東本願寺名古屋別院主催の「老いと病のための心の相談室」(後述)公開講座で講演と対談をしました。きっかけは、大谷大学で教員をされている同世代の光川真翔さんが、「みな、やっとの思いで坂をのぼる」を読まれて私を推薦してくれたこと。同世代がこの本を読んでくれていることに、私は大感動をしました。
講演の対象は、心の相談員ですが、公開講座なので、東海に住む水俣病の人たちや、全国各地の様々な方が集っておられました。この東海へ不知火海出身の少年少女たちが就職をしてきて、青春を過ごし、いまを生きています。前回まで患者検診で訪れていたこの地で、受診者の隣人に、水俣病を伝えられることは本当に嬉しい事でした。
講演では、自分と水俣病の接点、患者の人たちの暮らしや、それを育んだ海と魚、病におかされ生きる人たち、水俣病の歴史や、終わらされようとする流れの中にある今を話しました。講演をすることと、自分が水俣病事件とどう対峙していくかは同じことだと思います。自己の納得を得ながら、目の前の相手とどう向かい合うか。自己の納得とは、自分をごまかさずに語ることです。そして、目の前に座っておられる、いま共にある人たちをごまかさないということです。水俣病は、人を丸裸にします。一人の人としてそこに立たされ、他者と交わり言葉を発するとき、嘘やごまかしは見透かされます。水俣病と接するとき、または講演をするとき、私はそんな感覚の中にいます。だからごまかしてしまった時は苦しくなります。
対談では、譲さんという大学教員のお坊さんが、私の言葉を形にしようとしてくれました。しかし「不条理」という言葉や同情や諦めに水俣病をはめ込むことで、水俣病が限定的なものとして語られてしまったように思います。「水俣病は大変な出来事で患者さんたちは大変な苦しみを負っている」。それで話が終わるたびに、患者さんたちの人生はそれだけじゃないと思い、水俣病事件とは、私たちが思うよりもずっと広く深いことが、どうしたら伝わるか、自分の言葉の浅さに、もどかしい思いを持ちました。
終わってから患者さんが「よく頑張ったね」と言ってくれて、張り詰めていた心がほぐれました。患者さんたちが営みを重ねてきたこの名古屋で、話をさせてくれた東本願寺の皆さん、本当にありがとうございました。講演を、他者になったつもりで見つめてみると、非常に不細工だったと思います。要点が絞り込めていなかった反省があります。頑張ります。翌日は患者会の集会でも東本願寺さんにお世話になりました。そのあとは、ずっと行きたかった「わっぱの会」へ。また報告を書きます。
※東本願寺の青年クラブは、かつて九州から集団就職してきた若者たちが集い、文化活動をする、拠りどころのような存在だっていたそうです。1968年に提唱され、有志によって取り組まれた「人生相談」がその相談活動のさきがけとのこと。「死そして生を考える研究会」の実践的取り組みとして「老いと病のための心の相談員」の養成講座は現在37期生を迎えて実施されているそうです。例年30名ほどの相談員が誕生しているとのこと。興味深い取り組みです。(東本願寺社会事業部の田中智教さんより)