読んでためにならない
遠藤邦夫のページ



(1)私の好きな水俣の写真を張りつけます

2001水俣ハイヤ節 2000年12月2日


水俣市長野にある田の神さん



(2)日記風雑炊帳
(敬称を略した方、御了解ください)

2002年11月26日(火)
 新しく職員のページを作るコトになりました。ホームページビルダーを使って勝手に作れということなので、作ろうとするけれど、なんかあんまりうまくいかないぞ。しかしマニュアルなんかよんでやるものか! しばらくはシンプルな画面でいいじゃないか。いつもの通り強引な捌き方でいこうじゃないか。
 何を書いても良いとのお達しなので、とりあえず今回は「私の本棚」を書いてみようかなって思っています。あんまり限定すると書きにくいので何でもありってことで、気楽に読んでください。

 私の読書スタイルは、第一には時間つぶしに読むマンガや小説、第二には何故か何度も読んでいる愛読書、第三はやりたいことの参考文献やまあちょっと研究しとくかなって領域の難しめの本、てな感じです。マンガはブックオフ、時間つぶしの小説は図書館、第三はとりあえず買っておく。がしかし、買ったまま積んどく本もたくさんある。たとえば仕事場の棚には、読まれていない澁澤龍彦の『エロティシズム』塚原美村『行商人の生活』が読まれる日をまっている。そうそう棚と言えば数年前、この棚の高いほうの書籍が集中的にシロアリに喰われた。引き出そうとしても引き出せないのでおかしいなと思っていたら、なんか端の方が妙にくっついている。エイと引っ張って見ると、無惨にも本がボロボロ、シロアリがうじゃうじゃいるではないか、ギャー。むろんシロアリが本の価格を知っているわけではない。高い本はハードケースに入っていたり、表紙が堅い。その紙が好きなだけなのだ。『オリエンタリズム』は完全に消滅状態だ、これはホントに高かったのに、もう買えない、ぐすん。『においの歴史』、『医と病い』は読むことが難しいほどボロボロ、シロアリはアナール派が好きなようだ。鎌田東二さんにもらった『天河曼陀羅』もひどい状態、ごめんなさい。

 第一領域では、マンガで好きな作家は『麦青』山本おさむ、岩明均『寄生獣』『骨の音』、安彦良和『「アリオン』『ナムジ』、細野不二彦『ギャラリーフェイク』『SOS』、吉田秋生『「バナナフィッシュ』『「河よりも長くゆるやかに』、山岸涼子『日出処の天子』、山本直樹『きわめてカモシダ』『ありがとう』、一色まこと『花田少年史』、さそうあきら『神童』、美内すずえ『ガラスの仮面』等々。小説はホントに何でもありです。好きなジャンルは歴史物で、司馬遼太郎(型にはまったストーリーで怒ったり泣いたりできる)、山田風太郎『八犬伝』『明治十手架』、陳瞬臣『秘本三国志』『アヘン戦争』、塩野七生『レパントの海戦』『我が友マキャベリ』『ローマ人の物語』とくにユリウス・カエサルは図書館じゃなくて買いました。最近は浅田次郎からトム・クランシーまで何でもワニのように読む。

 第二領域では何と言っても一番読んだ回数が多いのは「資本論」かな。ホントかよ! 誰も中身を理解しているとは言ってない。『項羽と劉邦』はたぶん10回は読んだ。フレデリック・フォーサイスの『戦争の犬』、小松左京の『虚無回廊』、筒井康隆の『旅のラゴス』も同様。吉本隆明の『追悼私記』で、美空ひばりを「彼女は疲労しても、生活の心労がどんなに重なっても、修練を手放すことがなかったと推測する。これはほんとうの天才だけが演じる悲劇なのだ」と解析している。それまで美空ひばりは嫌いな人間だったが、好きと嫌いで人間評価をすることのつまらなさをここから学んだ。
(天の声:「おいおいぞ、その年まで、そんな簡単な評価軸で生きてきたのかよ」。「うるさい、40数年これでやってきたのだ」が決まり文句だった自分が、水俣に出会ってホントに大きく変わったように思う、と殊勝な気持ちもあるんだよ)
 荒俣宏の『知識人99人の死に方』もおもしろい。山本哲士『ディスクールの政治学』これは何回読んでもよく分からないような分かったような気にさせられが、難しい概念を解く時のネタ本だ。対象そのモノの分析は分からなくても、山本が展開しているロジックは使える。妙な読者でごめんなさい。新しく始めた『場所政治』は期待していますよ。

