今日は丸山定巳さんの命日です。
社会学の観点から水俣病患者支援に尽力し、亡くなられる直前まで水俣病を、相思社を思ってくださった理事の丸山定巳(まるやま・さだみ)さんが昨年12月27日早朝に亡くなられました。74歳でした。
その日、私は朝から丸山定巳さんの見舞いに行く予定でした。亡くなられたことを聞いた後、先生の病院に行き、そして関係の深かった方とお会いしました。皆さんから丸山定巳さん の歴史を聞き、改めて人間としての深さと存在の大きさを感じました。皆も私も先生が大好きでした。私も相思社も随分お世話になりました。
丸山定巳さんは1968年に熊本大学講師となられ、翌年、水俣病第一次訴訟の原告を支援する「水俣病研究会」の設立メンバーとなり理論面から訴訟を支えま した。また、原因企業チッソや行政の内部文書、関係者の手記 などの膨大な資料をまとめた「水俣病事件資料集」(96年刊行)の編著者も務められました。水俣病事件の初期の闘いを知らない私たちにとって、この資料の 存在は貴重かつ重要です。また、この先事件の真実が曲げられそうになったとき、必ず証人のようになる資料だと思っています。
丸山定巳さんは相思社とのご縁も深く、1974年の設立前から関わり、1989 年、相思社の危機的状況であった甘夏事件では相思社存続・管理運営検討委員会メンバーとして、それから12年経過後の2001年度「転換 期を迎えた相思社の活動のあり方」答申の委員長を務め、私個人としてのお付き合いは、今年3月に完成した答申をだすための「今後の相思社のあり方を考える 検討委員会」の座長を務めていただいたことにあります。。
常に患者や社会的弱者の視点に立ち、それを様々な立場の方たちに、優しく丁寧に伝え続けた方でした。お酒が強く、自分の時間を惜しまず夜遅くまで飲みながら私たちに支援とは何かを教えてくれました。
丸山先生を思うと自分の未熟さが恥ずかしいですが、ともに過ごした時間を胸に抱きながら活動を続けます。