患者相談雑感

金曜日は出張をしたので、その分電話がかかっていました。その折り返しをしました。
ある方との電話は30分を超えました。私は一回の電話は最高30分と決めているのでまた話しましょうと言って電話を切ります。

お話をしたのは被害者のお連れ合いでした。夫婦二人三脚で病と闘ってきました。二年前に水俣病にたどり着き、それから自力で相思社を探し、幾度も相談のお電話をいただいています。

水俣病事件に対しての怒りを強い口調でぶつけます。怒鳴り声に耳が痛くなります。昔は私まで苦しくなっていましたが、最近、怒りの奥底にその方が持つ、悲しみやどうしようもなさを感じています。

お話を抜粋…

まさかうちのが、という思いです。
うちのはね、もう何十年も、原因不明の病に苦しんできましたよ。

結婚してなん十年、どんな思いで支えてきたか。
電話の声が聞き取れない。人との電話は全部、仲介をしていましたよ。そうしないと会話から話の方向が変わってくるから。
ある日突然赤ん坊か老人のように寝た状態になってトイレにも行けない。大きな身体を支えてね。
うちのの足の親指にはね、いつも血豆ができています。あたったのが分からないんですよ。
それだけじゃない、本人はどれだけ苦しい思いをしているか。40年以上、うちのの代わりに支えてきましたよ。
誰かが一言、「水俣病じゃないですか?」と言ってくれれば、どれだけ楽になれていたか。

行政の人たちだって、私たちが何もわからないと思って馬鹿にしてますよ。国民はそんなに馬鹿じゃない。私たちは情報を受けていないだけです。

水俣病は恥ずかしい病気でも、患者のせいでなった病気でもありません。行政の人たちは、私たちを汚いものを扱うようにして接します。仮病じゃないかと最初から疑われている。そんな風に言われるからもうやめたい、そう何度思ったか。二次被害三次被害ですよ。

私がね、うちのの病気がわかって思ったのは今の国民の無知さと無関心ですよ。自分の足元に火がつかないと動かない、動けない。みんなと同じように口をたたかないと村八分。

私はどうしたらいいのか。この方たちの水俣病が一日も早く苦しいだけのものではなくなるように。そして突き刺さるようなこの言葉の一つひとつを私のなかに刺したまま、人に伝えることを続けたいと思います。

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