今日は水俣病犠牲者慰霊祭がありました。
水俣では同日同時刻に患者主催と行政主催、二つの慰霊の儀が行われます。
私も溝口先生も、毎年患者主催の慰霊祭に参加をしています。
記者から「認定を受けたお母さんのお名前を水俣市の慰霊碑の名簿に入れるお考えはありますか」と問われた先生。
「母の名前を入れる気はありません。これまでの県や国の対応を受け、あのような人たちにお参りをしてもらいたいとは思っとりません。これまで何十年苦しめられましたか?どれだけの人が今も、苦しんでいますか?」と逆に問うていました。
そして問われた石原大臣は、溝口先生の「会って謝罪を」とのお願いには答えず、慰霊式後の記者会見の場で「ご心労がいかばかりかと思ったとき、胸を痛めています」という天皇のようなコメントをしていました。当事者という意識はなくて。対話もなくて。
そして「初めて水俣に足を運び、現地の様子がよく分かった。このような悲惨なことを二度と繰り返してはならないと思った」とも…もう繰り返しとるがな。
原発事故の数十年後も、行政は同じように被害者に、「ご心労如何ばかりか」なんて言うのでしょう。
ここで学ばなきゃ、先生と同じように苦しむ人をまた生み出すことになる。
先生が人生をかけて訴えたことを、他人事じゃなく、受け止めたいと思います。
写真は記者会見を受ける溝口先生。
※行政主催の慰霊式は水俣湾埋め立て地にある慰霊碑の前で1992年から行われています。毎年、市長はじめ、県知事、環境大臣、行政職員、県及び市議会議員、患者団体、市民、小中高校生などが参加します。
慰霊碑には、認定患者のみの名前が入った名簿が納められています。私の計算では、認定患者は全体の患者の数のわずか1%です。ここに、認定は受けていないけれど水俣病で亡くなった患者の名前を入れてほしいという遺族の声は今もあります。システムによって患者を分ける行為に疑問を感じます。ここにお客さんを案内するときは必ず、「認定・未認定に関わらず、そして生きとし生ける失われたすべての命と、私たちが今立っている、かつての海に祈ってほしい」と伝えています。
※患者主催の慰霊祭は胎児性水俣病患者の上村智子さん(ユージンスミスの入浴をする母子の写真の方です)が亡くなられた1977年、彼女を悼んで作られた塚の前で行われます。読経のあとの長い茶話会が魅力です。昨年まで毎年参加していた原田正純先生の顔が見えないのが、今日、無性に寂しかったです。
写真は取材を受ける溝口先生