終了いたしました。多くのご参加、ありがとうございました。
日時:11月27日(日曜日)10時半〜12時
会場:本屋と活版印刷所の屋根裏
オンライン参加:1,000円 ※オンライン配信ご希望の方は申し込み後、振込口座と配信URLをお送りいたします。
会場参加:15名ほど 1,500円(飲み物つき) 要予約
申込み:メール yaneuraaoiheya@gmail.com 電話 070-4699-9628(本屋と活版印刷所の屋根裏 森本)
主催:天草での水俣病お話会
生の声をお聞きすることの出来る貴重な機会、ぜひ一緒に耳を傾けていただきたいです。
今回は水俣市の対岸にある、離島天草市御所浦から、「水俣病患者連合」の方にお話を伺います。
そして水俣病センター相思社で、2008年から水俣病患者支援、「伝える」活動を続けておられる永野三智さんにもサポートしていただきます。
御所浦は水俣市の対岸にありながら長く目を向けられなかった地域です。
1956年にチッソ付属病院が原因不明の病気を保健所へ届け出(公式確認)、
1968年、チッソがアセトアルデヒド製造を停止。政府が水俣病を公害認定するまでのあいだ、1960年から1962年まで、熊本県衛生研究所では不知火海沿岸島民の毛髪を集め、その水銀値が調査されました。
御所浦でも高い水銀値が記録されましたが、1971年に注目されるまでこの結果は行政により秘匿されていました。
その後1972年に初めて水俣病患者が認定され、 1978年までに512名の認定申請者が出た歴史があります。
2000年代には、3,400名のうち、3,000名近くの人たちが水俣病の被害者と認められました。
今回は当時の御所浦の生活、水俣病患者連合での運動、現在の活動についてお話を伺います。
1930年代に離島の御所浦で生まれ、一度も島を離れなかった、松田さんのお話。記憶力が抜群で、年表や数字や人の名前に強い。いつも誰かの隣に控え、「その瞬間」を間違いなく見定めてサポートをする松田さん。たくさんの時間をともにしても、気配り上手な松田さんから聴こえる話はごくわずか。そんな松田さんのお話を、初めてきちんとうかがいます。小学校時代のイワシとからいもと麦の思い出や、御所浦に3つもあった映画館、青年期に入って経験した夜這、漁師になってやがて起きた水俣病、島の水俣病闘争を、語ってもらえるしこで、語ってもらいます。(しこ=「だけ」の意味。できたしこ=できた分でいい)