不知火海の漁師と福島の子どもたち

今日やってきたおじさんは、お父さんの代(明治)から不知火海で漁をして生きてきた生粋の漁師だ。

工場排水が海を汚染していることを知った昭和30年代、排水を止めてほしいとチッソに乗り込んだ。何人もの友人が動員された警官隊に逮捕された。思いは届かなかった。

「なんであれで水銀が止まらんだったとかな」というおじさんの疑問に、水俣病事件の解説をする。

最近、同僚の葛西さんが「今の自分達の状況は昭和30年代の水俣と同じ」と言った。

そう思う。私たちは今、水俣病事件を振り返り「なぜあの時に排水を止められなかったのか」と言う。「なぜあの漁民たちの、患者の声に耳を傾けられなかったのか」と。

おじさんの声を聞かなかった愚かな人間たちは、いまの私たち。

私たちの子孫は50年後、「なぜあの時に原発を止めなかったのか」と言うだろう。「なぜあの人たちの声を聞かなかったのか」と。

おじさんは、長年原因不明の、見た目にも分かるような症状で苦しんできた。「病院代がバカにならんとですよ。しょんなか、しょんなかっち誤魔化しながらですね~」と笑う。

おじさんは今回の特措法の診断で「症状がない」とされ、補償の対象にはならなかった。おじさんは「山の人が水俣病になって、なんでオレが…」とつぶやく。当時不知火海周辺に住んで魚を食べた人は海の人も山の人も水俣病だよ。もちろんおじさんも。

「これだけ魚ば食ったおれが」と言うおじさん。理不尽さに泣きそうだ。

「だから排水ば止めろち言ったがね」、そう言われているような気がして。

それが、だから原発ば止めろち言ったがねに聞こえて。
矛盾だらけの思いの中で、明日は福島県相馬市の高校生に水俣病の案内をする。

いま私が知った水俣病事件を精一杯に、伝えたい。


写真は私の大好きな茂道漁村の海。

カテゴリー: 活動のきろく パーマリンク

8 Responses to 不知火海の漁師と福島の子どもたち