朝鮮半島と水俣病

葛西伸夫

2016年、韓国の市民団体「蔚ウルサン山未来共生研究所」のメンバーが、相思社に来た。水俣病を学びながら、海に浸かって遊んだり、韓国料理を振る舞ってくださったりして、ともに楽しんで帰っていった。
その翌年、韓国のテレビ局から取材の依頼があった。韓国東海岸の浦ポ 項ハンという都市にあるPOSCO という製鉄工場付近で、深刻な水銀汚染が起こっているという。それで、水銀による公害で有名な水俣を取材したいということだった。話を聞いた私はとても興味深く、なんとなく何かに繋がっていくような気がして、彼らを歓待した。
だがその後しばらく連絡も情報も途絶えていた。そして慰安婦問題や徴用工訴訟で両国がいがみあい、飛行機が次々と減便され、韓日関係はすっかり冷え切り「冬の時代」を迎えてしまった。
そんななか、蔚ウルサン山未来共生研究所から相思社に講演の依頼が来た。17年に来たテレビクルーも浦項の汚染現場を案内してくれるという。こんなときこそ草の根の交流が活きる。そう考え、永野は韓国に向かった。
浦項の町は、チッソの水俣と同じようにPOSCO 城下町として栄えていた。POSCOは、日本で徴用工問題が報じられる時に誰もが耳にする「日韓請求権協定」に基づく補償金で作られた会社なのである。現在の水銀汚染の源流に、かつての侵略の歴史がつながっていることを思いがけず知った。その侵略に便乗し、軍の力を盾に、朝鮮半島を我が物のように切り拓き、労働力を搾取し、隆盛を極めたのがチッソだった。戦後、その暴力は水俣や不知火海周辺の人々に浴びせられる。
朝鮮半島には、日本人が忘却してきた加害の歴史がある。水俣病事件は、その痛い記憶の傷を開いたところに全貌が潜んでいる。
こんな冷え込んだ韓日関係のなかでも、招待してくれた韓国の人たち。水俣病の話を真剣に聞いてくれた先生や子どもたち。横暴な行政や大企業と闘う浦項のやさしい人たち。日本人である永野を歓待してくれた彼らも、かつての日本による被害の記憶は鮮明に受け継いでいる。あの戦争は、わずか2~3世代で辿られる近い過去なのである。
彼らといっしょに近代史を紐解いていくようなことがしたい。今回の特集がその手始めになればいいと思っている。

コメントは停止中です。