『魚湧く海』

永野三智

二〇二〇年現在、水俣病患者連合の会員の人たちと、毎年温泉に漬かりに行く。大勢で温泉に浸かるとまるで修学旅行。お互いに背中を流しあうあたたかさにほ
だされる。風呂からあがると、風呂敷包みをかかえて宴会に向かう会員さんとすれ違う。宴会が始まると、ビールや焼酎での乾杯後、カラオケが始まる。風呂敷を持ったあの人たちは、いそいそと舞台裏に行き、数曲目、野良着にホッカムリをして赤ちゃんをおんぶして顔を出す。農作業に励む恰好の若いお母さんのとなりには、なぜかヒョットコがいる。若い母と同じ人が、「岸壁の母」では杖をついて踊ったり、おかめのお面をした人が登場したりと賑やかだ。リーダー格の会員の部屋に戻って開催される二次会で、「患者であることが恥ずかしい」と語る会員に、運動歴の長い会員が運動の意味を訴える。そういう場面に出会うと、いまここで、運動は続いているのだと感じる。一九七四年から運動を続ける人と、九五年の政治決着以降に団体に加入した人とでは、どうしたって温度差があると感じる。旅行や宴会の機会が少しずつ、この差を埋めている。

一九七〇年代から補償を求める訴訟が相次ぎ、九五年、患者を認定しないまま、一時金を払い和解する「政治決着」が行われ、一万一五四〇人がそれを受け入れた。水俣病患者連合の会員たちがその中にいた。この本の第一部では、芥川仁さんの写真と患者の言葉で、暮らしの中の水俣病がありのまま、綴られている。いかに闘い、そしてそれぞれに、その人なりの決着をつけていったかも、生々しく綴られる。女島の松崎重光さんは水俣病闘争を「社会活動の一つ」と言う。不知火海に生まれ育った人にとって、不知火海は生活の一部であり、水俣病事件もまた一部だったのかもしれない。患者運動はその人にとって、地域自治会の活動のようにして暮らしの中に位置づいていた。
第二部は二三年に及ぶ水俣病未認定患者運動の歴史がまとまっている。運動の当事者しか持ち得ない資料を駆使し、経験した事実に則して綴られる。正義と成功だけでなく、迷ったり失敗したりした運動の記録だ。政治決着を迎えたけれど、納得をしていないこともある、という正直な気持ちが生々しく語られている。この本に登場する人たちが、何を大事にして闘ったのか、何に納得をして何に納得しなかったのか、知ってほしいと思う。


この本に登場する半数の方たちがもうこの世にはいない。彼らがどのような思
いで政治決着を迎えたのかを直接に聴くことはできなかったけど、方言や感情が
そのまま目から飛び込むこの本を開くと、目の前で直接に語りかけられている
気持ちになる。「海に生き海に生かされたやさしい人たちが怒った海の一揆」(原田正純)の記録、ぜひご一読あれ。

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