さっき、むかし茶(新茶)が届き、飲みました。素朴でスッキリとしていて、懐かしい味わいが今年も健在で、すごくいい感じです。
遺伝子が違う、個性豊かな種から生ったお茶の葉を、春の雨の中を作業をしてくださり、美味しいお茶を届けてくださった松本さんに深く感謝。今や国内で数%になった在来のお茶。今年もぜひ、お求めください。 https://www.soshisha.org/jp/shop/product-category/tea
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むかし茶は、水俣病の時代を生き抜いてくれたサバイバーです。 私の集落の人たちは、昔から、山の人たちと助け合って暮らしてきました。水俣病のさなかでも、魚を持って歩いて歩いて山の人たちに会いに行きました。山では常連さんが待っていてくれて、昼食を食べさせてくれたり、遅くなると泊めてくれるお家もありました。
山の人たちは私の集落の人々が持ってあがった魚と、米やお茶や、その時にとれた作物を交換してくれました。そうして助け合って暮らした時代。魚を食べた海の人も、山の人も、みんなみんな、水俣病になっていきます。
水俣病のことがマスコミで大きく報道されるようになると、水俣の魚は売れなくなりました。魚屋の看板には「水俣産ではありません」という文字が踊るようになりました。汚染された魚は水俣産のものに限りません。だけれども、名前の影響は大きく、「水俣産」の魚も、そして汚染されていない野菜もお茶も売れなくなりました。水俣のお茶は、八女に持っていかれて「八女産」として売られたりしました。
松本さんのひいおじいちゃんは、1927年、水俣ではじめて大規模な在来種のお茶栽培をはじめました。水俣病が報道されるころ、「やぶきた」という在来種より生産性が高く、緑が強い、新しいお茶が、全国に急激に普及しました。今では普及率は9割を超えて、日本のお茶の味は統一されました。地域ごとの個性が失われていくなかで、水俣では、在来種のお茶の木を植え替える資金がなく、在来のお茶が残りました。松本さんの茶畑も同じです。よく、水俣で作ったお茶を水俣産だと言って売れないつらい時代を、松本さんのご家族は、よくぞ乗り切られたと思います。
松本さんは、学校では農薬や薬を撒くことを教わったけれど、薬をふっても虫の被害がなくならない!という単純な疑問、それに環境や人への影響、それに自身の負担を考えて、無農薬へ挑戦しました。1990年のことですから、今から32年前です。
松本さんと初めて出会った15年前、松本さんは、無農薬だけではなく、無肥料にも挑戦していました。お茶の成長を信じて待つ姿や、お茶そのものの力を活かすことへのひたむきさ、お茶の物語を大切にする姿に、静かな強さを感じました。
何よりも、松本さんと出会って、山の人との距離がぐっと縮まりました。このお茶を、私らの集落の人たちも飲んでいたんだろうな、と思いながら。一緒に茶畑を歩き、物語を聞き、家に帰ってお茶を飲んでいたら、ふとそのお茶が、水俣病を生き延びたあのたくましい患者さんに思えてきました。お茶への、尊敬と憧れの念が湧きました。 あれ以来、毎年この時期にむかし茶が届くと、今年も生きていてくれた、とほっとします。むかし茶が農薬にまみれることなく、ずっとこのまま幸せに、長生きしてほしいと思います。 むかし茶が、生きてきた時代までもを味わいながら、楽しみたいと思います。 このたくましさ、水俣産、桜野園産、自信をもって届けます。
※在来のお茶の特徴は、実から生ったそれぞれの木の遺伝子が違うこと。病害虫やトラブルに強いこと、生産性は低いけれど、深根性で干ばつに強いこと。生命力に優れていて、寿命が長いこと。さまざまな個性をもった茶葉が自然と混ざり合う天然ブレンド茶葉です。