12月10日湖南市、11日守山市、13日京都市で職員が水俣病を伝えます

・12月10日(金)15時 ~ 湖南市甲西文化ホールにて参加無料

・12月11日(土)18時半~守山市立図書館にて(詳細は下記)

・12月13日(月)18時半~京都商工会議所にて(詳細は下記)

【2021年度企業・事業所向け人権研修会「みな、やっとの思いで坂をのぼる~水俣病患者相談のいま」】

12月10日(金)15時~湖南市にて、講演します。市の担当の尾藤さんが今回の講演名と同じ名の書籍を読んで、お招きくださいました。本が出会いのきっかけであることと、尾藤さんがタイトルを気に入ってくれたことから、講演名が決まりました。湖南市は福祉のまち。「びわ湖学園」は知っていましたが、尾藤さんから連絡をいただいて改めて、知りたいと思っています。そして尾藤さんが作ってくれたチラシが素敵すぎる。

「病気や障がいを 持っていようがいまいが、誰もが対等で、分けられず排除されず、安心して迷惑をかけあいながら生きていける社会が私の理想です。患者の人たちが安心して医療行為を受けたり暮らせたりすることを求め、少しでも水俣病について理解が深まるようにと水俣や日本中で説明会を行なってきました」という「みな、坂」の一文を引用して作ってくれて、呼んでくださった意思が伝わります。

FAX、mailにて【氏名、住所、電話、手話希望の有無】を書いて以下へ申し込みください。

FAX:0748-72-4820(電話:0748-71-2332)Email:shoukan@city.shiga-konan.lg.jp

ちなみに会場は草津線「甲西駅」で下車、徒歩8分とのこと。


【守山市立図書館にて「水俣から琵琶湖へ」講演会】

12月11日(土)18時半〜滋賀県守山市にて講演します。講演名と同じ書籍との出会いは、相思社会員の福山敬之さんから。水俣病の原因企業チッソの工場や、チッソが母体の旭化成の工場があって、水俣の人たちも多く暮らす、遠くて近い守山。書籍「水俣から琵琶湖へ」で描かれたチッソ守山工場の元労働者、細谷卓爾さんにお会いします(元チッソ守山工場第一組合委員長で、私は水俣の岡本、守山の細谷と勝手に呼ばせていただいております)。

水俣病事件の空白の9年。水俣では1962年4月から63年1月、チッソの労働争議「安定賃金闘争」が起きました。会社側は、三ヶ月後に以前から準備を進めてきた、係長、主任、学卒者を中心にした第二組合を立ち上げさせました。第一組合と会社側、第二組合との衝突事件が発生し、地域社会は大きな動揺を経験します。 組合分裂により採用者はすべて新しい組合に入り、第一組合に残ったのは、「恥宣言」を起草した岡本達明(1970~78年委員長)という東大卒の組合員は例外として、地元出身の中卒中心で係長や課長に昇進することがない労働者が中心でした。一方の新しい組合には、高卒者を中心の係長や課長へと昇進する層に分かれていきます。同じ境遇の労働者集団であり、このメンバーで長期の争議をともに経験していったことが連帯の基盤となりました。この争議に深く関わった人が、当時チッソ守山工場で組合の委員長をしていたのが細谷卓爾さんでした。

細谷さんは1958年にチッソに入社し、翌年の春闘前の交渉で、患者が座り込みをしていることを知ります。その後、争議によって岡本達明さんは、福岡へ東京へと飛ばされるのですが、水俣の労働者とともに岡本さんを水俣に連れ戻したのが細谷さんでした。細谷さんがいなければ、「恥宣言」はなかったのだと思います。

※恥宣言とは=1968年8月30日の組合大会でチッソ第一組合労働者が、水俣病について「斗いとは何かを身体で知った私たちが、今まで水俣病と斗い得なかったことは、正に人間として、労働者として恥ずかしいことであり、心から反省しなければならない」として出された宣言。最後に全文を掲載します。胸打たれること間違いなし。かは分かりませんが、私は強く強く打たれました。宣言は私以上に多くの患者の胸に響いたことでしょう。

岡本さんを水俣へ連れ戻した細谷さんを描いた書籍「水俣から琵琶湖へ」(関根英爾著、サンライズ出版刊行)を読み、水俣の安定賃金闘争や三池の炭塵爆発事故、石けん運動や生協活動での細谷さんの行動力に頭が下がるとともに、その活動の延長上におられるであろう、多くの労働者や守山に移住していった不知火海周辺の出身者の存在に思いを馳せています。

今回の企画に共催してくださったNPO 碧いびわ湖、サンライズ出版、ころからの存在を、そして福山敬之さんの存在を、とてもうれしく思います。

お申し込みはmail:office@korocolor.com FAX:03-5939-7951 にて、氏名、住所、電話を添えてどうぞ。

守山駅からは、「守山高校行き」バスで「守山高校前」で降りて徒歩9分とのこと。

【12月13日(月)18時半〜京都人権文化講座「水俣と水俣病〜揺らぎと葛藤を伝える」】

講演のタイトルの「水俣と水俣病」は、担当の方との語らいの中で、チッソが水俣にやってくる前の水俣の歴史や漁民の暮らしを話したい!と思ったこと。長い歴史を持ち、今も原因企業と被害者がともにある水俣のまちで、複雑な構造や関係を抱きながら暮らす人たちに助けられながら、そのなかで日々感じている悩みや葛藤や喜びを話します。さまざまな出来事に揺らぎながらもここにある、そのありのままを。

当日券があるそうですので、申し込みしなくても大丈夫。平日の夕方でお忙しい事と思いますが、どこから参加しても面白いようにがんばります!途中からでも聞いてもらえたらうれしいです。

交通の便もよく、地下鉄烏丸線「四条駅」、または、阪急京都線「烏丸駅」26番出口直結とのこと。

※改めまして、【恥宣言】全文。原文のママ掲載します。

「水俣病は何十人の人間を殺し、何十人の人間を生きながらの不具者にし、何十人のみどり児を生れながらの片輪にした。水俣病の原因がチッソの工場排水にあることは、当時からいわれており、今日では市民はもちろん、日本中の常識になっている。

 その水俣病に対して私たちは何を斗ってきたか?私たちは何も斗い得なかった。 安賃斗争から今日まで六年有余、私たちは労働者に対する会社の攻撃には不屈の斗いをくんできた。 その経験は、斗いとは企業内だけで成立しないこと、全国の労働者と共にあり、市民と共にあること、同時に斗いとは自らの肩で支えるものであることを教えた。

 その私たちがなぜ水俣病と斗いえなかったのか?斗いとは何かを身体で知った私たちが、今まで水俣病と斗い得なかったことは、正に人間として、労働者として恥ずかしいことであり、心から反省しなければならない。

 会社の労働者に対する仕打ちは、水俣病に対する仕うちそのものであり、水俣病に対する斗いは同時に私たちの斗いなのである。 会社は今日に至ってもなお水俣病の原因が工場排水にあることを認めず、また一切の資料を隠している。私たちは会社に水俣病の責任を認めさせるため全力をあげ、また、今日なお苦しみのどん底にある水俣病の被害者の人たちを支援し、水俣病と斗うことを決議する」

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