読んでためにならない
遠藤邦夫のページ
(1)私の好きな水俣関係の写真を張りつけます
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| 2002秋 三重県勢和村の水銀鉱山跡と鉱石を焼いて水銀を取り出す装置の残骸 |
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| 水俣湾埋立地で行われる火のまつり |
12月20日
私は新聞はまじめに読まない主義だ。昔からマスコミと裁判と選挙は三大嫌いなモノである。たまに眺める時には三面記事の下の方にある死亡記事に何故か目をやる。これはけっこうおもしろい。名前、享年、死因、略歴や葬儀の日取りなどが書かかれている。この欄に載る人はどういう人かと言えば、すごく有名ではないがその地域では有名な人だったり、なんか社会的に意義がある仕事(まあここでは「じゃあ社会的に意義のない仕事って何だよ」とは問わないで軽くながしといてね)をしている人だったり、我田引水的に新聞社の役に立った人とその係累などなど。すごく有名な人の場合は、一面に載ったりあちこちのページで、識者や関係者のコメント付きで掲載される。このあたりの判断は誰がどんな基準でしているのだろう? なんか記憶の片隅にあるのは、ナチスドイツへのレジスタンス運動の話だったような気がするんだけれど、新聞の死亡記事を集めてナチスの調査に使ったとかなんとか。私が死亡記事に興味を持ちだしたのは、それがきっかけだったように思うけれど忘れた。
こうした密かな趣味(?)は実は密かな趣味ではなく、けっこうみんな関心のあることらしい。山田風太郎の『人間臨終図巻』(上下。徳間書店。1986)を図書館で見つけたときはびっくりした。世界の有名人の死に際が、名前別に書き込まれているではないか! 手元にないので思い出せないが、有名なゲーテの「もっと光を」があったようななかったような。逍遙として死を迎える人、生きているうちは偉そうだったのに死に臨んで見苦しく騒ぐ人、何がなんだか分からぬうちに死んでしまった人、死に方は生き方を映しているようで、自分はどうだろうかと思うと・・・。できれば心穏やかに逝きたいところだが、どうもその方が受けも良いしとにかくまわりは助かるわな。
手元に『知識人99人の死に方』(荒俣宏編、角川書店、1994)がある。荒俣は同書リードで「われわれが自分の臨終についてのみ淡々とした携帯を望むのは、人生最大の”見せ場”を演じることがまったく過酷な労働である事実を、よく承知しているからであろう。ここで演技を見せるのは、医者でも遺族でもない。死んでいく当人なのである。たしかにタフな仕事である」と述べ、続けて「多くの人が『死』に関心を抱いているのはたしかであるが、その対象である『死』をあまりにも医学的に解釈しすぎてはいないだろうか」。病院が病気を生産すると言ったのはイヴァン・イリイチだった。病院で死ぬことがあたり前になると、自宅で死ぬことが異常な死になる。何が悲しくて病院で機械に結びつけられて、「あっ死んでる」なんて感じで死を迎えなくてはならないのか?
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| 水俣市越小場の水草に覆われた水源 |
数年前、病院で父の死に偶然立ち会ったが、死の瞬間というのはかなり劇的である。「もう時間の問題だ」と医者が言ったにもかかわらず、意識はモルヒネのおかげ(けっして皮肉ではない。生存の望みがない病人が何故痛さ・辛さに耐えなくてならないのか? じっさい私が考えたことは、父の酸素吸入パイプをはずした方が良いのではないか。しかしだいぶ考えたが実行には移せなかった)意識はとうになくなったにもかかわらず、父の心臓は乱れもせず脈打ち、呼吸も通常と変わりがなかった。その父の枕元で義母と、どっちが先に食事に行こうかと話していた時、急に父の呼吸が乱れ始めた。呼吸が止まったかと思うと、小さな浅い呼吸になったり、また止まったりするうちに、心臓に手を伸ばそうとしてもがくよな仕草をした。私はその時上から父を抱いていたが、父の身体が突き上げてくるようなもがきを、「早く逝ってくれ」と鎮めるように受け止めた。ビクビクとした最後の力は、相当なものだった。そして力尽きて静かになったが、呼吸は心臓が止まって10分間くらいも、物理的にではあるが思い出したように数回あった。きわめて間近な死の瞬間を、はからずも肉親で体験した。
『知識人99人の死に方』の中で印象に残っているのは、関川夏央が書いた「有吉佐和子 サーモスタットのない人生」。これは有吉佐和子よりは、関川の限りなくフィクションに近いノンフィクションの扱い方の妙に惹かれたと言った方がよいだろう。「二〇年前に離婚した神彰は、有吉佐和子死去尾のニュースをタクシーの中で聞いた。書くことが生理であり、体力ではささえきれないほどの強烈な創作衝動を持った女としてはむしろよく生きた、と思った。そしてもし書けなくなっていたのだとしたら彼女にはもはや生きる甲斐がなく、それはある意味での自殺かもしれないと感じた」、ここで神彰のコメントを思いつけるのが、関川の技量なんだろうなと感心した。
それに比べると三木清の死は「あまりにもむごい」。三木が治安維持法違反で逮捕されたのが1945年3月28日、亡くなったのが同年9月26日、それは戦争が終わって守るべき治安が崩壊してから一月以上も後のことであった。「だれもみとる者のない独房で、寝台からひとりころげ落ちて死んでいた」(『人間臨終図巻』より)。
