葛西伸夫
二〇一八年の一二月一日から二日間、博物館問題研究会の実施する「地域の歴史と今」という研修旅行に参加した。一日目は産廃不法投棄事件の香川県豊島、二日目には大島青松園(ハンセン病療養所)を訪問した。後者も多くの刺激をもたらせた有意義な訪問だったが、ここでは豊島のことを書きたいと思う。豊島は岡山県の宇野と香川県の高松に挟まれた瀬戸内海に浮かぶ小島。東西を直島と小豆島に挟まれている。人口八六七人(平成二七年一〇月)。一九七五年から一六年間にわたり九〇万トンを超える有害産業廃棄物が違法に島内に持ち込まれた。島民による必死の運動の結果二〇〇〇年公害調停が成立。香川県に廃棄物の撤去をさせるに至った、豊島産廃事件である。今回私は研修旅行の始まるまえに島に渡った。豊島生まれで東京で長く教員生活をおくり、定年退職後里帰りされている高校時代の恩師と会い、島を軽トラで案内してもらいながら、産廃事件以外の島の話を聞くことができた。豊かな水資源、それによってもたらされる米は島外に出せるほどだった。またミルクの島とも言われるほど酪農も盛んだった。魚介類も豊富。石材資源までも豊かだった。おまけに風光明媚で、どこをとっても名前のとおり豊かな島であった。
「豊島のこころ資料館」
産廃処分場の敷地内に、事件と住民の闘いの歴史が展示されている「豊島のこころ資料館」がある。見学は廃棄物対策豊島住民会議が実施しているが、処分場は県の土地であるので予約して許可が必要。処分場の見学には県職員も同行する。
今回私たちを案内してくれたのは石井亨さん。豊島住民であり、直接問題解決に関わったリーダーのひとり。その春、四百頁にも及ぶ『もう「ゴミの島」と言わせない 』(藤原書店)を出版したばかり。落ち着いた話し方で、分かりやすい。法律名とか細かな数字、年号、日付、すべてそらで言えるのには驚いた。
見学は、処分場から。面積は28haにおよび、見渡すと白茶けた荒野が視野を横切る。2017年の春、最後の廃棄物が船で運び出されるシーンは感動的な場面として全国に報道された。しかし、その後地下水の状況を見るために土砂を移動させている最中にまた汚泥が見つかった。それが二回続けて見つかったので、まだあるかもしれないっていうことで再調査をしている。おそらく許可を受ける前に不法に廃棄物を引き受け、深く穴を掘って埋めたという所というものが何ヶ所かあるらしい。今になってそれが出てきた。何しろ記録が何もないのだから、アタリがつかないのだそうである。
次に現場を離れ、いよいよ「豊島のこころの資料館」に。二階建ての事務所ふうの建物。聞いてみると産廃業者の事務所だったものだそうである。中には多くの手作りの展示が施されていた。
目玉展示は、なんといっても産廃の実物。堆積した産廃を深さ約四メートルの断面のまま剥ぎ取った壁である。表面は有害物が飛散しないように樹脂加工している。近づいてよく見ても原型がわからない様々な形状のものが絡み合っている。
豊島の産廃は判別できるもので最多のものが、自動車の破砕くずだった。しかも鉄を取り出した後島内で野焼きした燃えカスだそうである。廃棄物の害だけが取りざたされるが、当時島ではぜんそくや呼吸器系の病気が多発していた。
廃棄物の実物展示はいかにも毒々しく、こういったものを排出しながら経済発展を謳歌する人間のあり様も見にくく表していた。多くのメッセージを投げかける展示だった。それが、島民が結果的に差し押さえた産廃業者の事務所という入れ物に収まっているところもよかった。展示物は入れ物(建物)がその意味をいっそう引き立てる。
もうひとつの印象的な展示は、部屋をぐるりと一周し、あふれて二段になるほど長い事件関連の年表だった。小さい文字でびっしりと出来事が経時的に埋められている。読ませる展示というより、見学者を包囲して圧倒させる存在展示的な役割も果たしていた。
「瀬戸芸」という過疎への特効薬
高松・宇野間の島々は、二〇一〇年に始まり三年に一度開催される瀬戸内国際芸術祭(瀬戸芸)で盛り上がりを見せている。本年は開催年である。
岡山を地元とする福武書店(現:ベネッセ)が、八〇年代から、直島を中心に周辺諸島を「人と文化を育てる場所として創生」することを目的に資本を投入し開発が行われてきたものを源流とし、その後香川県の発案でこの芸術祭が始まった。
豊島は、周辺の島々と同様に、昭和から平成にかけて急激に過疎が進んだ島である。そういう島々にとって「瀬戸芸」は活性化への最強のカンフル剤だった。
じっさい、豊島も観光客が爆発的に増大した。私が夏に訪ねたときは開催年ではなかったが、驚くほど多くの観光客で賑わい、古い集落内に点在する洒落た飲食店は若い客で溢れていた。今回も冬にもかかわらず豊島美術館を見に来る客が多く見られた。
だが石井さんは、「瀬戸芸」は「諸刃の剣」だという。
豊島の住民運動がなぜあれだけの力を発揮できたのか。日本は明治時代に国の形ができたとき、個人と公の間に共同体というステークホルダーがいた。それが戦後、地方自治法によって格差是正のなのもとに行政サービスに吸い取られていった。ただ離島である豊島はおいてきぼりにされたおかげで、困ったことは住民で解決していくという自治能力を長いあいだ保っていた。
もうひとつは、どの家も大家族だった。島が何かで困ったときに誰かを行かせてくれる家族がいた。どちらも過疎の問題で、共同体の規模の縮小があり、さらに核家族化は共同体の退嬰に拍車をかけている。
それにたいし、「瀬戸芸」は諸刃の剣であるという。良い面でいうと、移住者がたいへん増えている。恩師のようなUターンも少なくないが、なにより都会からの移住者がたいへん多い。移住者が子どもを生んで育てている。これは「瀬戸芸」なしには起こり得なかった画期的な現象だろう。共同体を忘れていた人たち、あるいは知らないひとたちによる、新たな共同体のかたちの可能性が見えてくる。
一方、この起爆剤の「副作用」として石井さんが懸念しているのは、住民自治の力が資本に回収されてしまうことである。じっさい、いま自治体で何か「こうしたい」という要求があると、まずベネッセに相談してしまう。少なくともそういう依存症が根付いてしまったという。
さらに、豊島のこころ資料館をはじめ産廃処理場全体をベネッセは欲しいと言っている。運動の歴史全体を買いあげるというのだ。「運動の歴史を美化して発信すれば、押しも押されぬ瀬戸芸になる。僕が福武だったら欲しい」と石井さんは微笑む。「瀬戸芸」は実行委員会が主催するが、中心メンバーはベネッセと産廃事件の共犯者である香川県である。委員長は香川県知事が毎回務めている。県は公害調停以降すっかり改心し豊島住民の味方だとされている。しかし、水俣病の熊本県にいる私に言わせると、行政は、みずからの黒歴史をしたたかに着実に塗り替える。島の住民たちが自分たちの力で美しい島を取り戻そうとした歴史を矮小化し、むしろ県自らの手柄として再物語化するはずだ。私は「瀬戸芸」に「もやい直し」と同じにおいを感じる。
稀代の住民運動を律してきた〝豊島のこころ〟は、いまふたたび資本と行政の蹂躙に遭っている。島にやってきた移住者、島で新たな人生を歩んでいく彼らに、いかに〝こころ〟を継承していくか。そこに未来の豊島の姿が懸かっていると思った。