相思社職員 葛西伸夫
昨年度担当した大学ゼミのなかで一番印象的だった、國學院大學のゼミ合宿をもとに考えたことを書きたいと思います。國学院学生たちは八月の下旬に二泊三日の日程でフィールドワーク(以下FWと略す)を行いました。担当の苅田先生とは四月から、事前学習のことや当日の昼食のことまで、綿密に計画を練りました。メールを数えてみると五〇通に及びます。FWは「近代日本の光と陰」というテーマが予め与えられていました。先生は、単純な「公害イコール悪」という議論から少し離れて、日本の近代化と一体のものとして、水俣の問題を考えられるようなものにしたいという要望でした。それは私の好きな・得意な水俣病の捉え方なので、FWプログラムを楽しく構築させていただきました。
後日送っていただいた学生のレポートを拝読しましたが、どれもとてもよく書けていたと思います。先生は事前から、学生たちが水俣病のことを学習した際、「ああいったことは近代化には避けがたい犠牲であった」みたいな、当世の学生がやりそうな早計な結論を導いてしまうことを懸念していました。レポートを読む限り、そのように考えている学生はいなかったようで、それは先生の伝え方とFWが功を奏したのだと思います。ただし、FWの本当の評価というのはレポートでにわかに把握できるものではないと私は考えています。それはレポートでは掬えないふたつの収穫です。
ひとつは、レポートに書けなかった部分、つまり「わからない」にも至らない(相思社でよく使う)なんだか「もやもや」としたものです。(「もやもやした。」とレポートに書く人は稀にいますが。)たとえどんなによいプログラムを組んでも、二泊三日で「わかる」ことは、実はそれほど多くないと思います。分かったような分からないような、出口のない悩みが湧いて来る。まじめに取り組んだ人ほどそれが深いのではないかと思います。それほど水俣病をとりまく状況というのは複雑なのです。でも、その「もやもや」というのは、理解不足ということよりも、自分の「知」が反応した証拠だと思ってほしいのです。だからそれを無下に振り払わないで、大切に育ててほしい。既存の情報で埋め合わせするのではなく、再び自分の手と足と頭を使い、じっくり時間をかけて、向かい合ってあげてほしいと思うのです。それを実践しようとする学生の多くは、また相思社に来ています。相思社職員にとってFWの最高の手応えというのは、実はそういう学生の「リピーター」なのです。先生に連れられて(半ば強制的に)水俣に来た学生が、今度は自発的にやってくるときが、相思社職員冥利に尽きるといってもよいときかもしれません。
もう一つ大事にしてほしいもの。ひとつが「知」だとしたら、もうひとつは「感覚」のようなものです。それはFW中にみなさんが現地で浴びたたくさんの情報の断片です。風景、映像、目にとまったもの、ちょっとしたエピソード、何気ない出来事、ある言葉、匂い、味、音等などです。それは水俣や水俣病と直接関係なくてもいいし、そもそも関係あるかどうかは予断できないのです。うまく表現できないのですが、知識が、ある具体的な感覚とともにあるということが、とても大切だと思います。知の原風景を構成する要素として、いつまでも不思議と離れない感覚として、残り続けるものがそれらの中に潜んでいたらラッキーです。そういったことは、現地=フィールドでこそ叶えられることです。もっともそのためには提供するこちら側に努力が必要なことです。私は案内で、できるかぎり多くの人、ものに出会わせたいし、自分もなるべく余分な話も取り入れたり、余計な場所に連れて行ったりします。ただしそれが学生たちの感受性とどのくらい噛み合うか、波長が合うかは偶然が頼りの手探りです。とにかく、お互いに退屈しないFWをすることを心がけています。