最後に「戦後著名人怪死・変死一覧」がついている。投身、飛び込み、焼身、服毒・睡眠薬、入水、ガス、自爆、心中、毒殺、激突死、感電死、獄死、頓死、餓死等々、うーんいろいろあるんだな。首吊りの項に森恒夫がいる。「連合赤軍幹部。1973年1月1日没。享年29歳。連合赤軍リンチ殺人事件で逮捕され、収容されていた東京小菅拘置所の独房内で首吊り」。1月1日という日を選べたことからだけでも、なんとのんきな死であることか。山岳ベースで殺されていった人たちの命に見合わない死を選んだ森に比べれば、生き続けているというだけでオウム真理教の麻原の方が、よっぽど上等な人間に見えてくる。
話は飛ぶが、私は三島由紀夫の「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか」(バルコニーから撒いた檄文=遺書)はけっこう好きだ。で話をさらに飛ばして、よそに書いたものからの引用「水俣湾埋立地で行われる火のまつりや実生の森つくりは、非日常的な空間と自分との結び付きを生み出す人間の知恵である。いや水俣湾埋立地自体が非日常的な空間そのものであろう。水俣病がそこに始まり、多くの生き物の命を奪いまた埋めた場所であり、どうしようもない水銀ヘドロを封じ込める以外には問題解決できなかった現場である。ちょっと話がずれてしまうけれど、この地はエコパークと名づけられているが、これこそ名づけによって場所の意味を失わせようとするハカリゴトである。映画『千と千尋の神隠し』の中で、名を奪い人を支配する湯婆婆に対して、ハクは千の記憶によってコハクガワという名を取り戻す。私は長くモノはその概念がすべてと考えてきたが、三島由紀夫は『ぼくが言いたいのは、観念に名前がつかなきゃ、観念は観念じゃないということ・・・・あなたと私との本質的な差は、結局名前があるかないかということなんです』と『討論 三島由紀夫vs東大全共闘』(新潮社1969)と述べている」。三島を思い出したということだけなのだが・・・。
イバン・イリイチが死んだ。渡辺京二(『コンヴィヴィアリティのための道具』イリイチ著を共訳している)が熊本日日新聞に「イバン・イリイチ氏を悼む 保守的な近代否定者か 解かれぬ謎残す」と追悼文を書いている。渡辺はイリイチが来日した時に「私に会いに見えた原田さんという方、そして彼についてきた若い柳田さんという方は、三千人もの患者を作り出すことに成功し、喜んでるのでしょうか」と述べたことを紹介している。「これは当時、何とも真意のわからない発言だったに違いない」「今日われわれが彼の発言の含意を了解することができるとすれば・・・近代産業文明の核心に対峙しようとする緒方正人氏の、未踏の境地を目撃しているからにほかならない」と続けている。補償では人は救われないと思いながらも、現在も国家やチッソに補償要求することの正義性が水俣病事件の主流をなしている。では人は何によって救われるのか、いや救われなくてはならぬのか、水俣病事件の核心とは何なのか、実は私はよく分かっていない。少なくとも80年頃にイリイチのこの発言を知れば、「イリイチは事態がよく分かっていないに違いない」と思ったろうし、「何と保守的秩序に従属している発言か」と思ったに違いない。渡辺の言うように緒方の境地を目撃したからこそ、運動が立ててきた竜骨を疑うことができるんだと、緒方から10年遅れて気が付いたに過ぎない。
再来日したイリイチは「上野千鶴子氏を先頭とするフェミニストたちによって、文字通り吊るしあげられた」とある。私は地元学に出会っていらい、いわゆる村落共同体の見直しが必要ではないかと思うようになった。田舎に生れ育った私は、田舎臭いモノはすべて否定してきた。おじいちゃんが作るタクアンも、沢から竹の樋で引いた風呂水も、民主主義とはほど遠い訳の分からぬ寄り合いも、すべて否定してきた。が、それから40年たってみると、その対極にあると信じてきた高度産業化社会=都市システム−民主主義が、少なくとも日本という場所に生きる人間の生存にとって、決定的な要素が欠落しているのではないかと思う。そして村落共同体の全否定が間違いの出発にあったと思うようになった。家父長的支配を伴っていた村落共同体は、いぜんとして否定したい側面ではあるが、その側面を否定すると共に生きる仕組みだった共同体までも一緒に押し流してしまうという、ジレンマがあるのではないか? 私たちが解かなくてはならない問題は、民主主義か家父長制かと言うほど単純ではなくて、それらを乗り越えた新しい生存システムの構築が問われているように思っている。渡辺はイリイチの『h2oと水』を「彼はいまや、かつては神話的実在だった水が、h20として工業的に管理されるものになったと論じている。また、文字の出現と制度化が、ゆたかな言葉の世界をほろぼしたと語っている。概念化され制度化される以前の、土地に根ざした感性のありかたを、それこそ人間の自由を根底から保証するものとして、彼はまざまざと目に浮かべていた。つまり石牟礼道子氏と非常に近い、根元的な近代批判者として立ち現れたのである」と紹介している。まだ聞いたことはないが、地元学は保守回帰思想として批判されるのではないかと思っている。近代産業化社会が前近代文化の全否定を必要としたことからいえば、近代産業化社会の延長としての「21世紀は環境の世紀」と浮かれるのでなければ、前近代文化の中に問題解決(この発想がすでに近代パラダイムのものではあるが)のキーワードがあると考えるは自然な成り行きであろう。それを保守主義というのであれば、そう批判する根拠を近代産業化文明を越えた地点から引いて指し示してもらいたいものだ。
次回は2003年1月25日掲載予定
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| 水俣で体験学習 おばさんたちに教わってダゴ作り |