それぞれの立ち位置が違うわけだから、それぞれに真実があるとみなして議論を始めたい。
N『交戦空域』ジョン・ニコル 二見文庫 2000
ブックオフ
O『天才伝説 横山やすし』小林信彦
水俣図書館
読後感想:横山やすしってこんな人間とはよく分かるが、小林は何故この文章を書いたのだろうか? 寝覚めが悪かったとは書いているが、こんな迷惑な人間を小林は悪口としてではなく、いわば記録としてちゃんと残したかったのだろう。昔の芸人にはこんな人が多かったに違いないが、まさにテレビというメディアとそれが創り出す世間がなければ、迷惑をかけることがそんなに知られることはない。「芸のためなら女房も泣かす、それがどうした文句があるか」なんて歌だってあることだし。
P『全ての道はローマへ通じる』塩野七海
水俣図書館
感想:塩野の「ローマ人の物語り」は掛け値なしに面白い。この11巻を書くに当たって塩野は、常になく長い前置きをしている。ローマ人の全体のインフラ整備の研究はなかなかする人がなく、昨今の学問のスタイルでは細分化される傾向が強いので、ますますローマ時代の長い時間と空間の中で作られた道・橋・建物等々の研究は世に出てこない。だから塩野は素人を主張しているが、わたしはそうではなく別の研究スタイルとして世に問うべきではないかと思う。謙遜しないでいいよと思う。アウグスティヌス以降はちょっと暗い印象が強いが、別冊ともいうこの11巻は久しぶりに楽しい気持ちで読めた。