さらばカリガリの日々

水俣病被害者の支援活動の拠点(アジト?)だった熊本市の「喫茶カリガリ」が3月末で閉店します。1971年10月の開店から42年半親しまれたお店です。
店主だった故松浦豊敏さんは、熊本県宇城市のご出身。製糖業界の全国組織の労働組合幹部として東京を拠点に全国で運動指導をしておられました。というほど私は知らないのですが、個人の証言や新聞社や本の受け売りで。

1969年、水俣病被害者を支援するグループ「水俣病を告発する会」に参加した松浦さんは、労働運動から水俣病問題へと活動の主軸を移すため、熊本市に生活の拠点を置く決心をされたそうです。

栃木県出身で、松浦さんを支えようと一緒に熊本に来た妻の磯あけみさんは当時23歳だったそうです。喫茶店経営で生計を立て、その店を支援活動の拠点(アジト?)とする構想。73年には松浦さんと作家の石牟礼道子さん、渡辺京二さんらが編集する同人誌の季刊「暗河(くらごう)」がこの店で生まれ、店内は、水俣病被害者支援の活動と、同人誌の編集作業が交差したそうです。
私がカリガリに通うようになったのは、松浦さんが昨年亡くなられてからのことです。磯さんは、相思社職員や母としての悩みを持つ私をいつも励まし「いつでも連絡してね」と言ってくれました。その言葉が嬉しくて「いいことがあったら連絡しますね」と言うと首を振り、「いいことがあったらでもいいけどね、失敗したり哀しいことがあっても、連絡してね。いつでも、ここへいらっしゃいね。」と言ってくれて。その言葉が嬉しくて、また、(どんな状態でも)行ってしまう(笑)

カリガリのパーティーには、210人の方々がいらっしゃっていました。皆さんがカリガリの思い出話をするのには、本当に目を細めたり、笑ったり、少年少女時代を振り返るようにお話をされます。中には涙目になられる方もおられて。こんなに沢山の方に愛されたカリガリ。ぜひまた別の場所で、カリガリをやってもらいたいです。

そして二次会はカリガリでありましたが、終電に間に合わないと思い、20分ほど顔を出して退席しました。カリガリに行くのはいつも昼です。私は18才で娘を産んだので、酒の場には縁がなく大人になりました。普段は飲みませんが、今夜のカリガリは、文化人的な方が勢揃いで更に大人な雰囲気で、その議論に少しでも頭を突っ込んでみたいと後ろ髪を引かれつつ、ちゃんと帰って来ました(笑)。あぁ、やっぱり居たかった。閉店前に、もう一度行こう。今度は夜の、カリガリに!

私は磯さんみたいな人になりたいと思います。相思社をカリガリみたいに、どんな人でも受け入れる、拠り所にしていきたい。社会を変えるためのアジトでもいいな。

カリガリはなくなるけど、その意思を、私は引き継いでいきます。私が出会ったのはその最後の最後だったけれど、カリガリのその時を、一緒に過ごせて良かった。本当に、ありがとう、カリガリ、そして磯さん、そして松浦さん。

カテゴリー: 活動のきろく パーマリンク

2 Responses to さらばカリガリの日々