今日は溝口先生たちと毎年恒例のそうめん流しへ行きました♪
最初の頃は溝口先生と私と娘の三人でしたが、四年後からは息子さんが加わり、翌年は同僚の葛西さんが加わり、そして今年は私の地元のママ友と子ども達が加わり。
そんな感じで地元に少しずつ先生の理解者が増えていくといいなぁ♪
その後、無農薬のみかんを手土産に、先生の古いお友達の家を巡りました。
先生は60年以上農業に従事してきましたが、昔は兼業で林業もやってました。古い記憶を辿り、道に迷いながらたどり着いた鹿児島県伊佐市の山奥の村のおばあちゃんは老人施設に入居していて会えませんでした。
水俣市大川では、下宿先だったお宅と、近くのお店で会いたかった人に会えました。当時中学生だったおばあちゃんから、「溝口さんは昔から本をよく読む人で、色んなことを教わったのよ」と聞きました。
最後に吉井正澄元市長のお家へ。同じ農業者としての苦労や合鴨農法について話をしました。
長年気になっていた人たちに、裁判が終わってやっと会いに来ることができました。
みんなから、「おめでとうおめでとう」と言われて笑顔になる先生を見て、嬉しくなりました。会いたい人に会える幸せ。
地元で裁判を始めることは勇気や気力がいることで、袋という小さい集落で声をあげることはさらに難しい。溝口先生も最初は匿名で裁判をしていたけど、関西 訴訟判決に影響を受けていざ名前を出したときに差別や村八分という状態に陥ってしまったと聞いて、先生の生活を普通の状態というか元の状態に戻したい、関 係を構築させることがやりたいと思っていました。幸せを感じるとか救済って、回復ということにも繋がるのかなと思って。
そして補償や救済を受けたからといって終わりではありません。そのあとも人生はずっと続いていく。これからも先生の生活や人生と繋がっていきたいと思います。
撮影は同僚の葛西さん