先日、裁判勝訴の報告を兼ねて溝口先生と、石牟礼道子さんに会いに行きました(*^^*)
裁判が終わってもマスコミ対応やなんやかんやで消耗し、そうこうしている内に猛暑でなかなか遠出できないでいましたが、ようやく涼しくなっての訪問です。 今回は、息子さんの知宏さんも一緒。先生も石牟礼さんも旧友に再会して大喜び。 私は先日鼎談をさせてもらった円ちゃんとも再会できました(*^^*)
先生は耳が遠く通訳がいるので、私は隣で石牟礼さんの言ったことをもう一度耳元で繰り返します。相手と意思の疎通を図るために、自然とゆっくりと時が過ぎていく、私はこの相思う空間が大好きです。
石牟礼さんの「裁判、本当に、本当に良かったですね」という言葉を耳元で復唱しながら、最高裁で同じように「勝ったよ!」と伝えた瞬間を思い出し、声が震えてしまいました。
水俣病第一次訴訟にも深く関わられた石牟礼さん、その闘いの大変さを身にしみて分かっておられるのでしょう。「勝訴して、地域の人の反応は変わりましたか?」という質問に、「あんまり、会わんですもんね」という先生の言葉が少し寂しかったです。
溝口先生、石牟礼さん、知宏さん。それぞれにユニークな特徴をもった人が集まってそれはそれは愉快な歓談でした。真面目な話に時々入るバカ話に大笑い。これだけで対談集ができそう。
溝口先生は、私たち地元の子どもだけじゃなく、胎児性水俣病患者のみんなにも書を教えてました。彼らの書く書の線の美しさや障がいのない人にはおよそ真似 できない発想の素晴らしさを興奮気味に語りました。ご自身の裁判が勝訴したことで、今裁判をしている第二世代訴訟の人たちに対して良い影響があればいいけ れど、今のところ逆効果だということを心配しておられました。
知宏さんは、ご自身が今自宅で行っている新聞の切り抜きについて語りました。彼はいま、水俣病の記事だけではなく原発やハンセン病に関しての記事の切り抜きもしています。
私は水俣病の現状を話しました。書いた文章も読んでいただき、それに呼応した文章を石牟礼さんが書いてくださることになりました。石牟礼さんはどの話もふんふんと頷きながら、時折自分の見てきたことを話してくれました。
帰り際の二人の会話が今回もステキでした。「道子ちゃん、私はあんたば疲れさせたな、悪かったな」「いいえ楽しかったです、でも溝口さんも疲れなったでしょう?」「いえいえ、まだ若かですけん」。この前も最後はこの会話でした。
86才(石牟礼さん)と81才(先生)の二人です。
そして先生は、看護師さんに「道子ちゃんば頼みます」「大切な人ですけん」と言い残し。会いたかった人に会えて、この満面の笑み。先生が幸せを感じたことが幸せでした。これからも小さな幸せを共に積み重ねていきます。