 第三領域は、名前を列記すると、網野善彦、アラン・コルバン、田中克彦、イバン・イリイチ、ピエール・ブルデュー(よく分からなかった)、ミッシェル・フーコー、吉本隆明、守田志郎、宮本常一、ノーム・チョムスキー(生成言語がどうたらこうたらの言語学は難しかったが、最近のUSA評論は分りやすい)、阿部謹也、鎌田東二、渡辺京二、内山節、山本哲士等々。難しそうな本は人を脅すときには役に立つけれど、自分が何かをしたり創ったりしなければならないときには、残念ながらあまり役立てることができない。
 ヨーロッパ中世物には一時かなり凝った。労働者が誕生した頃のパリの『聖月曜日』や、書名を忘れたけれど都市雑業と後世呼ばれる浜辺で値打ち物を拾う泥ヒバリ(?)の話や、アナール派の農村低所得層の人口調整機能などは、かなりおもしろかった。しかしヨーロッパと日本では、人間そのものが違う、気候風土が違う、よて生活文化や哲学も違う。そのままでは参考にはならないと、地元学を提唱する吉本哲郎さんにあって、ほのかに感じていた違和感の理由が分かった。で、それでは日本中世物の網野善彦や赤坂憲雄を読むようになった。最近ではマニアックな沢史成の『鬼の日本史』もおもしろいと思う。そもそも中世に凝った原因は、資本制から何に移行するのかと思った時、参考になるのは前に起こった時の事情である。だから封建制から資本制の移行を見てみたいと思ったのだ。が、関曠野に言わせれば、資本の本源的蓄積はマルクスが言うようなものではなく、新大陸から強奪した金銀財宝がそれに当たるとの指摘は説得力があった。
 本棚を見るとその人が分かると言うけれど、私の本棚は以上のような本が並んでいる。想像するに、この人は田舎の生れで、都市コンプレックスを持ち都市にあこがれて出郷した。時代の波に翻弄されて新左翼となり、その後悪口を言ってたとは言え括弧付き社会主義のソ連や中国が崩壊するにつけ、政治革命の展望を失い、農本主義はちょっとまずいので、社会変革の路線を地域=場所と生活文化に求めるようになったってとこかな。なんだか知らないけれど国が嫌い。もちろん昔取った杵柄ってやつで、中央集権と官僚制を蛇蝎のように嫌っている。しかし毛沢東の良い戦争と悪い戦争には疑問があったが、今なお『毛沢東軍事論文選』を隠し持っている。支持する国会政党はなし。国で言えばアメリカ合衆国が嫌い、とは言いながら反米愛国なんて気持ちにはなれない。トム・クランシーの『合衆国崩壊』を読みながら、大統領ジャック・ライアンがんばれと思う私って、誰なのでしょう。

 読んで分かる通り、私は何でも読む。そしておもしろいことに読んだ内容はあまり覚えていない。でも大事なキーワードだけはかろうじて覚えていて、何かの機会にはそれで「あそこにあったなあ」とたぐっていく。たとえばマンガでも哲学書でもけっして精読はしないから、何度読んでも新しく読めるのだ。これって自慢?

 学生だった頃は吉本隆明と言えば、教祖のような存在でたくさん読んだものだった。その後ちょっと遠ざかっていたのだけれど、コムデ・ギャルソンのモデルになったり、『反核異論』の評判だけ聞いて、「何だ隆明も右翼になってしまったのか」と勝手に思っていた。確かに反核っておかしな運動だなって思ってはいたけれど、ソ連がリードしているなんてスパイ物の読み過ぎじゃないかとも感じた。95年に出版された『わが「転向」』を20世紀が終わる頃に買って読んだ。なんだ隆明はちっとも変わっていないじゃないかと思った。しかし「社会システムが死ぬ日」なんて、まるで緒方正人じゃないか。94年にごんずい21号に「私たちは今どこにいるのか」で「システムの中の水俣病」「意味ある世界への帰還」を緒方正人さんに書いてもらったが、実はその時は大筋ではそうだなとは思いながらも若干の違和感があった。何が違和感だったかというと、チッソ・国家を虚の世界、生活文化を実の世界と位置づけていることは腑に落ちたが、問題は魂が意味ある実の世界へ還るという点が腑に落ちなかった。理解・認識する構造の中では緒方さんの言っていることは受け入れられるのだが、身体の腑には落ちていかなかった。何故そうだったかは、私自身が故郷を捨て都市へ出て行った精神構造をよく分かっていなかったからだと思う。しかし都市では身体は浮遊状態で、やっぱり田舎者DNAが都市を拒んでいたように思う。水俣に来て山の神や杉本栄子さんや風土と暮らしにこだわる吉本哲郎さんに出会って、なんだこんなふうに暮したり考えたりして良いんだと教えられたような気がする。もちろん今でも魂についてはよく分からない。魂消た(たまげた)という表現があるのならば、魂が入る・魂が現れるという表現もあるのではないか。

 毎週追加とは行かないのでせめて月1回くらいは更新していきたいと思っています。乞う、ご期待。次回は好きな書評の書評をしてみようかな。ところでいしいひさいち『漂流する現代思想』っておもしろそうですが、どうなのだろう? 
 どうぞ遠藤まで感想・要望をお寄せください。endo-k@mx71.tiki.ne.jp 


水俣市薄原の棚田