12月18日(日)、宮崎県延岡市の野口遵記念館がリニューアルオープンするというので大雪の高千穂を越えて行ってきました。
(野口遵(したがう)1873-1944は、チッソの創業者)
この記念館は元々1955年に、旭化成30周年・延岡市市制20周年を記念して「野口記念館」として造られました。水俣病が公式確認される前年のことですね。
老朽化したため2019年に建て替え工事を始め、このたびのリニューアルオープンとなったものです。
当日10時からの式典は関係者のみ。第9の演奏まであったようですが、13時から一般開放となりましたので忍び込んできました。
基本はコンサートホール。3階まで客席(3階は桟敷)があり675人収容の立派なものです。テラスが各階にあったり、楽屋もガラス張りで明るく、中規模ホールとしては理想的でした。
ただ私の目当ては、【野口遵顕彰ギャラリー】でした。
展示室には、野口が愛用した碁盤から新聞記事、日窒肥料時代の株券、それと朝鮮での水力発電など偉業を称える説明が、ガラスケースに展示してありました。
それに沿って12枚のパネルが、「野口遵の人生から行動力の大切さに気づく」お題で、野口の年齢順にエピソードと、キャッチワードが紹介されていました。順番に、
1.自分に正直に
2.人と同じことはしない
3.人生の目標を決める
4.なりふりかまわず
5.厳しさとやさしさ
6.くやしさをバネに
7.チャンスを逃さない
8.延岡とともに進む
9.理想を追い求める
10.誰も思いつかない
11.世界の明日のために
12.本気だからこその厳しさと優しさ
解説文すべてにふりがなが振られており、絵の感じからも対象年齢は低めです。
こどもに分かりやすく理想化されており、延岡のこどもたちは野口を理想とせよ、と言うような展示でした。
それにしても有名な「朝鮮人は牛馬と思え」がないのは遺憾でした。
八代の愛人と隠し子の話もありませんし、子供時代はいじめしまくりの問題児であったことも有名です。
瞬間湯沸かし器のような恫喝ワンマン男ぶりも「本気だからこその厳しさと優しさ」となるのですね。。。
朝鮮の奨学金に500万円寄付したという話がここでも美談にされていましたが、それは寄付金を任せられた朝鮮総督府の南次郎が野口に逆提案したことです。
「食べることの心配がなくなれば、戦争なんてしなくてすむ」とも語ったそうですが、野口のビジネスは戦争で食いつないできたものでした。条件は逆です。
そしてなにより、ここの展示には水俣工場が一切出てきません。
「熊本の水俣に日本カーバイド商会を作ったころ、」という一文のみで水俣はスルーです。
水俣に工場があったことすら書いてありません。
一方熊本県八代にあった鏡工場はイラストと説明文付きで紹介されています。(鏡は地名)
水俣病と野口とを切り離したい意図がみえみえでした。
水俣より規模の大きい旭化成城下町、延岡(人口11.5万人)。
野口を礼賛したい気持ちはわからないでもないですが、戦争、朝鮮での蛮行、そして水俣病の記憶がまたひとつきれいに塗り固められてしまったような気がいたしました。(葛西伸夫)