競り船の季節

カンカンカン、カンカンカン・・・
と夕方になると聞こえてくる音。それは、競り船の鐘。
水俣には地区や職場でチームを組んで、船を競い合う「競り船」という夏の風物詩があります。

「せりぶね、漕がない?」と誘ってもらって、去年はじめて参加しました。
素人の集まりと聞いて、楽しく漕ぐ程度なのかなと予想していたら、甘い甘い。
本番までの1か月間、汗と海水でびしょびしょになるくらい必死で漕ぎ、慣れない動きに全身筋肉痛で体がボロボロになりました。

チームによっては、1か月間毎日練習するところもあるそうです。やはり海辺の地域が強いのかと思いきや、意外に山間部のチームも健闘することに去年はびっくり。
陸漕ぎと呼ばれる、船にのらない練習方法で鍛えているらしいと聞きいてさらにびっくり。

「競り船に費やすエネルギーを別のところに使えばいいのにね」
と同じ船に乗る人が笑っていました。ええ、私もそう思います。
たった1日の行事のためにここまでするのかよ!とツッコミを入れたくなる気合の入れようです。ただし、参加してしまうと「なんでこんなことに気合いれてんだろう」よりも「楽しい!」になるのが不思議です。

鐘が聞こえてくる季節がまたやってきて、今年も参加することにしました。ただ楽しいからという理由でみんな参加して、伝統が続いているのかなと思います。競り船のように、参加者が単純に熱くなれるお祭り的な行事が人間には必要な気がします。

それに、水俣の海の近くに住んでいても、船に乗ることはそう多くありません。競り船の練習があるおかげで、海を身近に感じられるようになりました。海の水の深緑色がとてもきれいなこと、日差しが強い日でも海の上は気持ちよい風が吹くこと、釣りをする人が多いことにも気づきました。

水俣の競り船の歴史は古いようです。
長崎のペーロンという大人数で乗る船の競争が、明治30年頃に水俣に伝わりました。最初は、投網船を使って漁民対抗の行事として始まり、地区ごとに選手を繰り出すようになりました。さらに、競り船の伝統に目をつけたのが日本カヌー協会です。オリンピックに向けた強化選手の大半を、競り船で鍛え上げた水俣の若者から選出しました。

そんな水俣の競り船ですが、1959年からしばらく中断します。
17年ぶりに競り船大会が行われた1976年の新聞記事には、「復活」「水俣再生」という文字が踊り、活気が伝わります。その間、水俣病が起き、水俣の町を二分したチッソの安賃闘争が1962年に始まり、競り船どころではなかったのでしょう。また高度経済成長で若者は都会に出ていき、選手の流出もあったのかもしれません。水俣病に関する歴史や出来事は知っていますが、水俣の町の様子はどうだったのか、そういえば知らないなと気づかされました。

そして、今年は1つの節目の年でもあります。
来年からは、強化プラスチックの船体が作られるので、木造船での競技は今年で最後となるからです。私としては、歴史のある木造の船がとてもしっくりと水俣の海岸の風景になじんでいいなぁと思っていたので、少し残念にも思う今日この頃です。今年の本番は、今週末の7月30日。がんばります。

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