小泉初恵
こんにちは、小泉初恵です。去年十一月から相思社で働き始めました。この春、大学を卒業しました。自己紹介代わりに卒業論文のことを書こうと思います。私は大学で環境開発を勉強してきました。専門家が非専門家の持つ知識をどうとらえているのかに興味をもち、卒業論文のテーマにしました。
私の卒業論文
近年、環境開発に関わる意思決定をめぐって市民の参加やステークホルダー間の対話や協働が強調されている。そのねらいは、その環境にかかわる様々な立場の人の声を反映させることでより多くの人によってよい環境を作るため、また外部の開発者が見落としてしまうような土地に根付いた知恵や知識を活かすため、などの理由が挙げられる。しかし、そのようなコミュニケーションの場がつくられたとしても、実際に声が反映され、活かされるのかはわからない。専門家と、一般人あるいは非専門家の間のコミュニケーションは「欠如モデル(deficit model)」による説明がなされてきた。これは、一般人は知識や能力が欠如しているため、正しい知識を供給するのが専門家の役割だという前提に基づくコミュニケーションのモデルである。先に述べたような開発の意思決定への参加がなされたとしても、専門家が「欠如モデル」のように一般人は教育の対象でしかないと考えていたらその目的は達成されないだろう。なぜなら、学識や立場のある専門家は常に優位であり、非専門家の知識は、専門家が決める参加の枠組みの中でしか吸い上げられることがない。私が焦点を当てたのはこの、非専門家のもつ知識を専門家がどう認識しているのか、である。ここで私が知識と呼ぶものは一般的な用語の使用とは多少異なるかもしれない。学校で教わり、本で読む知識だけではなく、例えば何十年も魚を取る漁師にはわかる潮の変化、作物を作り続けてきた農民にはわかる気候の変化などの経験の積み重ねによる感覚的な情報も含める。あるいは、原発周辺の住民は専門家の計算によって出された安全という基準を納得できないかもしれないが、原子力工学を勉強したことのない彼らには、危険にさらされる可能性のある生活者としての論理や危惧がある。それらもここでは知識と呼びたい。このような非専門家たちの知識は科学的に明らかではない場合や、明らかにしにくい場合がある。そのような「非科学的な」知識は、希望や欲求などが反映されやすいという批判もあるだろうが、一見普遍的で客観的に見える科学的なデータも、用いられる方法は恣意的で政治的である。
専門家とは様々な人を含む言葉だが、私は大学で働く研究者にしぼって調査を行った。大学の教授らは大学での仕事以外にさまざまなプロジェクトに関わる機会が多い。インタビューをした専門家らも国立公園の策定、都市の大規模浄水システム整備、自然保護区の決定などにかかわり、かつそのプロジェクトの中で一般人にも直接コミュニケーションをとった経験がある人たちだ。また、この調査はスウェーデンへの留学中に行ったため、スウェーデン人の研究者六人にインタビューを実施した。
インタビューで得られた回答の全体を見渡すと、非専門家が持つ知識の価値認識には大きな幅があった。住民の知識は偏見によってゆがめられており知るに値しないと断言し、「欠如モデル」と同様に一般人への教育がコミュニケーションの目的であると述べる専門家もいた。一方、その環境で生きてきた人々は研究室にいる専門家よりも実状や問題を知っており、耳を傾けるのは大切なことだと答えた人もいた。非専門家の知識が重要と答えた人たちは、同時に専門家の知見や科学の限界について言及した。しかし、専門家の持っていない情報を持っているから、という理由でその価値を見出すのには落とし穴がある。彼らの多くは、市民の声が専門家の知見と一致するときに、専門家の補強的役割として市民の知識をつかっていた。それは裏を返せば、専門家の科学的に示されるデータや政治的な方針と住民等の主張する意見・知識に相違がある場合には、消し去られてしまう可能性を持っている。これでは、住民の参加といってもその実態はただの儀式になってしまうかもしれない。
非専門家の持つ知識についての「欠如モデル」的言説と肯定的言説の違いは、「非科学的なもの」の捉え方の違いも表している。「欠如モデル」的な説明では科学的な正しさに裏付けされた専門家が「非科学的」な一般人を教育するという関係が土台になっている。科学/非科学は、正/誤という対立的な関係と同じであり、その境界はくっきりしている。一方、非専門家への肯定的な説明では科学と非科学の間はなめらかで連続的な関係という認識がうかがえた。専門家と非専門家のコミュニケーションはどのようにあるべきかを問うた際に、対話について言及した人がいた。継続的な双方向のコミュニケーションは、専門家の持つ知識を住民の暗黙知へと変換させ、住民の持つ暗黙知を科学的な枠組みでとらえなおす機会を与えてくれる。形態によるふるいをかけずに知識を循環させ、協働的に知を作り上げるというコミュニケーションは創造的であり、理想の形だと考えた。
今回の調査ではインタビューの人数に限りがあったため、認識の差が何に起因するのかにまで十分な考察が及ばなかったが、専門家の経験やキャリアが彼らの価値観に少なからず影響を与えているのではないかと考える。例えば、地理学の専門家は、学生の頃から現地に赴き、土地の人に話を聞くような調査を何度も行ったと話していた。その経験は彼自身の価値観や活動に影響があるだろう。
水俣にやってきた
卒業論文では直接水俣のことを取り上げなかったが、相思社にきて水俣のことを知るうちにいくつかつながりをみつけた。水俣病の歴史を見ると被害者の声は後回しにされ続けてきた。原田正純さんや宇井純さんのような被害者に寄り添う専門家もいたが、原因究明期には御用学者にふりまわされ事実が隠された。専門家が可能だった数々のことを考えると、それをしなかった代償は大きい。
大学で環境・開発を学び、水俣の反省や教訓を活かすために働きたい、と思い私は水俣に来た。「教訓を活かす」という言葉は聞こえがいいけれど具体的にどうすればいいのか、わからなくなってきた。水俣病のような公害を繰り返してはいけない、と思わない人はいないはずなのに同じような犠牲が繰り返されている日本。これでもかと繰り返されるリスクの過小評価や命を優先する選択をしない政治は、体質のように容易に変えることができないような気がしてしまう。
水俣の教訓だ、といって水俣病の事実を一方的に伝えるだけではきっと何も変わらないだろう。かといって、こうしろ!聞け!という運動っぽい運動にはちょっと引いてしまう。悲惨な人生をその身で経験した水俣病被害者の話は人を動かすような力があるけれど、その話を聞けるのもそう長いあいだではない。そして彼らの話を私が伝えたとしても、やはり本人の口や身体が語る力強さには及ばない。
悶々としているうちに、訪れる人や学生に考証館を案内する機会も少しずつ増えてきている。遅すぎないうちに水俣のいろんな人の話を聞き、水俣を知る経験をしたい。そして、私に今できるのは考えることしかないと思う。できればたくさんの人と一緒に考えられるようにしていきたい。