日記風雑炊帳 その3

1月25日

 NHK「PROJECT X」を何回か見た。私が好きな中島みゆきの「地上の星」がテーマ曲ということもあるが、何故か気を引かれる番組だ。今年に放映されたのは、20万トンの出光丸やペルー公使館占拠をテーマとしていた。以前には紅白歌合戦で中島みゆきがうたった場所=くろよんダムもあったようだ。共通しているのは、モノ作りの現場で男たちが智恵と友情を武器に、不屈の精神を発揮する物語りである。

 「1971年8月、ニクソン大統領は米国で猛威を振るうインフレを抑制するため、『新経済政策』を発表した。ここからとんでもない『現代史』がスタートするのだが、その中に『金とドルの交換停止』が含まれていた。これが世にいう『ブレトンウッズ体制の崩壊』であった」 (アジア国際通信HPより。昔は訳も分からずブレトンウッズ体制打倒などと叫んでいたような気もするが・・・。それをニクソンがやったとはなんたること、今知った)これ以降、経済の本流はモノ作り=実業から金融=虚業の世界へと大転換した。資本主義も牧歌的だった時代は、株価はその企業の実績によって変動していたが、現在ではすべての株式は投機の対象に過ぎず、世界の金融市場をうろつく妖怪=フローマネーが経済を左右している。もううろ覚えとなってしまったマルクスの『共産党宣言』の出だしは、妖怪がヨーロッパを徘徊している共産主義の妖怪が、だったような気がする。なんたる皮肉か、国籍を持たない多国籍企業に蹂躙されるにとどまらず、さらにそれを形而上化させたフローマネーに弄ばれているなんて、なんか腹が立つ。

 その上だよ、バブル崩壊まではでかい顔をしていた(いや今でもそうだが)銀行が、自分の経営の失敗の口を拭って、「銀行の倒産は経済不安をもたらす」ななどと戯言を述べて、税金を私企業につぎ込ませている。その先駆けとなったチッソなんか、けっこう世間に気を遣っているんじゃないか(そうでもないところもあるけど)、銀行も責任者たる経営陣の生首をさらしてみろよ。ちゃんと資本主義の原則を守れってんだよ。だいたいこれじゃあ銀行の国有化じゃないか! ちったあ国際市場に対応できる行動をしてみろってんだ。訳の分からん合併なんかして、大きくなれば大丈夫なんてさもしい根性が薄汚い。銀行なんてじゃんじゃん倒産すれば良いんだよ。実際モノ作りの零細企業はじゃんじゃん倒産しているじゃないか。いざというときにカネを貸してくれない銀行なんて役に立たない。役に立つ銀行を作ろう! いや今回のテーマは、銀行の悪口じゃあなかったが、思わず激昂してしまった。戻ろう。

 で、なんで今頃NHKがこんな番組を作る気になったのか興味がある。田舎を捨て、一次産業を馬鹿にし、村社会を憎み、家族解体を叫んでいた経歴を持つ私は、なんかだまされたような気がする。だまされる奴の特徴は、だましに呼応する心根をもっていることだ。「米を食うと馬鹿になる」なんて誰が広めたのか知らないけれど、それで家のおふくろはパンをいそいそと買い込んでみたり、「味の素は振れば振るほど頭が良くなる」なんていったい何のこっちゃ。なんでこんなだましにうかうかと乗ってしまったのか? まあそれはアメリカコンプレックスの裏返しだったんだけど、そこに黒部川第四発電所通称くろよんダムが建設されるんだよ。石原裕次郎が出演する『黒部の太陽』という映画までできるわ、トンネルを両側から掘って出会うシーンなんか、男たちが抱き合って喜ぶんだよ。暑苦しいどころではなく、今の日常感覚からすればこらもう異常行動だよね。でも私も子どもの頃、岡山県の水島が工業地帯(工場群じゃなくて地帯なんだよ)になった時には、「うんこれで岡山県も工業県の仲間入りをした」と密かに満足したのは事実なのだ。だから中国の三峡ダムの現場周辺の中国人たちが「よろこばしいことだ」と語っていることはよく理解ができる。政府に言わされているんじゃないところがミソなんだな。国の宣伝・扇動の成果と言えばそうなのだが、ほんの40年前の日本でもそうだったと言っておこう。

 「PROJECT X」は夢よもう一度と言いたいわけではないだろう。私の見るところでは、番組に出てくる感動は並大抵のものじゃないけど、人間は誰でもこうした感動なしにはうまく生きていけないのじゃないかな? なんてね。問題は人間は非日常や非常時には分かり合えるし・分けられ合えるけれど、日常の中ではそうできる根拠をなくしてしまっていることだろう。つまり受け皿としての共同体もしくはコミュニティーもしくは友愛を、この40年間で殲滅してしまった。その代わりに豊かで便利で簡単な生活様式を手に入れた。コンビニエンス・ストアーはその象徴であろう、などどうそぶくワ・タ・シ。

2月13日

川部がページを作っているではないか! 私のよりおもしろいような気がするのか、気のせいかなあ。ほんとは毎月25日くらいに更新すると言っておきながら、3回目にしてできなくなった。誰か出ることを期待してくれている人ひとがいるのかどうか分からないけど、ごめんなさい。

今回はもう一つ、インパール作戦を戦争指導の観点から批判する予定だったけれど、次回に回す。通常戦争批判は、戦争を行うことはダメだという観点からのものが多いようだが、そうすると戦争における戦術批判は無意味なモノになってしまう。戦争そのものがナンセンスなものだから、その戦術批判なんて意味がないというのであろう。しかし、私は総論賛成各論反対があまり好きではないので、戦争批判は戦略批判から戦術批判まで展開しなければ、各論賛成総論反対になってしまう余地を残すべきではないだろうと思う(何を言っているのか本人もよく分かっていない)。で、インパール作戦の戦術的批判を構想中なのだ。乞うご期待!