常務理事交代のごあいさつ

遠藤邦夫・永野三智

こんにちは、遠藤邦夫(えんどうくにお)です。
 相思社で定年を迎えた最初の人間ということですが、特別な感慨はありません。立場も職員から嘱託になりましたが、やっていることも言ってることもそんなに変化があるように思っていません。
一九八七年に相思社に水俣に流れ着いて、相思社にこんなにいるつもりはなかったけれど、自分の志向性と仕事が合っていたのか長くなってしまいました。
「老兵は死なずただ消え去るのみ」という言葉がありますが、どうも団塊の世代というのはフェードアウトが苦手なようで、「俺はまだまだ若い、なんでもできるぞ」などと思っていること自体が、老いた証拠かもしれません。
 永野たちに安心して後を託すなどとは思いませんが、考えてみれば相思社の運営は最初から波瀾万丈で、後先考えない若者がやってきたんです。なんとかなるだろう。 
 私は相思社の存在はハマグリが吐き出す蜃気楼のようなもので、職員がそれを出し続けられなければ、みな現世に返って霧と消えてしまうと思っています。

こんにちは、永野三智(ながのみち)です。この春、遠藤のあとを繋ぐこととなりました。
 夢は「安心して迷惑をかけあえる社会をつくる」こと。 「軽やかに、しなやかに、したたかに」生きたいと思っています。しかし周囲からは「人生強火」と言われているので、まだまだ先は長いです。相思社の好きなところは、人間的な失敗を多くしてきたところです。
 数年前、「相思社を乗っとるぞ」なんて生意気な宣言したことが懐かしく思い出されますが、実際にはこの若返りを心配してくださる方に多く出会い、都度アドバイスをいただいています。
 目の前に道がないのが相思社です。その時々、そこにいる人間が紆余曲折し、ネットワークに救われながら、生き延びさせてきた延長線上に私たちがあります。そして実際にその活動を担ってみると、四一年という長く重い歴史と「水俣病を二度と繰り返さない社会づくり」を繋ぐには、基盤や経験値や心が足りないことも実感します。
 しかし自信がないから、自分たちを守りたいからと殻にこもることはしたくありません。力いっぱいに人と出会い、そこからいただく応援や批判を力にしながら活動していきたいと思っています。
 これからも皆様方のお力を借りることがあるかと思います。助けてと呼びかけさせていただいた時には、どうぞ振り向いてやってください。私たちも、みなさんの「助けて」には出来うる限り応じます。どうぞこれからも、私たちと共に歩いていただければ幸いです。

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