田園調布学園オンラインで学習旅行

田園調布学園のオンラインの学習旅行をコーディネートさせていただきました!

20年にわたって水俣に学習旅行に来てくださっている田園調布学園高等部のみなさん。水俣へ来てくれるようになったのは96年のこと。田園調布学園の先生が、石牟礼道子さんへ、九州の修学旅行で水俣へ行きたいと相談なさったことがきっかけでした。

水俣にとっては田園調布高校がはじめての修学旅行。200人の生徒へ、石牟礼さんと彼女が依頼した杉本栄子さんが講演し、相思社職員がそれぞれ5台のバスに分かれて乗車してのまち案内をする、というのがそのときのコースでした。

二年後には石牟礼さんの体調が悪くなり、彼女から依頼された原田正純医師がバトンタッチ、そのあとを板井八重子医師が、そして緒方俊一郎医師がつないでくださっています。

杉本栄子さんのあとを、つないでくださったのが生駒秀夫さん。長年お話を続けて下しましたが、体調を崩された昨年から、杉本肇さん、そして吉永理巳子さんがそのあとをつないでくださっています。

そして私たち案内人もの先輩たちから引き継いだことをいかしながら、私たちの水俣を語っています。

高校生たちは毎年、一年生の夏休みに「苦海浄土」を読み、二学期の授業でも水俣病を学びます。知識が頭に入った上で現地にやってきてくれるため、質問の内容が案内人の胸を打ちます。

昨年の夏、まち案内の打ち合わせのために遠路水俣にいらした先生方と、ああでもないこうでもないと意見を交わし、準備を進めていた学習旅行はしかし、コロナウィルス感染症の影響で中止となろうとしていました。

ところがです。先生方との電話での打ち合わせでも、学習旅行への熱意は変わりませんでした。現地に来ることはできないけれど、3日間の学校にいながらにして学習旅行を実現することができないか。長崎と東京を結び被爆者の声を聴き、東京と水俣を結び患者や支援者の声を聴き、丸木美術館を訪れて原爆の図を観る学習旅行はこうして実現をしたのでした。

さんざんリハーサルをしたにも関わらず、音声が途切れる、画がストップするなどのトラブルがありましたが、最後に放映予定だった映像を流す、機材を予備のものに変える、マイクを取り替える、などして対応し、いずれも改善しました。

▼水俣病歴史考証館の見学と、質問の時間。坂を上っていく体験もバーチャルで。 ▼二日目は木下がカメラ担当。緊張の面持ち。坂本がクロックマン。 ▼水俣病を語り継ぐ会の吉永理巳子さんの語りと質問の時間 ▼漁師の杉本肇さんの語りと質問の時間 ▼水俣病に50年携わる緒方俊一郎医師の語りと質問の時間

話を聴いているときの、画面に写った生徒さん一人ひとりの目を見ることができました。質問をするとき、誰もがまず礼を言い、そして話に対する感想や考えを述べ、それからようやく質問をする、その一連の流れが成熟しています。今回ほんとうに良かったなと思ったのは、落ち着いた環境で、生徒のみなさんの質問する姿を見ることができ、本当に詳しく深い学びをしてこられていることが実感できたこと。いつもは、慌ただしく水俣の中の何箇所もを案内し、どんなに「対話の時間を」と心がけても、結局は時計に追われて終わってしまっていることに気が付きました。来年からは皆さんの学びに、もっと心を馳せられるようになれそうです。

終了後、生徒さんたちには「水俣」のご飯を食べていただきました。

MENU

車麩(くるまふ)カツ~自家製梨ごま醤油ソース~

水俣の茄子とねぎの玄米黒酢餡~茄子、南瓜、白ネギ、山形来秘伝豆などで

小松菜とオクラ・しめじのおひたし~水俣のちりめん

水俣のきゅうりとさつま芋・人参のバルサミコオリーブサラダ

熊本県「ヒノヒカリ」白米

患者さんとお医者さん、そして私たちの共通認識として、「食べもの」があります。チッソが経済成長に必要なものをつくるなかで工場排水としてメチル水銀を流した。それによって海が汚染され、当時の不知火海周辺の住民にとって重要なタンパク源であった魚が汚染された。住民はその魚を食べて水俣病になったのでした。

水俣病患者のなかには、環境と自分たちの体を守りながら安全な食べものを作り、それを届けることで社会を変えたいとみかんづくりを続けている人がいます。「食べものでなった病気だから、食べものでなおす」といい、無農薬で、または最低限の農薬で農業をはじめた人がいます。相思社もその活動への応援を続けています。

今回、そんな「食べもの」を思ったときに浮かんだのが「もじょか堂」さん。生産者さんとの関係を大切に育てながら、こだわりの、おいしくて安全な食べものを販売しておられます。

https://www.mojoca.net/

その食べものを、東京で活かしてくれる場を思ったときに、ピンときたのがカフェスローさん。相思社に毎年来てくれる埼玉大学安藤ゼミの卒業生が働いた場でもあり、旅をしていた二十歳のときに出会った辻信一さんが経営をしているお店でもあり。きっと力になってくれるはず、と連絡をさせていただいたのが3週間前。

http://cafeslow.com/story/maker/3723/

私たちの気持ちを汲んでいただき、もじょか堂さんのお野菜をカフェスローさんの水俣ランチにして食べていただけたこと、語りの最後に、五感を通じて水俣が、そして「食」を感じられる機会が、空間が学校内に生み出されたということを、ほんとうにほんとうにありがたく、うれしく思っています。

今回はこんな役割分担。初めてのオンライン修学旅行ということで、職員総出で取り組みました。

コーディネート:辻、永野/考証館解説:小泉/考証館での時計とカンペ:木下/機材とカメラ:葛西/考証館での時計とカメラ:坂本

いつかほんとうの水俣に、来てもらえたらうれしいな、と思いながら、今日はここまで。

永野三智

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