長崎の「ひとやすみ書店」さんが、日々お店の前の掲示板で紹介している「今日はこれ」で、自著「みな、やっとの思いで坂をのぼるー水俣病患者相談窓口のいま」のなかから、今日拾い上げてくれた、美しい文字で描かれた文章。
この掲示板に書かれた「お姉さん」と、昨日と、それから一昨日語らった。そうして今まさに「お姉さん」は私の心を大きく占めているから、「ひとやすみ書店」さんがわたしの心をのぞいたようで、驚いた。書く人の心によって力が加わった掲示板。
わたしはときどき運転のできない「お姉さん」に誘われて、車に乗って袋の海に、またはその隣の入り江に、ビナやホゼなどの巻き貝をとりにいく。季節によってたけのこや山菜をとる、温泉に行く、ご飯を食べる。
温泉では必ず、私の背中をてぬぐいで、ごしごしごしとこすってくれる。ちょうどよい力加減で、気持ちよく、ついうっとりとしてしまう。きっと幼い頃に弟や妹たちに、または若い頃には住み込み先のお姉さんや後輩に、こうして風呂や銭湯で、背中を洗ってあげたんだろう。
そのたびに、「お姉さん」よりずっと幼かった弟や妹たちは、住み込み先のお姉さんたちは、私みたく、うっとりしたんだろう。または「お姉さん」も洗ってもらってうっとりしたのかもしれない。そう思ってわたしも、ごしごしごしと、「お姉さん」の背中を洗う。
これまで12年半、何十回、いや、100回ちかく、彼女はほとんど同じ話を聞かせてくれた。いろいろな状況下で。いろいろな人たちといっしょのときもあれば、ふたりきりのときにも。
先日、そのうちの一つの出来事が、まったく逆の意味と別の感情をもって語られた。そのことに戸惑い、その出来事のあまりの悲しさに衝撃を受けた。彼女は苦しかったことを幸せな経験としてを語ることで、自分と折り合いをつけてきたのだろうかと考えた。
語る瞬間というのは、何かのきっかけで、ほんとうに気まぐれに突然に訪れるんだ。衝撃を受けながら私は、彼女に向けられたいやな記憶や経験を、ここに洗いざらい吐き出して、ぜんぶ捨て去ってほしいと思った。何もできないのだと分かっているけれど、まずは語る場の確保はしておきたいと思った。
そう思いながら、彼女の口調や表情やが忘れられなくて、ずっとそのことを考えていた。一昨日の、おおよそ月に一度のZOOMの対話会で、参加してくれた人たちにそのことを聞いてもらった。ひとりが「何通りにも話せたことは幸せかも知れない」といった言葉に、「え?そうなの???」と意外になった。それを「家(チベ)の歴史を書く」で読んで知ったのだと教えてくれた。そういえば!!! 信用する社会学者の朴沙羅さんの本で、または彼女と昨年やった対談で、彼女もそう言っていた。あんなに近くにいたのに、なんてもったいない。馬の耳に念仏。
翌日には、旅するカタリのふたりと語らった。「最初はみんな与えられた言葉で語る」ということや、虐げられた人たちの「無難」の壁のこと、記憶が複雑な感情の塊として聞き手に差し出されてくる瞬間のこと。
「お姉さん」との出来事や、わたしの中の戸惑いや揺れが、語りかけた相手の人たちそれぞれに受け止められ、それぞれの言葉で言語化されていく過程のなかで、わたしはようやく落ち着いた。
きのう朝、わたしは水俣病歴史考証館にいた。そこにハンセン病を考える20代前半の人がやってきた。やってきて、切羽詰まった調子で、苦しそうに「私は戦争やハンセン病やを経験した人と触れられる最後の世代」「その私が次の世代にどうつないだらよいか」と私に問うた。
わたしは「愛」だと、伝えたい対象と分かり合いたいと思うことだと思った。例えば私は、職員や来館者へこれまで私が知った歴史を伝えたいと思う。でも伝わらないと思うことがある。時間があれば何度でも、形を変えて、工夫して伝える。分かってほしいと思うから。それと同じくらい、相手を分かりたいと思うこと。職員や来館者がどんなことを考えているかを。わたしは前に失敗をした。押し付けて押し付けて、相手がつぶれることをしてしまった。そのことを忘れない。だから今は沈黙を大切にする。聞くことに力を注ぐ。自分と相手を信じて待つ。そうしたら、押し付けなくて済む気がする。分かりあえる気がする。それが見えない世界への扉を開くのだと思う。
それから前日に「知らない私が授業で水俣病を伝えて良いのか」と悩む若い教員の人に、みんなが答えた言葉も、愛にあふれていた。それで紹介した。
「自分がこの入り口に立ちましたということは言える。学校は答えを教えるところではない。私は試行錯誤の最中と伝えると、いつか下の世代にとって勇気になる。きっかけになる可能性もある。あの時あの先生が自信なさげだけど、こんなことを話していたということが、自信のないの人には力になる」
「ハンセン病とかカネミ油症とかいう言葉を耳にすることが大事。教科書の字面で見ることではなく、知っている人の肉声で聞いたことがある、ということが大事」
「生徒がどう受け止めて、生徒がものを言えるか。説明をしすぎて生徒から何を聞けたか。相手の孤独をとかす空気。軽やかに相手の気持ちをとかすことに集中する」
それから昨日の朝、旅するカタリのふたりが言った「場を開く」という言葉が浮かんだ。だから朝から話したことも話した。家路につきながら考えた。話をするということ、その場が開かれているということ。一つの話を何度でも聞くということ。その中で変化していく関係と語り。100回の話も、それが別の意味を持った1回の語りも、どちらも同じように尊い。
わたしは一昨日まで、「お姉さん」のなかの悲しい過去を、ここで捨て去って、幸せに死んでほしいと思っていた。ZOOM対話会でそのことを話した時、ひとりが「解決し得ないものって常にあって、そのなかで悩みながら人間らしく生き抜く」と言った。ハッとした。悲しい経験した「お姉さん」も、まるごとその人。その悲しみも喜びも、全部ひっくるめて、語れる場所をここに開いた方が、ずっといい。ぜんぶ捨て去ってほしいと思った私はおこがましい気がする。ひとを否定しようとすることのような気もする。わからない。わからないけど、わたしの悩みや揺れやをそのままに受け取ってくれる人たちの存在が、「お姉さん」との時間と同じようにして、尊い。
あー、スッキリはしないけど、あたたかいものに包まれた数日間でした。
分かったと思ってしまったら、スッキリとしたら楽だけど、考えなくなる。揺れを揺れのままに、その揺れにみんなを巻き込んで、みんなで揺れて、考えていけたら。揺れることは怖いことでもある。でも大丈夫、日常の中でこわいこわいと思いながら、その怖いを伝えられる相手が目の前にいる。語らえる人たちがいる。だからこわくても大丈夫。そう思う。
それぞれの人たちの、それぞれのことばを反芻しながら、悩みながら、考えながら。日常のなかで触れるひとびとの言葉たちに、わたしは支えられていると知った数日。