水俣港から水俣湾対岸の漁村地域を眺望。鉄橋の奥が坪谷漁村。尖っている山は矢筈岳。
原発はいりません。の意思表示に…
1960~70年代に患者たちが自らの被害を訴え、公害列島日本を行脚する際に持ち歩いた「怨の旗」の前で。
3.11が起き、ある患者の方は言いました。自分たちの苦しみは、何にもならなかったのか。
相思社ができて40年、患者の方の思いとともに「二度と繰り返さないで」と伝え続けたことが起きました。
もう原発はいりません。さよなら原発。
相思社 若手一同
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