私が去年から注目しているニュースに、ベトナムの海水汚染があります。
去年4月、Hà Tĩnh周辺の海岸に、死んだ魚が次々と打ち上げられるという出来事がありました。
原因は工場排水。台湾の企業であるFormosaが操業する製鉄工場が流した排水が原因でした。
打ち上げられた魚は70トン、汚染地域は200㎞にもなりました。周辺の漁業や、観光業は打撃を受けます。
汚染が発覚した当初、工場と政府はその排水と汚染の関係を否定しました。さらに、大臣は汚染の原因は赤潮と生活排水だと発表。汚染が起きた直後、工場幹部からこんな発言がありました。
「工場は用地を取得する前に、地元の漁師には職業を変えるように助言した。早期の助言にも関わらず、彼らはこの近辺で魚をとり続けた。人間は人生で何度も決断をしなければいけない。
例えば、魚を取って売るのか、それとも製鉄産業を育てるのか。我々はそのどちらかを選ぶしかない。」
漁獲禁止の措置が取られ、汚染された地域に対する企業からの補償行われることが決まるのは、数か月後のことでした。
各地の公害を知るたびに、水俣とよく似た出来事が繰り返されていることに驚きます。長い間放置され否定され続けた水俣と比較すれば、このケースは1年という短い時間で、汚染された環境復元や補償まで一応の対処が行われつつあるように見えます。
しかし、問題の発生から対処までの道のりまでは水俣と似ています。例えば、汚染原因の究明期に、全く関係のない原因説で「中和」されるということは、水俣でも起きました。
もうひとつは、経済成長のただなかのベトナムという国の状況。ベトナムはGDPは高い成長率を維持し、工業製品の活発な輸出入が行われています。工場幹部の発言のとおり、「魚」か「産業」という2項対立の「産業」が優先される状態なのでしょう。行政は産業を擁護し、汚染への対応がすぐに行われることはありませんでした。水俣病と日本の経済成長が重なります。
工場幹部の発言は、工場の排水の有毒性を認めた上で工場の責任については言及していません。魚を取り続けた漁師が悪いという工場の姿勢がみてとれます。
このような経済成長の陰で起きる汚染が「しかたがない」で済まされることがないように、また「魚」か「産業」という二択で縛られてしまわないように、水俣の経験が教訓として活かされてほしいと思いますが、同じような公害のくり返しを知る度にそれがいかに難しいことかを考えてしまいます。
先日、考証館の英語ホームページを作りました。
とりあえず、様々な人が水俣病のことを知るきっかけになればいいなと思っています。