水俣ガイドブック『みなまたの歩き方』

子育てを終えて送迎が必要なくなったのと、車検や保険の更新のタイミングで、今年三月に車を処分した。「所有しない」ことが、こんなに心を楽にしてくれるとは思わなかった。

ただ一つ困るのは、バスの便が少なくて頻繁に買い物に行けないこと。休日は一日4便、平日は6便あるが、午後5時台に終わってしまう。平日に食料が切れたときには、どこかで有休を取って買い物に行くしかない。だから、毎週一回だけど来てくれる魚の移動販売店はかなり助かる。

それに今週は大潮の干潮と夕暮れ時が重なって、毎日坪谷や茂道でビナひらいをして夕食にした。坪谷や茂道にいるビナには、見た目も味もアワビのようなぐっちょビナと丸ビナ、細長く苦味が強いニシビナやホゼ、たまにアサリもいる。

坪谷のビナとりは、コンクリートの道の上にもいるが、ビナが水辺との際に多いため、箱メガネが欲しくなる。茂道でのビナとりは、広い海岸には大きな岩が広がっている。座って周りをゆっくりと見回す。じっとしていると、ヤドカリが動く音が四方八方から聞こえる。ゆっくりと首を動かすと、あっちの岩にもこっちの岩にも、大きなビナがへばりついているのが見える。ビナにはきっと目がついている。近づくとポトッと落ちて周りのたくさんの石と擬態して見えなくなったり、岩の下に入って取れなくなったりする。ビナが落ちないように、「あの岩のあとにこの岩で、それから…」と順番を決めて素早く移動して、採る。採ったあとの達成感と食べる楽しみが頭の中を埋め尽くす。

ペットボトルに塩水を汲んで帰って、真水でゴシゴシとビナを洗う。硬い殻がぶつかり合って、大きな音を立てる。砂がたくさん落ちる。数回洗って砂が取れたら、鍋に入れたひたひたの塩水で茹でる。段々と火が通っていくのと同時に、ビナが踊る。間違えて採ってきたヤドカリが真っ赤になる。ヤドカリも美味しい。

私は夕飯にお米は食べないけど、それでもビナと野菜で十分お腹いっぱいになるくらいとれる。

いつでも買い物に行けないと思うと、「食べる」を守ることに必死になる。春には野いちごやたけのこをたくさん採った。野いちごはジャムにして今も食べている。たけのこは干してみたがあまりうまくいかなかった。近所のおばあさんに習ってらっきょうを酢漬けにして年中食べられるようにした。お茶は相思社で買えるけど、今年は近所のおじいさんにお願いして茶摘みをさせてもらって自家製にした。おなじみのビナは炊き込みご飯にして食べると最高。

まだワンシーズンを過ごしただけだが、そうやって「食べる」を通してみると、周りのおじいさん、おばあさんたちがその知恵を持つ「すごい人」だと気がついた。話題も自然と食べることになっていく。顔色が変わり、生き生きとする。

『みなまたの歩き方』は、そうやって暮らしが少し変わってみたら、バイブルになる本だと気づいた。2000年に合同出版から発行されているが、自然の実りは変わらないので、内容は古く感じない。「水と緑の惑星保全機構」と「里地ネットワーク」の編著で、相思社の機関紙『ごんずい』が元になっている。

例えば二章の、「水俣で食べる」。水俣ではみーんな食べていた「漬けイワシ」の話。患者の人たちから、山仕事に行くときによく持っていったという話を聞いた。獲ってきたイワシを塩漬けにしておいて、保存する。上澄み液は、タイで言うところのナンプラーとして調味料になり、イワシはそのまま食べたり炙ったり。週一回の移動販売のお店での最近の常連はイワシ、早速塩漬けにして保存してみる。一年も持つということで楽しみ。

水俣は日差しが強くてたまらない。その日差しを利用して、水俣では海のもの、山のもの、畑のもの、何でも干す。わかめやひじき、あおさにしろご、エビ、イカ、タチウオ、ゼンマイ、たけのこ、からいも、大根、唐辛子に小豆。私にとっても最も身近な水俣名物「寒漬」も紹介されている。寒漬は、「かんつけ」と呼ぶ。寒漬は太陽にというよりも、風にさらす。畑から引っこ抜いてきた、泥付きのままの大根を、ハゼの木に吊るして真冬の寒風にさらす。その後塩漬けにしてまた干す。その大根を薄切りにして水に戻し、絞って、しょうゆやみりん、こんぶなどで味付けをしておかずにする。

車がないと、水俣では生きていけないと思っていたけど、本の中には、水俣の人びとの古くからの遊びや暮らし、おいしいものを食べたいという欲が満載で、読んでいるうちに、こんなに豊かなら大丈夫、と心強くなる。

春が終わって、まずは一年、この本を傍らにおいて、車なし生活を楽しんでみることにする。

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